書籍目録

「古の時代のイタリアにおける日本使節:歴史的覚書と関連史料」

ベルシェー / (天正遣欧使節)/ (慶長遣欧使節)/ (岩倉使節団)

「古の時代のイタリアにおける日本使節:歴史的覚書と関連史料」

(雑誌『ヴェネト・アーカイブ』第13号、第14号収録記事より)  1877年  ヴェネツィア刊

Berchet, Guglielmo.

LE ANTICHE AMBASCIATE GIAPPONESI IN ITALIA. SAGGIO STORICO…CON DOCUMENTI.

Venezia(Venice), Marco Visentini, 1877. <AB2022121>

Sold

(Estratto dall’ArCHIVO VENETO Tom. XIII e XIV)

4to (17.0 cm x 25.8 cm), Original front cover, Title., Front., Half Title., pp.[1], 2-138, original back caver, followed by 32 pp. other small work, Contemporary red cloth binding.
図書館旧蔵本のためラベルと押印あるが、概ね良好な状態。[NCID: BA45431235]

Information

岩倉使節団によって「再発見」された両遣欧使節について、岩倉の命によってなされた関連史料の調査報告

「九州のキリシタン大名大友宗麟、大村純忠、有馬晴信の三侯が、天正年間にローマ教皇グレゴリオ13世に、また奥州の大名伊達政宗が、慶長年間にローマ教皇パオロ5世に、それぞれ使節を派遣したことは世上周知のとおりであるが、本書はこれら両使節に関係ある当時の史料を蒐録したものとして、ボンコムパニの著書とともに、キリシタン史研究上見逃すことのできないものである。
 グリエルモ・ベルシェーが本書を執筆するに至った動機は、岩倉具視一行が米欧諸国歴訪の途次、たまたまヴェネツィアに立寄ったのに端を発するが、著者はこのことについて次のように述べている。
 1873年5月27日午後5時、右大臣兼外務卿岩倉具視、参議木戸孝允、大蔵卿大久保利通、工部大輔伊藤博文、外務小輔山口尚労らは、多数の書記官、通訳官を従えてヴェネツィア駅に到着、イタリア政府およびヴェネツィア市民代表の出迎えを受け、日の丸の国旗を掲げた6隻のゴンドラに分乗し、出迎人等の乗った多数のゴンドラを従えて大運河を下って宿舎グランド・ホテルに入った。一行中木戸は直ちに日本へ、伊藤はミラノに向って出発したが、岩倉およびその他は数日間ヴェネツィアに滞在し、自分は一行の市内見物や工場見学などの案内に当った。そして5月29日、有名なフラーリ古文書館 Archivio dei Frari に一行を案内したとき、館長は1585年(ママ)ヴェネツィアを訪れた日本使節署名の書簡数通を示した。これら書簡は、使節一行にとって大へん珍しかったので、岩倉大使は随員の久米邦武に書簡の署名を模写せしめ、自分に対してはヴェネツィア以外のイタリアの古文書館についても、関係文書を調査するように命ぜられた。
(中略)そしてヴェネツィアを初めイタリア各地の古文書館を探査したり、日本の歴史を読んだりして、1585年の使節およびその他の使節がイタリアを訪れた当時の真正な史料を出来るだけたくさん蒐めようと決心した。その結果、ローマ、フィレンツェ、モデナ、マントバ、ヂェノバなどの古文書館で、かなりの数に達する関係史料を見出すことができた。一応蒐集が終ると、自分はその写しを東京の岩倉右大臣に送付し、またヴェネツィアで発刊されている学術誌 Archivo Veneto の編輯長フリン氏 Fulin の厚意によって、1877年の同誌第13号(245-285頁)、第14号(150-204頁)に、両度の使節に関する歴史的解説と関係史料を掲載し、さらに同年やや良質の用紙を用いて単行本(本書のこと:引用者注)を出した。
 以上は、本書成立の経緯に関するベルシェーの記事の要旨であるが、とにかく彼はわずか4、5年で岩倉大使の命に答えることができたのである。
 本書の印刷が成ると、ベルシェーは1877年10月、ローマの日本公使館を通じて、本書9部を天皇陛下、岩倉右大臣、寺島外務卿およびその他に献本し、寺島外務卿は翌年7月、200円程度の物品を贈って、ベルシェーの労に報いた。(中略)
 ベルシェーは、明治13年9月30日から大正2年6月16日死亡するまで、ヴェネツィア駐在の日本名誉領事で、勲三等瑞宝章を授けられた。
 彼はヴェネツィアの国立ヴェネト科学、文学、芸術院 R. Istituto Veneto di Scienza, Lettere ed Arti のメンバーで、同院で刊行した紀要 Archivio Veneto にしばしば研究を発表しており、マルコ・ポーロの研究者として知られたヘンリー・ユールと親交があったことなどから見ても、なかなかの学者だったらしく思われる。」
(吉浦盛純『日伊文化史考』イタリア書房出版部、1968年、116-112ページより)