書籍目録

「日本の船舶と(長崎)沿岸部の風景」

(ラングスドルフ)/ (クルーゼンシュテルン)/(レザーノフ)

「日本の船舶と(長崎)沿岸部の風景」

独仏両語テキストと彩色図版(断片2葉) 1815年頃? 刊行地不明

ANSICHTEN VON DER KÜSTE VON JAPAN NEBST JAPANISCHEN FAHRZEUGEN. / VUES DE LA COTE DU JAPON ET DES VAISSEAUX JAPONNOIS.

C.1815?. <AB2020204>

Sold

19.5 cm x 24.5 cm, 2 leaves extracted from unknown work, Disbound.

Information

レザーノフらと共に長崎を訪れて日本の様子を具に観察したラングスドルフの著作収録図から派生したユニークな彩色図版とその解説

 本資料は、ドイツ語、フランス語で併記されたテキストと、彩色図版からなる2葉の断片で、何らかの書籍に収録されていた一部が抜き取られたものと思われます。本来収録されていた作品を特定するのは容易ではありませんが、クルーゼンシュテルンの世界周航に同行し、日本との通商関係構築を目指して長崎に向かう予定であったレザーノフ(Nikolai Petrovich Rezanov, 1764-1807)に嘆願して、使節侍医の資格でもって一行に参加た、ドイツの博物学者、冒険家であるラングスドルフ(Georg Heinrich von Langsdorff, 1774-1852)が1812年に刊行した航海記に収録されている図版を参照していることが推察されます。ラングスドルフは、レザーノフが長崎に留め置かれている間も熱心に長崎の様子の観察を行っており、本資料に描かれているように、長崎湾と戦場の日本の人々や船の様子をスケッチしていて、自身の航海記に銅版画として収録しました。ラングスドルフによる日本の人々の様子の観察記録は、ユニークなスケッチと相まって、当時オランダ商館関係者以外のヨーロッパ人による貴重な日本の見聞記として広く読まれ、日本観の形成に大きな影響を与えたとされています。

 本資料も、こうしたラングスドルフの作品の影響力を物語るもので、ほぼ図版をそのまま転用しつつ、日本が2世紀もの長きにわたって外国との交易を鎖ざしていることや、それを打破しようとイギリスやロシア(クルーゼンシュテルンの名を明記しています)が試みたもののの成功には至っていないといった、日欧交渉史についてごく簡単に紹介しています。また、2枚の図版の解説もそれぞれなされています。テキストはドイツ語、フランス語をそれぞれ片面ずつに掲載されており、本資料がもともと収録されていた作品がバイリンガルな作品であったことを示していて、また上部には巻号なども記載されていることから、何らかの大部の時点的な作品に収録されていたものではないかと思われます。いずれにせよ本資料は、19世紀前半に次第にオランダ以外のヨーロッパ諸国が日本接近を試みるようになり、そうした試みがもたらした新しい日本情報が、オリジナルの作品やその翻訳版だけでなく、こうして様々な作品に派生して伝えられることで、多方面にわたって日本イメージの形成がなされていったことを伝える大変ユニークな資料と言えそうです。