書籍目録

『東の国からの詩の挨拶』

フローレンツ / ロイド(英訳) / 蕉窓 / 華邨 / 芳宗 / 半古 / 貞彦 / 永濯(絵師)

『東の国からの詩の挨拶』

(ちりめん本)英訳初版、保存箱付属  1896年 東京刊

Florenz, K(arl). / Loyd, Arthur (translator) / Shoso / Kwa-son / Yoshumune / Hanko / Sadahiko / Eitaku (illustrator).

POETICAL GREETINGS FROM THE FAR EAST. JAPANESE POEMS. From the German Adaptation of Dr. Karl Florenz by A. Lloyd. M.A.

東京 (Tokyo), T. Hasegawa, 明治廿九年十月一日印刷 同月十日発行(1896). <AB2022125>

Sold

Edition in English.

14.5 cm x 19.5 cm, pp.[1(Title.)-4], 5-98, Printed on folded crepe paper, bound in Japanese style, silk tied. Stored in original pictorial box.
保存箱の一部が破損して外れてしまっており、爪も一本欠落しているが、ちりめん本の状態は極めて良好。

Information

「これは数ある弘文社の「ちりめん本」の中でも貴重な一冊と言えよう。訳者フローレンツの熱意に呼応して武次郎の本造りにかける情熱が最大限に発揮されている。絵師たちの絵にも、活字の印刷の字配りにも、投げやりなところがなく、品格のある詩歌集となっている。(中略)
 序文では、日本には実に豊かな誌があること、その特徴についてはその多くが短詩型であり、独創的な表現も見出せるが、まず何よりも独特の日本的言語表現に技巧をこらしていることを述べている。詩的内容をもっとも多く盛っているのは、日本最古の歌集である8世紀の『万葉集』に他ならないとも言っている。フローレンツがこの詩歌集に収めたのは大部分が『万葉集』からの歌であり、後世のものはごく僅かしかとっていない。歌の選択に関しては、日本の詩歌の代表例であり、かつまたヨーロッパ人の趣味と理解に適うものとしたと言っている。歌やその作者についてもきちんと注をつけている。絵師たちの挿絵には大いに満足したようで長谷川翁に心からの感謝を捧げるとつけ加えている。
 目次を見ると、選択した歌を次の6つに分けて題をつけている。
 一章 愛するものたちに
 二章 自然の楽しみ
 三章 人生の厳しさ
 四章 宮廷詩
 五章 色とりどりの言の葉
 六章 叙事詩いくつか
(中略)
 蕉窓、華邨らの絵は、四季の自然月雪花や、「浦嶋」などはお手のものだからさすがに美しいし、「安静の地震」や「桶狭間の戦い」も手本となる絵があるだろうから、それにのっとって絵本の一部のように描かれ、ヨーロッパで評判になったのもうなづける。(中略)
 フローレンツの独訳をもとに、この本と『白菊』を英訳したアーサー・ロイド(Arthur Lloyd)は、インド生まれだが、イギリスで学び、ケンブリッジ大学を卒業している。1884年に来日し、福沢諭吉と親しく、慶應義塾大学で英語、英文学などを教えた。日本アジア協会の会員でチェンバレンを通して長谷川と接触したものと思われる。
 1890年、病弱だった妻の健康のために、カナダのトリニティ・カレッジへ移ったが、妻はそこで亡くなり、数年後慶應義塾大学に戻った。『日本の仏教』『日露戦争の英雄 東郷元帥』の伝記などの著作もあり、「ちりめん本」の『東の国からの詩の挨拶』は1896年に、『白菊』は1897年に英訳が出た。他に紅葉の『金色夜叉』の英訳もあるようだ。後に書く『日本の噺家』の著者オスマン・エドワーズとは親しくつき合っていて。おそらく彼を長谷川に紹介したのはアーサー・ロイドではないかと思う。1911年、東京で亡くなった。」
(石澤小枝子『ちりめん本のすべて:明治の欧文挿絵本』2004年、三弥井書店、155-160頁より)

「カール・フローレンツ(1865-1939)はいわゆる御雇外国人として1889年から1914年まで東京帝国大学でドイツ文学・ドイツ語を講じ、帰国後はドイツにおける日本学(Japanologie)を創始した人物として知られる。上記『日本文学史』(Geschichte der japanischen Litteratur. 1904.のこと;引用者注)の他に『東方からの詩人の挨拶−日本の詩歌』Dichtergrüsse aus dem Osten: japanische Dichtungen(1894)、落合直文の詩集『孝女白菊の詩』を翻訳した『日本の詩歌−白菊、浪漫的叙事詩およびその他の詩』Japanische Dichtungen: Weissaster, ein romantisches Epos, nebst andern Gedichten (C.F. Amelang. T. Hasegawa. 1894)、『色とりどりの小品』Bunte Blätter: japanischer Poesie (T. Hasegawa, 1896)といった詩歌に関する翻訳の仕事があり、フローレンツのこれらの訳業を起点にして、同時代のドイツ語圏およびその周辺における日本詩歌の翻訳文化が始動していったと考えられる。」
(坪井秀人「モダニズムの中の〈和歌歌曲〉–山田耕筰、ストラヴィンスキーそのほか」池内敏編『JunCture: 町域的日本文化研究』第5号、2014年、名古屋大学大学院文学研究科附属「アジアの中の日本文化」研究センター所収、142頁より)