書籍目録

『京都とその近郊地の名所案内』

山本覚馬 / 丹羽圭介 / 石田旭山

『京都とその近郊地の名所案内』

同志社大学所蔵本複製版 1981年(1873年) 京都刊

Yamamoto, K(akuma). / Niwa, Keisuke.

THE Guide TO THE CELEBRATED PLACES IN KIYOTO & THE SURROUNDING PLACES (BY K. YAMAMOTO).

Kiyoto(Kyoto), [SCREEN Holdings Co., Ltd.] (Niwa), 1981 (1873, The Sixth year of Meiji). <AB2022114>

Sold

Reproduced edition (from the originals kept at the Doshisha University Library, Kyoto, Japan).

16.4 cm x 18.0 cm, Title., 2 leaves, folded map, pp.1-47, Original paper wrappers.

Information

日本で最初に刊行された英文ガイドブックの複製版

 本書は、日本で最初に刊行された英文ガイドブックとして知られる作品の複製版で1981年に製作されたものです。本書の原著は、東京遷都後に衰亡の危機にあった京都の復興を祈念して1873年(明治6年)に開催された京都博覧会に合わせて山本覚馬が製作したもので、博覧会に際して例外的に外国人による入洛が認められたことに呼応して、英文で京都とその近郊の名所を案内するガイドブックとして刊行されました。京都府がドイツから輸入した印刷輪転機を用いて、丹羽圭介、山本八重の助力を得て組版、観光がなされた京都における英文活版印刷の嚆矢ともなった作品で、収録されている銅版画は、大日本スクリーンの前身に当たる石田旭山印刷所が担いました。この画期的な英文京都ガイドブックはその後、1881年(明治14年)ごろまで改訂が施されながら再版が繰り返されたことが近年明らかになっており、常に最新の情報を提供するという、現在のガイドブックに見られる特徴をすでに備えていたという点でも注目すべき作品です。本書は、同志社大学図書館が所蔵する1877年(明治10年)頃に刊行されたと思われる版を底本として、1981年に大日本スクリーンによって復刊されたものです。


「『覚馬名所案内』は、明治維新後衰退した京都復活の起爆剤として開催された京都博覧会に、入京が許された訪日外国人のために発行された。明治初期に日本人の手によって、英語で書かれた日本初の画期的な名所案内であった。
 『覚馬名所案内』の序文をいかに拙訳で示したい。

「この小冊子は京都博覧会に来場された外国人訪問客の為に作られました。来京された外国人の方にとっては、名所や素晴らしい場所をちゃんと訪問できるかご心配でしょう。ご自分の国に話しのタネを持ち帰りたいでしょう。土産話となる名所をすべて訪問できるかどうか、と思われる時には是非このガイドブックを持参してください。そうすればこの本はとても使い勝手がある事がわかります。」
 
この序文が示すように、著者である山本覚馬は、明治維新後初めて外国人に開かれた京都が、国際観光で発展する絶好の機会ととらえた。
 『覚馬名所案内』は表紙、銅版画の違い、又微妙な文章の違い等から初版から数年間版を重ねたことがわかる。(中略)
 複数の改版は冊子が好評の内に数年に亘って頒布され、また読者が見やすいように改良されたと思われる。また、日本文化を英語で紹介する「外国人観光のための英語表現」や京都のインバウンド観光の始まりを象徴する興味深い1冊である。」
(千代間泉『日本初の英文ガイドブックの制作背景と改訂についての研究:山本覚馬序文『京都とその近郊の名所案内』(1873)を題材に」『日本国際観光学会論文集』第27号、2020年所収論文、63ページより)


「昭和55(1980)年、当時の秘書課長(当時)へ同志社大学図書館職員の方から連絡がありました。「同志社大学の図書館に蔵書されている『京都案内書』に、”GRAVERKIOKUZAN. I. KIYOTO, JAPAN.”と書かれているが、石田旭山氏のことではないか」さっそく確認したところ、『京都案内書』の挿絵となっている銅版画が、すべて石田旭山印刷所(大日本スクリーンの前身)で製作されたものであることがわかり、故・石田徳次郎前会長が、当社の沿革や歴史PR用のノベルティとしてレプリカを作ることを決めました。同志社大学から原本を借用し、製版(全ページをカメラ撮影)、印刷を行い、昭和56(1981)年2月に最初のレプリカが完成しました。
「もう一度、レプリカを作りたい」故・石田徳次郎前会長の意思を継ぎ、石田明会長(当時:社長)が改めてレプリカを作ることに決めました。平成2(1990)年4月に2度目のレプリカ『京都案内書』が完成しました。」
(株式会社SCREENホールディングスHPより)