書籍目録

『横浜ガイド』

[グリフィス]

『横浜ガイド』

1874年 横浜刊

[Griffis, William Elliot]

THE YOKOHAMA GUIDE.

Yokohama, F. R. Wetmore & Co, 1874. <AB2022113>

Sold

11.0 cm x 17.0 cm, pp.[1(Title.)-6], 7-39, 1 folded map, Original paper wrappers.

Information

在日西洋人によって刊行された記念すべき日本最初の英文ガイドブック

 本書は、日本で刊行された最初期の英文ガイドブックと言えるもので、明治初期にアメリカから来日したお雇い外国人グリフィス(William Elliot Griffis, 1843 - 1928)によって書かれています。幕末から明治初期にかけて横浜や神戸といった居留地に滞在する外国人や旅行者が急増していっていたにもかかわらず、外国人のための手頃な旅行ガイドブックが刊行されていなかったことに鑑みて刊行された、横浜とその近郊を簡便に紹介したガイドブックです。わずか40ページ弱の小冊子ではありますが、外国人旅行者、滞在者が利用しうる、在住者による英文ガイドブックの嚆矢として、日本のツーリズム史において大変重要な位置を占める作品と言えます。

 グリフィスはラドガース大学で福井藩からの留学生と出会い、その縁で福井藩の藩校である明新館で1871年から理科の教鞭をとりました。その後、東京へと移り大学南校でも教鞭をとり、1875年に帰国してからは、自身の日本滞在記と日本史研究を『ミカドの帝国(皇国)』(The Mikado’s Empire. New York, 1876)として刊行し、大いに好評を博しました。本書はグリフィスが帰国する直前に刊行されたものと思われ、1874年に横浜で印刷、出版がなされています。グリフィスは序文において、マレーやベデカーといった当時を代表する欧文ガイドブックの日本編が刊行されることを待ち続けていたが、一向に刊行されないため、自身の力量不足を自覚しながらも筆をとることにしたという旨を述べており、当時、日本を旅行したり、滞在している西洋人のため英文ガイドブックが存在していないことに、グリフィスのみならず多くの人が問題を感じていたことがうかがえます。

 本書はグリフィスが述べるように本格的なガイドブックとは言えない簡便なものではありますが、旅行が必要とする最低限の基礎知識やガイダンスを簡便にまとめた内容となっており、横浜とその近郊の概要、日本で用いられている度量衡や、横浜を起点とした旅行地の案内、かけられる日程ごとに応じて作成されたモデルルート(Skelton Tour)の紹介といったガイドブックとして必要とされる項目が一通り揃えられています。また、日本史の簡単な案内や、日本語の発音帳、旅行で必要とされるフレーズ(とっさのひとこと)までもが掲載されており、むしろ懐中に入れて旅行することのできるコンパクトさを活かしていつでも取り出すことができる、実用性の高いガイドブックとなっていることがわかります。巻末には折り込みの横浜とその近郊を描いだガイドマップも収録されており、後年のガイドブックやパンフレットに盛り込まれる基本的な内容がほとんど備えられていると言えるでしょう。

 本書はコンパクトな小冊子ながら、日本に滞在している西洋人によって刊行された日本最初の英文ガイドブックとして、ツーリズム史において重要な位置を占める作品と考えられますが、日本国内で小冊子として刊行されたことが影響してか、現存するものが非常に少なく国内での所蔵期間も非常に限られたものとなってしまっているようです。本書は刊行当時の表紙を保っており、折り込みの地図も完備していることから、大変貴重な現存本と言えるでしょう。

「『旅行者』という単語が初めて登場するのは、1874(明治7)年に出版された資料③グリフィスの『横浜案内』が最初である。

 「 横浜は魅力にあふれた土地であるが、旅行者(tourist)にアクセスしやすいガイドの形態は、まだ存在していない。日本文学には、古物・伝説・伝承研究においても貴重な資料が数多く存在する。それらは日本の知識人や侍であれば誰でも見たり読んだりできるにもかかわらず、日本の神聖な儀式に興味を持っている外国人たちには、それを見ることも知ることも許されていない[Griffis 1874a: PREFACE]。」

 ここで、はじめて「tourist」という単語が、明確に本文に登場した。これは、対象とする読者が居住者ではなく旅行者を明確に設定していることが確認できる点で非常に大きな変化であると言える。日本を訪れる旅行者は1874(明治4)年当時すでに存在していたと分かる。そして、外国人というだけで自由に見せてもらうこともできなかった背景には、欧米諸国との条約の中に、外国人の行動範囲を著しく制限する文言が含まれていた事実も含まれている。という時の外国人たちの居住区域は通商条約によって定められており、彼らに許された自由な行動範囲の権利を内地旅行権と言う。そして、『横浜案内』の読者は、以下のように想定されていた。

 「この本は筆者の微力な助けなど必要としない日本の研究者に向けて作られたのではなく、日本文化に専門的な情報を求めない短期旅行者(the hasty tourist)や外国人居住者(the old resident)の方々に役立つだろう。(中略)この本を使ってくださる方々が、小旅行をより楽しんでいただけることを望みつつ、「サヨナラ」という言葉で締めくくらせていただきたい。[Griffis 1874a: PREFACE]。」

 ここから、想定されている読者が短期旅行はと古くからの外国人居住者の2種類であることがわかる。『横浜案内』では、横浜の概要が外国人居住区の描写を中心に描かれている。特に『横浜案内」は、外国人居住地内の詳細な説明にページが割かれている。当時通じていた汽船会社のリスト、外国の領事館、教会、英語の通じるホテルや旅館、商店、クラブ、新聞社の十雨所や説明が詳細に描かれている[Gfirris 1874a: 10-11]。安全かつ清潔に生活が営める、当時日本を訪れた外国人たちの生活条件の最低限を揃えていることを強調している印象を与える。外国人たちにとって、日本はまだアン園確保の確認が必要であったほど情報が乏しかった事実が伺える。安全であるということ、外国人たちの生活条件が整っていること。この2点が、当時の外国人短期旅行者・居住者にとって、日本を訪れる際に第一に確認するべき重要な要素であったことが伺える。(中略)
 確かに、グリフィスの『横浜案内』『東京案内』は、のちの旅行ガイドブックに比べるとヴォリュームや記述内容の詳しさや専門性などは比較にならないほど簡単なものである。しかし、街の概要から名所案内、スケルトン・ツアーというモデルコースを幾通りも紹介し、さらにはごく簡単な日本語の単語集も巻末につけている。特に、スケルトン・ツアーの登場は、効率よく名所巡りを行うことで時間や手間の短縮を図る短期旅行者の増加を読み取ることができる。1日から1週間で合理的に横浜ないし東京とその周辺地を満喫して次の予定や日程をこなそうとするその姿は、まるで各地を数日間の滞在で巡っていく世界周遊旅行者と重なるのである。(後略)」
(長坂契那「明治初期における日本初の外国人向け旅行ガイドブック」『慶応義塾大学大学院社会学研究科紀要:社会心理学教育学:人間と社会の探究』第69号、2010年所収論文、108-110ページより)