書籍目録

『余は如何にして基督信徒となりし乎』

内村鑑三著 / グンデルト、エーレル訳

『余は如何にして基督信徒となりし乎』

ドイツ語訳 最終改訂第5版 1923年 シュトゥットガルト刊

Utschimura, Kanso. / Gundert, W(Illhelm). / Oehler, Luise

Wie ich ein christ wurde: Bekenntnisse eines Japaners.

Stuttgart, D. Gundert (in Stuttgart), 1923. <AB2017129>

Sold

[fünfte Auflage] (13.-18. Tausend.)

13.0 cm x 19.2 cm, Front (Portrait), pp.[1(Title) - 3], 4-158, 1 leaf, Original half cloth on card boards.

Information

第一次世界大戦終結を受けて刊行されたドイツ語訳 最終改訂第5版

内村鑑三の『余は如何にして基督信徒となりし乎』は、英文で書かれ1895年に著者の念願であった海外出版社からの刊行、すなわちFleming H. Revell Companyからおよそ500部が刊行されます。同年に国内で刊行した英語版の出来に非常に不満を持っていた内村は、このアメリカ版の出版を大変喜びました。この書は非常に好評であったと言われていますが、残念ながら僅か500部を印刷した初版でもって絶版となってしまいます。

 しかし、このアメリカ版の出現により、プロテスタント諸国から本書への注目が集まり、また日露戦争を契機として日本への関心が高まっていたこともあって、まずドイツ語版が1904年に登場することになります。このドイツ語版は英語版をはるかに上回る人気を博したようで、すぐさまに増版が決まり、また15年以上にわたって改訂を加えながら版を重ねていきます。この詳しい経緯については、下記に引用した文章に譲ることにして、ドイツ語版の書誌的な情報を整理すると次のようになります。 

初版(1904年)数千部発行
第2版(1904年)数千部発行
第3版(1905年)3千部発行

⇨3版までは、版を重ねているものの、内容については同じと思われる。第3版までに合計で約1万部が発行された。

第4版(1911年)3千部発行

⇨訳者による序文が改訂、増補される。附録として新たに英文短編を独訳して多数収録しており、おそらく実質的には初の改訂増補版。第4版までで合計で約1万3千部が発行された。

第5版(1922年)5千部発行

⇨著者による新序文、訳者による序文の改訂。第一次世界大戦後という時流を意識して出された(最終)改訂版。

 本書は、上記のうち最終改訂版にあたる第5版です。第一次世界大戦終結を意識して刊行された改訂増補版で、上記の通り訳者による序文が新たに書き直されており、そして内村自身の序文も新たに書き直されていて、そこには、第一次世界大戦におけるドイツの敗戦があったとはいえ、内村のドイツに対する親愛の情は、(帝国主義的ドイツに対してではなく)信仰と観念論哲学の祖国ドイツに対して揺るぎなくあった旨や、敗戦による植民地放棄こそが真のドイツを明らかにしていくであろうこと、そして、本書がささやかながらもドイツ復興の支えの一助となることを願う内容が書かれています。

 興味深いことに、本書では、第4版から収録されている付録の収録内容が変更がされており、第4版では最後に収録されていた小論Unsere Fesselnが、本書では削除されています。内村と訳者による意図がどのような点にあったのかは、日独をめぐる時代背景の変化なども踏まえると、これは大変興味深い点と言えましょう。

 また、装丁もそれまでの版を踏襲しながらも、新たに背をクロスで補強した丸背の装丁としています。刊行当時のものと思われる旧蔵者(ライプチヒのルター派教会)の印が押されており、本書の当時の需要のあり方を物語っています。本書は、内村の思い入れが特に強かったと思われるドイツ語版の最終改訂版として、大変重要な資料と言えるものです。

 
「初版発行の年から10年、本書の価値は広くヨーロッパのプロテスタント国民の間で発見されることになる。その端緒は一ドイツ人によって開かれた。ウィルヘルム・グンデルトはドイツのスツットガルト市の出版社の子であった。彼が後年日本で本文の筆者に語ったところによれば、ある日彼は日本YMCA機関誌『開拓者』の英文欄に『余は如何にして基督信徒となりし乎』の著者内村鑑三に関する記事を読み、日本からその書を取り寄せて一読し、ふかい感激にうたれた。彼はそれを翻訳してドイツ国民に紹介しようとおもい、その訳出をルイゼ・エーレル嬢(Fräulein Luise Oehler, チュービンゲン大学旧約聖書進学教授の女)に依頼し、彼女の訳稿に彼自身さらに手を加え、簡単な紹介の言葉を附して、彼の父の経営するグンデルト書店(Verlag von D. Gundert)から出版した、という。1904年(明治37年)であり、日本では日露戦争のはじまった年である。このドイツ語訳の表題は、つぎのようである。

Wie ich ein Christ wurde./Bekenntnisse eines Japnaers./Von/Kanso Utschimura./Rechitmäßige Verdeutchung./Stuttgart 1904.

 当時、著者はこのドイツ語役についてこのように書いている、
「近頃独逸国スツットガート市に於て発行になりし内村生英文原著、独逸訳『余は如何にして基督信徒となりし乎』は欧州大陸の宗教界に於て非常の好評を博し、初版数千部は忽にして売切れ、今や再版なりて、同じ歓迎を継けられつつある、そうして独逸、澳地利、瑞西の読者より態々書を著者に寄せ、彼に同情を表すると当時に、亦此戦争に際して彼の生国なる日本に同情を表し来る者もある、又独澳両国の宗教新聞の或者は長文の評論を掲げ、著者の教会論には反対を表する向きもあれども、彼の信仰の大体に向ては多大の同意を表しつつある、…此著が此時に方て、然かも露国贔負を以て目せられる独逸国に於て顕はれk少しなりとも日本人の意思を発表しつつあることは、余輩に取りては神の特別の摂理とほかドウしても思はれない、云々」(明治37年8月発行『聖書の研究』55号所収「内外見地の差違」)と。(中略)

 1910年(明治43年)版(恐らく1911年版、すなわち本書のこと、の間違い:引用者註)には彼の紹介の辞は拡大され、第一次世界大戦後には、改版・改装され、著者の「余の独逸国の友人に告ぐ」という新しい序文(本書235ページ所収)と、訳者の解題と、附録として著者の英文短編数篇のドイツ語訳を加えて、刊行された(ここで言及されている附録は、その前の1911年版(第4版)においてすでに収録されており、この点は著者の間違いであると思われる:引用者註)。1923年(大正12年)5月17日の著者の日記に「今日はスツットガルトより『余は如何にして基督信徒となりし乎』の独逸訳新版が着して嬉しかった。今日までに彼国に於て1万3千部売れ、今回新たに5千冊刷ったと云ふ事が記してあった。之に依て観て海外に於ける余の同情は最も多く独逸に於て在る事が判明る」とある。著者の感慨をうかがうに足るは言うまでもないが、本書のドイツにおける数字的報告としてもまた興味あるものであろう。」

内村鑑三著、鈴木俊郎訳『余は如何にして基督信徒となりし乎』(岩波文庫、1958年改版、解説より)

タイトルページと書斎での内村を写した口絵写真。写真の向きが第4版と異なっているが、同じ写真。版表記がなくなっているが、累計発行部数表記から見て、第5版と言ってよいもの。
訳者による序文は、第4版のものをそのまま掲載しつつ、新たに書き起こしたものが追加されている。
内村による新たな序文。第一次世界大戦におけるドイツの敗戦を受けて書かれたもの。
目次。基本的に第4版と同じに見えるが、第4版の付録最後に収録されていた小論Unsere Fesselnが、本書では削除されている。
基本的なデザインはそれまでのものを踏襲しつつも、クロスの丸背製本として内村の自体の色を変えている。