書籍目録

『小宇宙鑑』(『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』/『和蘭全躯内外分合図』)

レメリン / (本木庄太夫) / (ライネ)/(鈴木宗云)

『小宇宙鑑』(『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』/『和蘭全躯内外分合図』)

[第3版] [1639年] [ウルム刊]

[Remmelin, Johann]

[CATOPTRUM MICROCOSMICUM. SVIS ÆRE INCISIS VISIONIBVS SPLENDENS CVM HISTOria & Pinace, de nouo prodit].

[Vlmæ(Ulm)], [Iohannis Görlini], [M.DC.XXXIX.(1639)]. <AB202251>

Sold

[Third edition]

Folio (32.8 cm x 44.2 cm), [LACKING Title., pp.1, 2], pp.3, 4, [LACKING pp.5-8], pp.9(VISIO CATOPTRI MICROCOSMICI PRIMA), pp.16(i.e.10), 11-15(VISIO CATOPTRI MICROCOSMICI SECUNDA)-21(VISIO CATOPTRI MICROCOSMICI TERTIA)-24, [NO LACKING PAGES], pp.27(i.e. 25), Disbound, housed in half vellum marble boards.
紙葉1枚ずつがそのままの未製本の状態。タイトルページ、テキスト数葉に欠落あるが、図版3枚はほぼ完全な形で残っており良好な状態。

Information

「日本で初めて翻訳された解剖書」となった画期的な立体フラップで構成された大型銅版解剖図

 本書は「日本で初めて翻訳した解剖書」とも称される1682(天和2)年頃の訳本『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』の原著となった作品で、1639年にウルムで刊行された非常にユニークな解剖図譜です。フラップ状に幾層にも重ねて貼り合わされた精密な銅版画で構成された大型の解剖図が最も特徴的な作品で、このフラップ状の紙片をめくっていくことで人体の内部構造を表層から内部へと視覚的に理解できるような造りとなっています。本書はタイトルページや解説テキストを数枚欠いているものの、この作品において最も特徴的かつ重要である繊細な図版がほぼ欠けることなく現存しているという大変貴重な現存本です。

 本書の著者であるレメリン(Johann Remmelin, 1583 - 1632)は、本書が出版されたドイツ南部のウルム出身で、バーゼルで医学位を取得したのちにウルムに戻り、市付き医師として活躍したことが知られています。本書『小宇宙鑑』は、医師レメリンが、当時のヨーロッパにおける解剖図の権威であったヴェサリウス(Andreas Vesalius, 1514 - 1564)の『人体構造図(ファブリカ)』(De humani corporis fabrica. 1543))を参照しながら自身で描いた3枚の解剖図(男女図、男性図、女性図)を、アウグスブルク出身の銅版画家であるキリアン(Lukas Killian, 1579 - 1637)に依頼して銅版画に仕立てた作品で、この銅版画は単なる解剖図ではなく、細かに彫り込まれた銅版画紙片を幾層にも重ねて貼り合わせることで人体の内部構造を表層から内部にかけて立体的に表現し、しかもフォリオ大の大型銅版解剖図としたという大変ユニークな作品です。『小宇宙鑑』に見られるようなフラップ状の紙片を組み合わせた銅版解剖図は、同書以前にも16世紀から数例存在していたことがわかっていますが、『小宇宙鑑』に収録された銅版解剖図は、その大きさ、精密さにおいて、それまでにない完成度の高さを誇るものとして画期的な作品となりました。この繊細な銅版解剖図画はその版によって枚数が異なるようですが、おおよそ合計百数十枚にもなる紙片で構成されており、この膨大な数の紙片を手作業で貼り合わせて作成された『小宇宙鑑』がいかに画期的な作品であったのかが分かります。『小宇宙鑑』は1613年のラテン語初版刊行以降、ヨーロッパ各地で大きな反響を得て幾度も版を重ねたほか各国語にも翻訳され、その一つが後述するように、1682(天和2)年頃の訳本『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』という日本語版へと結実することになりました。

 本書の初版は1613年にラテン語で刊行されましたが、この初版本は特徴的なフラップ状の大型銅版解剖図3枚だけで構成されており、解説テキストは別巻として1614年、1615年に刊行されています(この解説巻の現存本は両本が合冊されていることがほとんどのため、実際には同時に合冊本として刊行されたものと推定されている)。初版本は著者レメリンの名が明記されていないことから、彼の預かり知らぬところで刊行されたとも言われていますが、実際には銅版画の作成も含めレメリン自身の深い関与があったことが分かっており、その出版方式をめぐって出版社とレメリンとの間に意見の齟齬があったものの、レメリン自身が原図を作成したことは間違いないようです。1619年には著者レメリンの名が明記された第2版が刊行され、この第2版において、図版とテキストが初めて一つの作品へと統合されたことから、第2版が『小宇宙鑑』の完成形となりました。本書はこの第2版の構成を引き継いだ第3版にあたると思われるもので、1639年に刊行されています(第2版と第3版とは、図版テキストともにほぼ同じ内容となっていますが、タイトルページの刊行年やわずかに異なるテキストの版組から両者を見分けることが可能です)。初版と第2版(並びに本書第3版)間の図版の相違点としては、レメリン自身が第2版の序文で述べているほど大きなものではなく、心臓にあたる箇所の図版が付け加えられていることや、装飾のあり方が変更されていることなどの数箇所に止まっていることが明らかにされています。

 レメリンの『小宇宙鑑』は、原著ラテン語版が繰り返し再版されただけでなく、ヨーロッパ各国語にも翻訳され、1632年にはドイツ語訳版が、続いて1634年にはラテン語・和蘭語訳併記版が、また刊行年不明のフランス語訳・英語訳併記版が、そして1670年には英語訳版が刊行されています。これらの翻訳版もそれぞれ版を重ねただけでなく、18世紀に入ってからも別の作品へと形を変えながらその内容や図版が引き継がれていったことから、レメリンの『小宇宙鑑』は、ヨーロッパ中において長期間にわたり大きな影響を及ぼしたことがわかります。このうち日本と最も関わりが深い版は言うまでもなくオランダ語訳版で、オランダ語訳版は、上述の1634年の初版に続いて、1645年、1667年にも再版がなされています。これら3種のオランダ語訳版のうちいずれの版が日本語訳版の底本となったのかは厳密には定かではありませんが、江戸時代に日本にもたらされた同書の現存本から推定するとおそらく1667年版だったのではないかと考えられています。

*レメリン『小宇宙鑑』の諸版の変遷と特徴については下記を参照。
Kenneth F. Russell.
A bibliography of Johann Remmelin the anatomist.
East St. Kilda, Vic.: J. F. Russell. 1990?

 レメリンの『小宇宙鑑』オランダ語訳版が日本へともたらされたのは、おそらく1674年から1675年にかけての頃と推定されており、オランダ商館付き医師として当時日本に滞在していた高名な医師ライネ(Willem ten Rhijne, 1649 - 1700)が、同書を手にして彼を訪ねてきた本木庄太夫の質問に答える形で翻訳作業が進められ、1682(天和2)年頃には『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』と名付けられた訳書が長崎奉行に提出されました。この日本語訳書は、「日本で最初に翻訳された解剖書」とされており、後年の著名な翻訳書である杉田玄白らによる『解体新書』よりもおよそ1世紀近くも先んじていたという驚異的なものです。『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』は、テキスト部分の翻訳は行わず、図版の簡単な見出し項目の翻訳にとどまっていたと考えられていますが、『小宇宙鑑』の最も特徴的な複雑で繊細なフラップ状の解剖図の再現に成功しており、それまで日本の医師の間では知られていなかった器官の名称の訳出や解説がなされているなど、日本における医学書としても画期的な作品で、その後も写本の形で一部の蘭方医の間で流通したことがわかっています。しかしながら、その繊細な作りやある意味では仇となってしまい、残念ながら刊本としては当時広く普及することはなく、鈴木宗云によって再評価されて、復元刊本版として『和蘭全躯内外分合図』と題して刊行されたのは、ようやく1772(安永元)年になってからのことでした。

「訳本を作ったのはオランダ通詞本木庄太夫(1628-97)であった。庄太夫がどういう経緯からこの翻訳を手がけたのかは正確にはわからない。しかし、翻訳は一人で行われたのでなかった。オランダ人医師が助けた。その人は翻訳の行われた年代から推定してオランダ人医師テン・ライネ(Willem ten Rhijne, 1647-1704)とほぼ断定してよいだろう。(中略)
 こうして生まれた西洋解剖書は長い間、一部の人々の間で写本のまま出回っていた。しかし、先に述べたようにこの解剖図は作り方が複雑である。そのために原本の姿が時の経つにつれて崩れていった。それがこの解剖書の真価をいっそうわかりにくくしたといえる。しかし、それ以上にレメリンの解剖書が訳された17世紀ではまだ日本では人体解剖が行われていなかった。このことがこの本、ひいては人体解剖の値打ちを認めるに至らなかった原因であったといえよう。
 事実、1754年(宝暦4)に山脇東洋らがはじめて人体解剖を公許を得て行い、その成果をまとめて『臓志』が出版された1759年(宝暦9)のあとに本木庄太夫の訳書の真価が認められたのである。その価値を認めたのが京都医師鈴木宗云。1772年(安永元)のことであった。鈴木はまさに消滅せんばかりの同解剖書を探し出し、数種を照合して、手を加えて『和蘭全躯内外分合図』と題をつけて出版した。それは『解体新書』刊行の2年前のことである。」
(酒井シヅ「日本最初の西洋解剖書の翻訳:レメリン解剖書の訳本と17世紀の蘭方外科」原三信(編)『日本ではじめて翻訳した解剖書』思文閣出版、1995年所収解説、84ページより)

 レメリン『小宇宙鑑』は、このように日本における西洋解剖書の嚆矢となる訳本を生み出すことにつながった蘭学史、日本医学史上において非常に重要な作品です。『小宇宙鑑』は上述したように幾度も再販され、また各国語への翻訳版も数多く出版されましたが、その極めて繊細な作りはヨーロッパにおいても大量部数を製作することの大きな妨げとなり、また欠落の少ない現存本が極めて少ないという現状にもつながることになりました。本書はタイトルページやラテン語による解説テキストが数枚欠落しているということがあるものの、『小宇宙鑑』において最も重要な3枚の解剖図についてはほぼ完全と言える形で残されており、大変貴重な現存本と言えるものです。日本国内で同書を目にすることができる機会は『解体新書』の原著であるクルムス(Johann Adam Kulmius, 1689 - 1745)の解剖書『ターヘル・アナトミア』(Ontleedkundige Tafelen... Amsterdam, 1734)と比べても大変少ないため、企画展示等にも大いに役立つものではないかと思われます。


「明和 9 年(1772 年)長崎 本木了意翻訳 周防 鈴木宗云撰次 雲行斎成美堂蔵版の『和蘭全躯内外分合図』および『験号』は層をめくる仕組みは同様であるが,やや異なる体裁で作られている。レメリン 原書では全身像の周りにちりばめてある臓器のそれぞれが別の図としてつくられ編集してある。そのほかの上記 2 書と大きく異なることを挙げると次の点を挙げることができる。

1. 体表の脈管図がない。
2. 男女対面図がない。
3. 男女対面図のそれぞれが踏んでいる足台がない。
4. 男女対面図の間の神の図がない。
5. 原本では男性図,女性図がそれぞれ頭蓋骨を踏みつけているが分合図では不自然な脚の挙げ方で描かれている。
6. 2書に見られる天使図,キリスト架刑図,蛇等の装飾図は全く描かれていない。

 レメリン書の初版後,約 70 年には,鎖国下の日本で『阿蘭陀経絡筋脈臓腑図解』として和訳本が成立し写本として現在 4 書が残っているとされる。その後,約 90 年を経て,版本『和蘭全躯内外分合図』 および『験号』として出版されたことも,人体解剖が一般的な医学修学でなかった時代においては大きな意味を持つと考える。また『和蘭全躯内外分合図』を,実際に手にしてみると制作に高度の技術が必要なものであることを実感する。『験号』の記述についても西洋医学の用語の一般化していない時代に本木了意が長崎の通詞としての役務の一部として翻訳したとされる以上の意味があったと思われる。
 レメリン解剖書の出版は数次にわたり,広く学ばれたと考えられるが,CT や MRI にて人体の断面をみることのできるようになった現代医学の視点から見ると,立体である身体を断面としてヴァーチャル 化してリアリテイを持った書物としたことには興味深いものがある。」
(渡部 幹夫「Leiden 大学に所蔵されるレメリン解剖書 2 書と『和蘭全躯内外分合図』について」第114回 日本医史学会・第41回 日本歯科医史学会 合同総会 一般演題より)