書籍目録

『日本:クリル諸島図:日本(本州)からカムチャッカまで:最新のロシア製海図に、様々な英国測量船による蝦夷島の最新調査と日本の調査結果を反映』(海図)

英国水路部

『日本:クリル諸島図:日本(本州)からカムチャッカまで:最新のロシア製海図に、様々な英国測量船による蝦夷島の最新調査と日本の調査結果を反映』(海図)

第2405号、1895年3月改訂版 1895年(3月) ロンドン刊

Hydrographic Office.

JAPAN: THE KURIL ISLANDS FROM NIPON TO KAMCHATKA From the latest Russian Charts with additions by various Officers of H.M.Fleet. Yezo Island from recent British Surveys, with additions from the Japanese….

London, (Published according to Act of Parliament at the Hydrographic Office of the Admiralty Dec. 30th 1855.)(Sold by)J.D.Potter (Agent for the Admiralty Charts), (March) 1895. <AB202204>

¥55,000

No. 2405. Large corrections May 1883. Sept 1885, Jan.y 1890, April 1894, July 1894, March 1895.

68.8 cm x 102.2(120.4) cm, 1 large nautical chart, folded & rolled.
表面の一部に染み、裏面に書き込みと一部補修跡あるが、大無な良好な状態。

Information

英国水路部における日本近海を対象とした海図の中でも特に重要視された海域を対象とした「第2405号」海図

 本図は、英国水路部が作成した北海道とクリル諸島(千島列島)サハリン(樺太)を中心に描かれた海図で、1895年に刊行されています。英国水路部による海図番号として2405号があてがわれている海図で、1855年に初版が刊行されて以降細かな改訂が重ねられており、本図は1883年に大改正がなされた図をもとに1895年3月の改訂が施されたものです。この2405号海図は英国水路部による日本近海を対象とした海図としてはかなり早い時期から製作されていたもので、これは、この海図に描かれている地域が、当時日露間で国境が未確定であった樺太をはじめとして地政学的に極めて重要な地域であったため、各国の関心が非常に高い地域であったことを反映しています。2405海図は当初、伊能小図なども参照しながら製作されていましたが、明治初期の日英共同での測量調査や、その後のイギリス、日本単体での測量調査、さらにはロシアやフランスによる測量調査などの結果も踏まえて改訂が重ねられていました。1895年の改訂版である本図はそうした一連の改訂の結果が反映されたもので、日清戦争期の当該地域の最新海図と言える海図でした。

「海図2405’The Kuril Islands’は北海道、サハリン南部、千島列島、カムチャッカ半島南端及び沿海州を包含する海図である。切り出し部を除いた図郭は、左下北緯40度40分、東経133度00分右上北緯51度46分東経158度00分、縮尺は1:2,000,000(北緯50度)である。図の左下に東経128度までの切り出し部がある。沿海州デカストリーズ湾、ビクトリア湾、日本列島では函館が区域内にあり、カムチャッカ半島のハバロフスキーカムチャッキーの直ぐ南までである。ビクトリア湾の部分は切り出し部となっている。1862年改正の海図には、カストリーズ湾口の灯台が表示され、黄色の円と中心の赤点の彩色がされている。」
(菊池眞一「幕末から明治初年にかけての日本近海英国海図;日本水路部創設前の海図史」『海洋情報部研究報告』第43号、2007年所収論文11ページより)

 本図はさらに図中に別図として、下記の地域の小図を含んでいます。

①択捉島の沙那
 (Yetorup I. Sketch of Shana Anchorage. By F.J. Brown, S.S. Gembu Maru 1883)
②択捉島の別飛
 (Yetorup I. Sketch of Bettobu Anchorage. By F. J. Brown, S.S. Gembu Maru, 1883)
③択捉島の留別
 (Yetorup I. Rubetsu Bay. From a Japanese Government Survey, 1892.)
④得撫島の床丹
 (Urup I. Tokotan Bay. From a Japanese Government Survey, 1893.)
⑤(沿海州)トボチ(都佛地)湾
 (Entrance to Tobootchi (Boussie) Bay. From the Russian Plan of 1866.)

⑥サハリン島テルペニエ岬(北知床岬)
 (Saghalin I. Cape Patience (East Bay). Bu Lieut. T.L.Shelford, R. N. H.M.S. Peacock, 1893.)
⑦蝦夷島(北海道)宗谷停泊地
 (Yezo Island. Anchorage of Soya. From a sketch made in 1868 by M. A. Paris)

 本図は、明治初期における日本の測量調査、海図政策に多大な影響を与えた英国水路部による海図の中でも一際長い歴史を有する重要性の高い地域を対象とした海図であり、19世紀半ば以降の同地域の測量情報と刊行当時の最新情報が凝縮された海図と言えます。「19世紀の英国海図の資料は日本国内にあまりなく」(菊池前掲論文12ページ)と言われるように、当時日本と非常に緊密な関係にあった英国水路部の海図は現存するものが非常に少ないため、比較的良好な保存状態で残されてきた本図は貴重な1枚と言えるでしょう。