書籍目録

『おはよ』(「狩猟」(影絵漫画)と合冊)

ビゴー

『おはよ』(「狩猟」(影絵漫画)と合冊)

[1883(明治16)年] [東京刊]

Bigot, Gorges.

O-HA-YO. ALBUM.

[Tokyo], [1883]. <AB202231>

¥165,000

22.0 cm x 30.0 cm, Title., 31 leaves, pp.1-10, 1 leaf(blank), Contemporary Japanese paper bound in Japanese style.
前半ページ右下余白部分に傷みが見られるが図版の損傷なし。透明のフィルムカバーがかけられている(取り外し可能)。

Information

江戸から明治へとうつりゆく東京とその近郊の街並みに生きる市井の人々の姿を描いた銅版画集

「明治16年刊『おはよ』はビゴー初の銅版画集である。最初の石版画集『あさ』に続く刊行だったので、朝の最初の言葉である「お早よう」としたのでは、と推測される。『おはよ』の全31作品を見ると、「職業」というテーマで描かれていることがわかる。街角で見かけた働く人々に声をかけ、モデルになってもらったのだろう。社会の底辺で生きている者を描く、ということはレアリスムの画家ビゴーの目的の一つだったのである。
 当然ながら女性の職業は少ない。門付女・花魁・女中ぐらいである。女医・女教師・看護婦が街に見られるのはもう少し後だろう。
 扉絵は日本画の定番「丸窓から見た富士と竹」で日本を象徴し、下方で現実にもどる。警官と壮士のの口論風景だ。明治14年に自由党が結成され、自由民権運動は勢いを持ち出した時代、その支持者である壮士と、それを取り締まる警官との間に、こうした小さな衝突が絶えなかったのだろう。そんな時代にビゴーは日本にやってきたのである。」
(清水勲『ビゴーを読む:明治レアリスム版画200点の世界』臨川書店、2014年、106ページより)

「ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)
ジョルジュ・ビゴーは、フランスにおいて日本への関心が高まりを見せ始めた1860年、パリの5区で下級官吏であった父と細密画を手掛けていた母の長男として生まれた。絵画の道を志していた若き画家は、1875年頃、当時腐食版画で名を馳せていたフェリックス・ビュオーに師事する。日本趣味を持ち合わせたビュオーの周りには数多くの浮世絵があった。ビゴーはアトリエ内で版画のテクニックを習得するだけでなく、情緒あふれる江戸の木版画を目にすることで遠い極東への興味を募らせていった。そして1882年、ついに日本に単身上陸する。そこから17年間をこの地で過ごすことになるとは、本人も予想だにしていなかった。
 19世紀末に日本を訪れたフランス人画家はビゴー一人とは限らない。しかし、西洋人にとって未知の国であった日本で日本語を流暢に話し、助成金なしで日本社会に溶け込み17年もの歳月を過ごした画家は、おそらく彼以外いないのではないだろうか。だが、このビゴーの特徴は、画家のジャポニスムを複雑なものにした。そこには、リアリズムと自然主義の双方から観察された日本と近代化される以前の浮世絵の中の日本が入り混じっているのである。」

「ジョルジュ・ビゴーのジャポニスム
ビゴーの創作意欲は来日以降、勢いを増した。油絵、水彩画、グアッシュ、黒鉛そして版画など、様々な絵画技法を用いて日本人の何気ない日常生活を採り上げるほか、風景や職業、人物像など多種多様な主題を選び、それらを生き生きと描き出した。1882年から1886年にかけて作成された版画には、浮世絵、特に『北斎漫画』から着想を得た痕跡が確認できる。フランスで制作されたものに比べると、細く短い線の連続で表されていた輪郭は、明らかにしっかりとした一本線で描かれるようになり、ハッチングが多用されていた画面は白い部分を意識的に残すようになった。ビゴーの絵画技法に北斎の影響が見られるということは、この画家が十九世紀後半におけるフランスのジャポニスムの芸術家たちと同じ系譜の上にいるということを示している。
 しかし、ビゴーのジャポニスムには、浮世絵からの影響からだけでは検討しえない難しさがある。日本的要素を西洋絵画に取り込んだフランスの画家たちと同様、日本に関する物品を収集し、日本を題材にしたのではあるが、ビゴーが彼らと一線を画するところは、この国の近代化と従来のジャポニスムを合わせた点にある。彼の「日本」は、ジェームズ・ティソやアルフレッド・スティーヴンスのように着物や当地の小物で表現したのでもなければ、またクロード・モネやフィンセント・ファン・ゴッホのように浮世絵から着想を受けて伝統的な絵画技法に改革をもたらしたのでもない。」
(フランス国立図書館「フランス・日本ポータルサイト:フランスと日本」(http://expositions.bnf.fr/france-japon/gallica/bigot.htm)より)

「扉絵は日本画の定番「丸窓から見た富士と竹」で日本を象徴し、下方で現実にもどる。警官と壮士のの口論風景だ。明治14年に自由党が結成され、自由民権運動は勢いを持ち出した時代、その支持者である壮士と、それを取り締まる警官との間に、こうした小さな衝突が絶えなかったのだろう。そんな時代にビゴーは日本にやってきたのである。」 (清水勲『ビゴーを読む:明治レアリスム版画200点の世界』臨川書店、2014年、106ページより)
【学生】「大学生だとすると、明治10年に創建された東京大学の学生である。明治15・16年の段階では東京大学しかなかったからである。当時の東京大学は、理学・法学・文学・医学の四学部で全学生も300人に満たなかった。学生の大多数は士族の子弟であった。提灯は帰りが遅い者にとっての必携品だったろう。夜道はまっ暗だった。ぬかるんだり、凸凹した道を歩くには脚もとを照らさねばならなかった。帽子と髪の毛以外は近代を感じさせるものはない。だが、この青年は、学問という日本の近代化に欠かせない、かつ重要な役割をはたすものを学んでいる自覚を持っていたはずだ。」(前掲書、106、107ページ)
【芸者】 「ロウソクの灯りの中で踊る芸者。隣の部屋の暗さを背景にして、細密な描線で浮き上がっている。銅版の描線は着物の柔らかい質感を見事に表現している。石版表現ではむずかしい細密な表現は、銅版画の魅力をうまく引き出している。」(前掲書、108ページ)
【釣り人】 「(前略)釣り人の姿格好に興味を持ち、モデルになってもらったのだろう。笠・髷・きせる・ふんどし。左手に持つ網は釣った魚を入れるものだろう。小魚を釣っているようだ。四海に囲まれ、川もたくさんある日本は、こんなに手軽に魚が釣れるのだと言いたげな絵である。」(前掲書、108ページ)
【托鉢僧】 「僧侶の読経、鈴を鳴らす音が聞こえそうな細密で絵画として見ごたえのある作品である。とくに、黒く描きこまれた商家の暖簾を背景にしたところ、屋号のデザイン性も強調したところが、この絵に重厚味を与えている。日本らしさを発見したテーマであり、ビゴー銅版画の傑作の一つである。」(前掲書、110ページ)
【床屋】 「(前略)シャンプーのような液体をかけて髪を洗っている西洋風髪剪(かみはさみ)所をスケッチしている。この時代は剪で髪を切って整髪していた。こうした店は明治4年4月、東京常盤橋門外に登場したという。明治4年8月9日(1871年9月23日)の散髪脱刀令の出る前である。」(前掲書、110ページ)
【芝居小屋の見物人】 「(前略)芝居小屋の客席風景だ。芝居だけでなく、客席もなかなか見ごたえあるとビゴーはスケッチしたようだ。彼の筆力からすると何回かチラチラと見るだけで、このくらいのスケッチは描けただろう。喫煙自由、冷房なしなので裸自由、赤子も母乳呑み放題。好きなタバコは吸い放題、猛暑の日でも快適に鑑賞でき、幼児が泣きだして役者のせりふが聞こえない、ということはない。実に合理的だ。日本の夏の蒸し暑さを初めて経験したビゴーは、そう感じたかもしれない。これは佐原の祭りで見かけた地方周りの芝居小屋ではないか。」(前掲書、114ページ)
【郵便配達夫】 「(前略)明治10年代半ばの東京における制服着用の郵便配達夫を描いている。笠をかぶり、流行の色眼鏡をかけている。さすがに靴までは支給されていない。草履と足袋は自前のものだろう。江戸時代、書状は飛脚によって届けられたが、それは明治時代に入ってもしばらく続く。明治4年、東京・大阪間の長距離郵便が実施され、切手売捌所・郵便受取所が設けられ、郵便制度が始まる。明治5年7月には、北海道の一部を除く全国にこの制度が適用された。民間の飛脚屋は、明治8年から貨物運送を行うようになり、書状配達の官営化が達成されることになる。明治10年には万国郵便連合条約に加盟する。ビゴーは明治15年から東京に住むようになるから、パリの母親からの手紙はこうした配達夫によって届けられたのではないか。彼らは横文字(ローマ字)も読めたのだろう。まだ各戸に郵便ポストを設置する習慣がなかったから、配達夫は各戸の玄関で渡したのだろう。この家の門柱には「番地と氏名」の入った標札のようなものが見える。制服の布地の質感、門構えの木材の質感を見事に表現している。」(前掲書、116ページ)
【女給】 「(前略)料理やの女給(この頃は「給女」と言った)が離れの宴席に食事を運ぶところである。ビゴーは彼女の後ろ姿に強い興味を感じたようだ。髪型・襟足・着物・袖・帯・履物は日本独特のものだ。背景の離れの丸窓・屋根・庭の石灯籠・敷石も日本らしさを感じさせるのもので、彼の好む日本趣味を強調する絵になっている。」(前掲書、118ページ)
【車夫】 「(前略)雪の日の人力車夫である。空の暗さに対して地表はまっ白な雪におおわれている。蓑を着て笠を手にした男はまだ若い。驚くべきは裸足である。現代の我々には想像がつかないが、子どもの頃から裸足の生活をしていると、足の皮は靴足の底のようになるのではないか。それでも脚部は寒いだろうが、こちらも顔と同じで、どんな寒さでも耐えられたのかもしれない。彼は地方から出てきた農民のように思える。力仕事に向いた体型だ。東京で人力車が大流行していることを聞き、やってきたのだろう。」(前掲書、120ページ)
【洋服仕立屋】 「(前略)洋服の仕立て職人である。最先端の技術職人であるが、和服で髷を結っている。彼の身支度で近代的なのは眼鏡くらいだ。しかし、洋服に未来を信じ、その技術を身に付けた先見性はすごい。」(前掲書、124ページ)
【洒落者】 「(前略)完璧に洋服を着こなした紳士を描いている。東京の麹町とか内幸町あたりで目にした人物だろう。吸っているのは紙巻煙草か、それとも葉巻か。シルクハットから革靴まで、ばっちり決まっている。ここまで身づくろいできるのは爵位を持つ者か。大資本家か。もちろんシャフはお抱えであろう。車夫に用事を言いつけ、待っているところをビゴーは片言の日本語で話しかけたのではないか。どこかの場所を尋ねたついでに、自分がフランス画家で、様々な日本人を描いているとスケッチ帖を見せ、協力を依頼したのではないか。肖像画でもあるビゴーだから見たとおりに描いただろう。華やかな身づくろいとは対照的に、顔つきがそのバランスに欠けると言いたげな絵になっている。ビゴーのレアリスムは、ついに日本人の顔にまで言及するに至った。幕末・維新の写真を見ると、身長は低いが現代とそれほど変わらない。ビゴーがこの顔を選んだのは、たまたま豪華な身なりをしていたからだ。彼の風刺画家としての才能がもう見えている。」(前掲書、126ページ)
【小学生】 「(前略)明治15年頃の小学生たちである。この時代の小学生の通学姿をリアルに描いたものは非常に珍しい。千葉県あたりで見かけたものかもしれない。」(前掲書、128ページ)
【魚屋】 「(前略)朝早く、仕入れた魚を天秤棒で運ぶ魚屋。稲毛海岸あたりのスケッチだろう。この裸足の男は、これを海岸から少し離れた路上で売るのだろう。必要なら魚をさばいても提供できそうだ。後ろの方に見える帆立て舟は、稲毛海岸でよく見かける。これらの舟は朝早く漁をして、海岸に魚をもたらす。そして、それらをこうした魚屋に売り渡すのである。寿司屋や料理屋に販売するほどの規模ではなく、個人客を相手にする魚屋だろう。」(前掲書、132ページ)
【赤ん坊】 「(前略)赤子をおぶう母親図。なかなか泣きやまない赤子を、涼しい外気にあてるため庭におぶって出、子守歌でもうたっているのだろう。赤子をおぶうという習慣を、日本的なものだと感じたビゴーは、来日早々からたくさん描いている。」(前掲書、134ページ)
【衛兵】 「(前略)陸軍使節の衛兵図である。ビゴーのモデル要請にとまどいながら、外套のポケットに手を入れてポーズをとっている。(中略)この兵士は中隊か大隊の衛兵だろう。サーベル携帯は巡査と同じ武装である。ビゴーは画学教師として陸軍士官学校に勤務(2年間)し、英仏画報紙の報道画家として各地の軍事演習を取材するが、そんな中で彼の頭に浮かんだのは、兵士の日常をスケッチし、画集にまとめることだった。このスケッチはそんな一枚として描いたのかもしれない。」(前掲書、136ページ)
【雁】 「(前略)ビゴー銅版画の珍品である。レアリスムの画家が、自然をスケッチしているよう思えない。どこかで見た絵だと思ったら、花札の一枚からイメージしたものだと気がついた。では何故、職業をテーマにした画集の最後に全く関係のない絵を入れたのか。彼は日本の絵師、画工(当時は画家のことをこう言っていた)を描きたかったのではないか。浮世絵の絵師、日本画・墨絵の師匠など、ビゴーが来日して間もなく教えを受けた人がいたはずである。しかし、彼らはビゴーにとって師匠であり、リアルに描いて迷惑をかけては、という配慮をし、その結果が「雁」になったのでは、と推測する。花札の定番の絵からイメージした日本的自然の美。すなわち、薄(すすき)を手前に、月を背に飛ぶ二羽の雁。これを扉絵ならぬ”出口絵”として、さらなる日本の美追求への決意を表したのではないか。」(前掲書、136ページ)
【狩猟(影絵漫画)】 「(前略)19コマのストーリー漫画である。『あさ』の影絵漫画「日本の宴会」と同様、フランスで流行していた漫画スタイルを使っているが、この「狩猟」は横浜居留地外国人の生活の一端を描いている。外国人の狩猟仲間3人が、人力車を連ねて猟に出かける。料理屋で腹ごしらえ、それも持参の弁当と酒で。芸者の歓待も受ける。いよいよ猟に入る。橋が壊れて川に落ちたり、警官から鑑札の点検を受けたりする。ついに鳥二羽を撃ち落とすが、肝心の猟犬が言うことを聞かない。しかたなく、車夫や警官が気をきかせて川に入り獲物を手に入れる。結局、この二羽が収穫物。日はすっかり暮れてのご帰還となる。」(前掲書、138ページ)