書籍目録

『磔刑のキリストの勝利』

リッチ / (日本二十六聖人殉教事件)

『磔刑のキリストの勝利』

初版 1608年 アントワープ刊

Ricci, Bartolomeo.

TRIVMPHVS IESV CHRISTI CRVCIFIXI.

Antwerpen, Officina Plantiniana, Apud Ioannem Moretum, clɔ. Iɔc. VIII.(1608). <AB2020190>

Donated

First edition.

8vo (12.0 cm x 18.7 cm), Title., 7 leaves, 68 numbered leaves(no. 2-19. LACKING 20, 21-70), 5 leaves, Later half paper back on parchment boards.
全70枚の図版のうち、第20番が欠落。タイトルページ下部余白部分欠損。[Laures: JL-1608-KB4]

Information

「日本二十六聖人殉教」図ほか2枚の日本関係図を収録

 本書はイタリアのイエズス会士リッチ(Bartolomeo Ricci, 1542 - 1613)によって著された作品で、磔刑に処せられたキリストと同じく信仰のために磔刑に処せられた歴代の著名な信者たちを描いた70枚の銅版画(うち1枚欠落)とテキストで構成されています。キリスト以降の様々な聖人をはじめとして、信仰に殉じて磔刑に処せられた模範的な歴史上の信者達の様子が克明な銅版画で描かれていることが特徴的な作品で、大変興味深いことに3枚もの銅版画が、「日本二十六聖人巡教事件」を含む日本の信者たち主題にして描かれています。

 キリストが十字架の上で磔刑に処せられたという福音書の記述は、カソリック信仰に基づいた宗教美術の最大のモチーフとして繰り返し作品に登場しています。キリストの十字架上での死は、その献身と犠牲、並びに救済、そして何より信仰の勝利を意味するものとして、カソリック信仰において極めて重要視されてきました。ところが16世紀に勃発した宗教改革運動において、プロテスタント陣営はそのような十字架信仰を批判し、それらに関連する聖遺物の崇拝やシンボルとしての十字架を過度に崇拝する姿勢を糾弾しました。これに対してカソリック陣営は、十字架信仰の正当性を改めて確認すると同時に、それをより一層強固なものとすべく様々な美術作品や、十字架の重要性を検証した書籍を刊行しています。(この点については、楠根圭子「17世紀前半のヨーロッパにおける「日本の磔刑」をめぐる論争と宗教美術」上智大学キリシタン文化研究会『キリシタン文化研究会会報』第156号所収論文を参照)。

 本書はまさにこうした、カソリック陣営からの対抗宗教改革運動の一環として展開された十字架信仰、ならびに磔刑による処刑の神聖さを改めて確認することを目的として刊行された代表的な作品の一つです。イエズス会総長アクアヴィーヴァ(Claudius Acquaviva, 1543 - 1615)に献じられ、かつてフェリペ2世公認の出版社となりアントワープで絶大な影響力を持っていたプランタン社によって刊行されている本書は、スペイン王室とイエズス会公認とも言える性質を有していた作品で、当時のカソリックにおける磔刑解釈の公式見解の一つとみなしうるものです。本書は、キリストを筆頭として磔刑に処せられた信者たちを70枚の銅版画と、その出来事の解説と出典元情報を記したテキスト、賛辞(詩等)が組み合わされていて、特に1ページ全てを費やして描かれた銅版画は非常に印象的です。銅版画とテキストは暦順に並べられており、それぞれに番号が付された上で1月から順に掲載されています。

 この作品に収録された銅版画作品のうち、3番、34番、66番は日本で磔刑に処せられたことが当時ヨーロッパに報じられていた人物(事件)を主題にしていることは特筆すべきことで、これらの銅版画はこの主題に限らず、ヨーロッパで日本の人々の姿を視覚情報で伝えた最初期の作品に位置付けられるものです。3番は、当時のヨーロッパで最も有名だった殉教事件である、1597年2月に生じたいわゆる「日本二十六聖人殉教事件」を主題にしたもので、34番は1589年10月9日、天草から発せられたイエズス会士の書簡によって報じられたとされている豊後(Bungi)のHIoramusと呼ばれた老信徒の磔刑(1589年6月10日)が主題にされていて、最後の66番には1603年12月9日に加藤清正による迫害を受けて磔刑に処せられ「八代の三烈婦」とも称せられた、ヨアンナ、アグネス、マグダレナの女性信者3名が描かれています。

 3番の「日本二十六聖人殉教事件」を主題とした銅版画は、26名がまさに磔刑に処せられようとする場面を克明に描いたもので、日本の人々が西洋人のように描かれてはいるものの、26本の十字架や事件で自ら死を望んだとされる幼児の姿が描かれているなど、フロイスらイエズス会士をはじめとした目撃情報に基づいて描かれていることをうかがわせます。この事件を主題にした絵画や銅版画作品は、後年にイエズス会とフランシスコ会の対立が一層激しくなるにつれて、それぞれの修道会に所属していた人物(イエズス会士3名、フランシスコ会士23名)が別々に描かれることが常態化していきますが、本書に収録されている銅版画は、イエズス会の公式出版物に準ずる作品でありながら26名全員が描かれているという点でも珍しいものです。

 また、34番のHioramusと称された豊後の老信徒は、棄教した大友吉統の迫害によって斬首された高田教会のジョランと思われ、彼は処刑される前に聖画像を胸に携えていたことが伝えられています。1589年10月9日の天草発のイエズス会士の書簡によって報じられたとされるこの事件は、「日本二十六聖人殉教事件」に先立ってヨーロッパに伝えられた日本における最初期の殉教事件と言える事件です(同事件については、フロイス『日本史』第2部第122章を参照)。ジョランは磔刑に処せられたわけではありませんが、本書では、彼の信仰を象徴する胸に抱いた聖画像というモチーフはそのままに、磔刑によって処刑された人物に置き換えて描かれています。また、この図では3番の図とは異なって(ローブのようになってはいるものの)着物のような衣装を纏い、腰に刀を差した日本の役人の姿が描かれており、何らかの日本情報をもとに描かれたことを示唆しています。日本の人々の姿を銅版画で描いた最初期の作品としては、オランダ人航海士ファン・ノールトによる『世界一周紀行』(1602年)に収録された「日本人図」がよく知られていて、この図では、ノールトが海上で出会った、鉄砲を肩に担ぎローブのような着物を纏い腰に刀を差した日本の人々の姿が描かれていることから、この34番の銅版画はノールトの「日本人図」を参照したのではないかと思われます。(この点については、フレデリック・クレインス「図版解説:ファン・ノールト『世界一周紀行』より「日本人図」(フランス語版、アムステルダム、1610年刊)国際日本文化研究センター、オンライン・データベース『日本関係欧文史料の世界』https://kutsukake.nichibun.ac.jp/obunsiryo/drawing/20160331/を参照)

 66番の図は、加藤清正に棄教を迫られたものの、断固として拒絶して処刑されたジョアン南五郎左衛門の妻マグダレナと、同時に処刑されたシモン武田五兵衛の妻アグネス、母ヨハンナの三人を描いたものです。彼女らは処刑された夫や息子の跡を追って自ら処刑されることを望み、1603年12月10日に磔刑に処せられたことが知られています。信仰に殉じた女性信徒の模範として「八代の三烈婦」とも称される彼女らの死は、当時のヨーロッパでも、カソリック信徒のあるべき模範像として、本書をはじめとして多くの作品で取り上げられています。ここでも日本の役人の姿は34番の図と同様にローブを纏い腰に刀を差した姿で描かれていて、また三人と共に処刑されたマグダレナの息子ルドビコも描かれています。(この事件については、片岡弥吉『日本キリシタン殉教史』時事通信社、1979年、第2部第3章を参照)

 本書に収録されたこれら3枚の図版は、磔刑という主題に限らず、ヨーロッパにおいて日本の人々の姿を写実的に描いた銅版画作品としても最初期にあたる作品と言えるもので、さまざまな観点から大変興味深いものです。また、当時のカソリック信仰において、聖人たちをはじめとして歴史上の模範的な信者とされた人物たちの中に、同時代の日本の人々が含まれているということの意義や、他の図版やテキストとの比較など、多くの研究テーマを与えてくれる作品とも言えるでしょう。

*本書と収録された3枚の日本関係図版については、下記文献を参照。
Rappo, Hitomi Omata.
Des Indes lointaines aux scénes des colléges: Les reflets des martyrs de la mission japonaise en Europe (XVIe - SVIIIe siécle)(Studia Oecumenica Friburgensia 101).
Aschendorff Verlag, 2020.
(ISBN:9783402122112)


「日本の殉教者の磔刑図を図解ではなく絵画として描いたイエズス会の作品のうち、最も早く刊行されたのは1608年のものである。それは、アントウェルペンで出版されたバルトロメオ・リッチ(Bartolomeo Ricci)神父の『イエス・キリストの純直の勝利(Triumphus Jesu Christi crucifixi)』に収録されている。この書は、教皇庁が新たな出版物の検閲に積極的だったことを意識して、イエズス会総長のクラウディオ・アクアヴィーヴァの許可を得て刊行されている。これは、日本の殉教者を単独で扱った作品ではない。本文最初のページの「磔刑殉教者(crucifisorum martyrum)」という表現が示唆するように、信仰のために犠牲になったことを証明する究極の手段として「磔刑」が示され、十字架にかけられた歴代のキリスト教と70人が網羅的に掲載されている。この本では、エイドリアン・コラール(Adrian Collaert, c. 1560-1618)が制作した版画と簡単な説明によって、殉教者の多様な磔刑が次々に紹介される。同書で言及される殉教者は全て図像化され、その図像と本文は、見開きの2ページで見られるように配置されている。福音書で語られるキリストの生涯を図像で再現した作品の続編であるこの本は、キリストとその後継者たちの受難の成就を具体的に表しているのである。
 ただし、この殉教者の羅列は、時系列に沿って並べられたものではない。古代の多くの殉教者をさしおいて、日本の二十六殉教者は3番目に位置づけられている。この順番は、キリスト本人と古代の殉教者ペトルス・バルサムスに次ぐものである。本文は、従来の方法に則って、おおむね聖人歴にならい、殉教者の場合はその命日、聖人の場合はその祝日の順序で並べられている。日本の二十六殉教者は1月10日に配されているが、本来は2月5日のはずであり、実際、のちにその日に彼らへのミサが捧げられるようになった。本文では、この順序の入れ替えの理由は特に説明されていないが、(報告されている命日を無視して)彼らを先に出したいという意向があったものと考えられる。順序が殉教者の序列を示すものならば、未だ列福されていない殉教者としては、特に彼らが重要視されていたか、もしくはこの図像を通じて伝えるべきことが存在したと言えるだろう。
 前述のフランシスコ会の図像群とは異なり、その図像はイエズス会に無関係の犠牲者を排除しようとするものではなく、殉教者が26人いることがはっきりと見て取れるようになっている。そればかりか、図像に付された説明文の中でも、イエズス会士と明記された3人に加えて、同時に犠牲になったフランシスコ会士の名前が列挙されている。図像には、宣教師たちの手紙に記された磔刑の過程が反映され、死刑執行人が被処刑人を横たえて十字架に縛り付けている様子が見える。磔にされた人々は絵の上部に配置され、フロイスの報告で再三言及されていたように、二人の処刑人が槍で突いてとどめを刺しているのが分かる。図像の中心には剃髪していない西欧人神父の姿があり、本文中に名前は明記されていないが、前述のフロイスの報告には、刑の直前までイエズス会のフランシスコ・パシオ(Francisco Pasio)が付き添ったとある。こうした表現は、第二章で言及したフランシスコ会からイエズス会への非難(この殉教事件におけるイエズス会士の不在と逃亡)への反駁となる。
 アクアヴィーヴァが序文で述べているように、この本はその構成やイメージの性質からして、明らかに視覚を通して読者を教化するためのものである。しかし、この日本の殉教者の表現には、のちの図像学とは一線を画す多くの特徴がある。まず、制作された時期が1608年と非常に早く、彼らの列福に先立っている。しかも、冒頭で紹介したリショームの言及した図像や、後の時代によく見られるようになった3人のイエズス会関係者の図像だけが抽出されているわけではなく、フロイスや他の宣教師の報告書における記述を反映して、処刑方法の描写に重点が置かれ、あたかも他の十字架刑との類似性を示すことが最も重要であるかのように描かれているのである。」
(小俣ラポー日登美『殉教の日本:近世ヨーロッパにおける宣教のレトリック』名古屋大学出版会、2023年、246-248ページより)

後年に改装が施されたと思われ、汚れが目立つ。
タイトルページ。下部の余白が欠損している。
イエズス会総長アクアヴィーヴァ(Claudius Acquaviva, 1543 - 1615)への献辞文冒頭箇所。
序文冒頭箇所。
本書に収録されている全70枚(うち本書では1枚欠損)の図版のうち、冒頭に掲載されているのは、当然キリスト自身の磔刑図。
3番1597年2月に生じたいわゆる「日本二十六聖人殉教事件」を主題にした図。
よく見ると十字架が26本描かれていることが分かる。この事件を主題にした絵画や銅版画作品は、後年にイエズス会とフランシスコ会の対立が一層激しくなるにつれて、それぞれの修道会に所属していた人物(イエズス会士3名、フランシスコ会士23名)が別々に描かれることが常態化していくが、本書に収録されている銅版画は、イエズス会の公式出版物に準ずる作品でありながら26名全員が描かれているという点でも珍しい
Hioramusと称された豊後の老信徒は、棄教した大友吉統の迫害によって1589年6月に斬首された高田教会のジョランを描いた図。
ジョランは磔刑に処せられたわけではないが、この図では彼の信仰を象徴する胸に抱いた聖画像というモチーフはそのままに、磔刑によって処刑された人物に置き換えて描かれている。この図では3番の図とは異なって(ローブのようになってはいるものの)着物のような衣装を纏い、腰に刀を差した日本の役人の姿が描かれており、オランダ人航海士ファン・ノールトによる『世界周航記』(1602年)に収録された「日本人図」を参照したのではないかと思われる。
(参考)ファン・ノールト『世界一周紀行』に収録されている「日本人図」(上掲図は1602年刊行の仏訳初版本収録図)。ヨーロッパで出版された銅版画に描かれた最初期の日本の人物像として知られる図だが、34図に描かれている日本の役人像の特徴とよく似ている。
加藤清正に棄教を迫られたものの、断固として拒絶して処刑されたジョアン南五郎左衛門の妻マグダレナと、同時に処刑されたシモン武田五兵衛の妻アグネス、母ヨハンナの三人を描いた第34図。
信仰に殉じた女性信徒の模範として「八代の三烈婦」とも称される彼女らの死は、当時のヨーロッパでも、カソリック信徒のあるべき模範像として、本書をはじめとして多くの作品で取り上げられることになった。マグダレナの息子ルドビコも描かれている。
巻末には索引が設けられている。
かつてフェリペ2世公認の出版社となり、アントワープで絶大な影響力を持っていたプランタン社によって刊行されている。