書籍目録

『1803年から1806年にかけて成し遂げられた世界周航記』

クルーゼンシュテルン / 訳者不明

『1803年から1806年にかけて成し遂げられた世界周航記』

オランダ語訳版 第2巻、第4巻(全4巻中) 1811年(第2巻)、1815年(第4巻) ハールレム刊

Krusenstern, A. J. Von.

REIZE OM DE WERELD, GEDAAN IN DE JAREN 1803, 1804, 1805 en 1806, OP BEVEL VAN ALEXANDER DEN EERSTEN, KEIZER VAN RUSLAND, DOOR den Kapitein der Keizerlijke Marine, A. J. VON KRUSENSTERN. Tweede DeeL. / VIERDE DEEL.

Haarlem, A. Loosjes Pz, MDCCCXI(1811)(vol.2) / MDCCCXV(1815)(vol.4). <AB2020202>

Sold

First and only edition in Dutch.

8vo(12.5 cm x 21,7 cm) Vol.2 & 4 only (of 4 vols.), Vol.2: 1 leaf(blank), pp.[I(Half Title.), II], Title., pp.[III], IV-X, NO LACKING PAGES, pp.[3], 4-290, 1 leaf(blank). Vo.4: 1 leaf(blank), pp.[I(Half Title.), II], Title., pp.[III], IV-VIII, pp.[1], 2-104, 3 folded charts, pp.105-116, 2 folded charts, pp.[117], 118-163, 364(i.e.164), 165-250, 152(i.e.251), 252-320, 1 folded plate, 10 folded charts, 1 leaf(ERRATA). Contemporary quarter leather on modern brown cloth.

Information

これまでほとんど知られていなかった希少かつ重要なオランダ語訳版

 本書は、エストニア出身のロシア海軍提督クルーゼンシュテルン(Ivan Fedorovich Kruzenshtern, 1770-1846)が成し遂げたロシアによる初の世界周航の航海記オランダ語訳版です。クルーゼンシュテルンは世界周航に際して、貿易上の成果だけでなく、先行するイギリスのクック(James Cook, 1728-1779)や、フランスのラペルーズ(Jean Francois Lapérouse, 1741-1788)による航海を上回る学術的成果、地理学上の発見を目指し、入念に準備をして航海に臨み、天文学者や測量技術者を同乗させ、最新の計器類を搭載していました。この航海に同行して同じく『世界周航記』を著したラングスドルフ(Georg Heinrich von Langsdorff, 1774-1852)が残した記録が、紀行文として非常に優れているのに対して、クルーゼンシュテルンの航海記は多彩な学術的成果が盛り込まれている点に特徴があります。クルーゼンシュテルンの航海記において記された日本関係記事は、オランダ以外からもたらされた貴重な日本情報として、多くの読者の関心を惹きつけたことが知られており、本書であるオランダ語訳版もその一つと言えるものです。

 クルーゼンシュテルンは、アラスカで獲得した毛皮を中国で売却し、そこで購入した中国商品をヨーロッパで売却することで、ロシアが莫大な利益を得ることができるとして、ロシア政府にその航路開拓のための世界周航を提案しました。この提案が認められ、クルーゼンシュテルンが準備を進めていたところに、アラスカで利益をあげていた露米会社の政府側監督者であったレザーノフ(Nikolai Petrovich Rezanov, 1764-1807)による第二回遣日使節派遣が決まり、その特命全権大使にレザーノフが任命されます。これにより、クルーゼンシュテルンの世界周航は、同時に第二回遣日使節派遣としての任務を兼ねることになりました。この航海は関係者の間で様々な思惑が背後にあったため、クルーゼンシュテルンとレザーノフとの間でもしばしば対立が生じましたが、最終的に航海を成功させています。

 クルーゼンシュテルンはこの時の航海記をまとめて、1810年から1812年にロシア語版とドイツ語版とを同時に刊行しました。クルーゼンシュテルンの航海記は大きな反響を呼び、英語、フランス語、イタリア語、スウェーデン語など各国語にも翻訳されています。本書であるオランダ語訳版は、1811年から1815年にかけて全4巻本としてアムステルダム近郊の街ハールレムで刊行されています。オランダ語訳版は翻訳版の中でもかなり早い時期に刊行が開始されていますが、刊行部数はかなり少なかったようで4年間をかけて1巻ずつ刊行されたこともあってか、現存するものがほとんどありません。本書はこの全4巻からなるオランダ語訳版のうち、第2巻と第4巻の2冊のみで第1巻と第3巻を欠いていますが、こと日本に関する記述についてはこの第2巻、第4巻の2冊に集中しているため、日本関係欧文図書としては十分価値のあるものです。翻訳は原著にかなり忠実になされているようで、抄訳ではなく逐語訳がなされているように見受けられます。

 クルーゼンシュテルンの航海において最も重要とされていたのは、カムチャッカをはじめとしたサハリン、北海道(当時は蝦夷)近辺の北東アジアの海域の全容解明でした。この海域は17世紀から数多くのヨーロッパ人が航海を行ったものの、その全貌がいまだに明らかになっておらず、この海域のより正確な最新情報をもたらすことは、ロシアのみならずヨーロッパ全体にとっても強く望まれていたことでした。クルーゼンシュテルンよりも少し前に同海域を調査したラペルーズによるサハリン西岸を北上した航海において発見された宗谷海峡(ラペルーズ海峡)は、画期的な成果として大きな話題となっていましたが、サハリン東岸と北岸近辺は未知のままで、クルーゼンシュテルンはラペルーズを超えるような成果を目指して航海に臨みました。

 彼の航海は、船体修理の為に立ち寄ったブラジル滞在を経て、太平洋を横断して日本へと向かう航路をとりますが、主に日本についての記述は第2巻に集中的に見られます。第2巻のタイトルページには原著に見られたアイヌを描いた銅版画が掲載されていて、手彩色による鮮やかな着色が施されています。第2巻ではカムチャッカを経由して長崎へと向かう航程、長崎での滞在とレザーノフによる幕府との交渉とその失敗、長崎湾内の描写、日本を発ってカムチャッカに向かう航路と周辺海域の調査、蝦夷北部のへの上陸と日本人との交流、アニワ湾(サハリン南端の中知床湾を指す)周辺の調査、アニワ湾からサハリン東岸沿いの航海と、流氷による断念とカムチャッカへの帰還と、第2巻ほぼ全部を費やして日本について言及しています。その際の記述はあくまで客観性を重視したもので、緯度経度といった地理学上の情報や、気候や天候、星座といった科学データが多く含まれており、日本との交渉について言及する際も、予めヨーロッパ人と日本との交流の歴史を踏まえた上で論じています。

 カムチャッカに戻ったクルーゼンシュテルンは、その後サハリン東岸を再び北上し、ラペルーズとは逆にサハリンを北端から西岸を南下する航路をとって、ラペルーズ海峡の存在を確かめてその海水の比重変化から、サハリンと大陸との間を分かつような海峡は存在し得ず、従ってサハリンは島ではなく半島であると誤って結論づけてしまいました。しかしながら、その過程で得た測量データに基づいて作成された日本北辺海域の地図は、それまでにない正確さを有しており、当該地域の地理学情報の進展に大きく貢献することになりました。また、クルーゼンシュテルンは、後にヨーロッパに帰国したシーボルトから、彼の持ち帰った同地を含む日本周辺地図について判断と助言を求められた際には、自身が確認できなかったサハリンと大陸との間に航行可能な水道があることを、シーボルトが新たにもたらした情報によって、ついに確証することができたことをシーボルトに興奮をもって伝えています。

 本書第4巻には、クルーゼンシュテルン一行がこの航海を通じて録り続けたさまざまな記録、すなわち水夫の健康状態、航海時に遭遇した嵐をふくむ気象情報や、水深や潮流などを記した水路情報など、公開の実践的な情報が多数掲載されていて、ある種の総合的な水路誌編として用いることができる内容になっています。第4巻末には水路情報が折り込みのチャート図としても収録されていて、それまでのヨーロッパにとって未知であった海域の貴重な水路情報が余すことなく伝えられています。一般の読者にとってはいささか過剰に過ぎる感があるほどの細かな水路情報がオランダ語訳版において収録されていることからは、クルーゼンシュテルンの航海がもたらした実践的な水路情報が当時のヨーロッパで非常に注目されていたこと、また、いち早くオランダの関係者にこの重要情報を伝えようとする訳者の強い意志が感じられます。特に日本と「特別な関係」にあったオランダにとって、クルーゼンシュテルンの航海がもたらした新しい日欧交流の内実だけでなく、実際に日本近海に赴くために欠かせない実践的な水路情報をできる限り迅速に、かつ正確に把握する必要があったのではないかと思われます。

 クルーゼンシュテルンの航海記は、名著として原著やその研究が盛んになされていますが、オランダ語訳版については原著が国内研究機関において1点も所蔵が確認できないこともあって、これまでほとんど注目されることがなかったのではないかと思われます。当時のヨーロッパにおいて、オランダ以外からもたらされた貴重な日本情報源として大いに注目を集めたことで知られるクルーゼンシュテルンの航海記ですが、このオランダ語訳版は、オランダ自身がクルーゼンシュテルンの航海記にいち早く注目し、忠実に原著をオランダ語に翻訳してオランダの読者に伝えようと迅速に反応したことを示すもので、数ある翻訳版の中でも非常に興味深い版ということができるでしょう。その点においても、これまでその存在すらほとんど知られていなかったと思われる、このオランダ語訳版は大変貴重な作品であると思われます。