書籍目録

『世界の劇場』

オルテリウス

『世界の劇場』

第6版(著者生前最終最終改訂)ファクシミリ版  1991年(1595年) フィレンツェ刊(アントワープ刊)

Ortelius, Abraham.

THEATRVM ORBIS TERRARVM.

Florence (Antwerpen), Giunti (Officina Plantiniana), 1991(1595). <AB2020189>

Donated

Facsimile edition of 6th revised edition.

28.6 cm x 44.9 cm, Original publishers card boards with a dust jacked & a slipcase.

Information

「世界地図帳」の基礎を築いた名著決定版を忠実に再現したファクシミリ版

 本書は、16世紀後半を代表する地図製作者、古代史研究者でもあったオルテリウス(Abraham Ortelius, 1527 - 1598)によって製作された世界地図帳『世界の劇場』(Theatrum Orbis Terrarum…Antewerpen, 1595)の第6版にあたる1595年版のファクシミリ版です。この1595年版は、単独の日本図が初めて掲載された記念すべき版としても知られている版で、同書の決定版と目されている版です。当時が高額な書物だったとはいえ、現在では図版を完備したものは数千万円にもなることがある稀覯かつ極めて高額な書物になってしまっており、さまざまな意味で入手が難しくなってしまっている作品ですので、原寸大で忠実に原著を再現したこのファクシミリ版は気兼ねなく用いることができる実用性の高い1冊と言えるでしょう。このファクシミリ版は、販売用に998部限定で1991年にフィレンツェで刊行され、本書はそのうちの956番に当たるものです。(出版社によると、この他に非売品として他に350部、豪華版として99部が印刷されたようです)

 オルテリウスは16世紀にアントワープで活躍した人物で、地図装飾家、販売人としてのキャリアを積む中で、ヨーロッパ各地を頻繁に旅行し、当時流通していた様々な地図、古地図、古銭などを収集し続けるとともに、それらを用いて地理学や古代史、地誌についての研究を重ねていきました。当時のアントワープは大航海時代以降にもたらされた「新世界」の情報が行き交う国際都市で、また北方ルネサンスと呼ばれる新しい知的文化やさまざまな芸術活動が花開く黄金時代を迎えていました。またアントワープは、現在もその工房が現存しており世界遺産となっていることでも知られる「プランタン社」(オルテリウスの『世界の劇場』も後年版は同社から出版されている)をはじめとした当時のヨーロッパを代表する出版社が集う印刷、出版活動の中心地でもありましたが、このような国際都市アントワープにあってビジネスを成功させ、多くの知識人、政治家、芸術家との交際を深めたオルテリウスは、有能なビジネスマン、あるいは蒐集家としての活動だけでなく、自分自身でも地図作成と印刷を始めるようになります。

 当時のヨーロッパにおいてはすでに、ポルトラーノと呼ばれる中世から用いられてきた羊皮紙に手書きの海図が流通していただけでなく、活版印刷技術を最大限に活用した印刷地図が多数流通していましたが、各地域や、海域、都市ごとに個別に製作されているだけで、現在では当たり前になっている「地図帳」のように世界全体の地図を一つの書物に集約したような書物はほとんどありませんでした。プトレマイオスを中心とした古代地理学とルネサンス以降の地理的発見を結合して、世界全体の地誌を描こうとする「コスモグラフィー」と呼ばれるような書物は確かに存在していましたが、それらは印刷地図を含むものの、テキストの叙述が中心で、テキストと地図とを組み合わせて、しかも世界全体をカバーするような書物というものは、当時まだ存在していませんでした。また、印刷された個別地図を組み合わせて地図帳として販売するような試みは、すでにイタリアでも行われていましたが、これはあくまで既存の地図を手作業で綴じ合わせたものというべきものであって、一人の監修者によって、独自の地図とテキストを組み合わせたようなものではありませんでした。

 このような状況にあってオルテリウスは、自身が多年にわたって収集した膨大な地図コレクションを活用し、これらをもとに最新の情報を盛り込んだ地図を新たに制作して世界全体をカバーする総合的な地図集を編み、それらを解説するオルテリウス独自のテキストを組み合わせることで、一つの書物で世界を一望できるような書物を作成すること、すなわち世界地図帳を制作することを構想するようになりました。このような構想はオルテリウス一人によるものというより、当時の時代精神に呼応するものだったと考えられており、たとえばオルテリウスの親しい友人で、「メルカトール図法」の考案者として名を残す当代きっての地理学者メルカトール(Gerardus Mercator, 1512 - 1594)も同様な着想を持っており、両者は親しく情報と地図を交換しながらこのような構想の実現に協力していくことになります。こうして1570年に初めて世に送り出されたのが、『世界の劇場』で、この初版本には53枚の地図を収録し、その裏面にはラテン語で記された当該地域の解説テキストが掲載されていました。『世界の劇場』は、当時の印刷職人の月給分に相当するような高額品であったにもかかわらず瞬く間に売り切れ、4回も増刷されるほどの大きな反響を呼び、大成功を収めることになりました。

 この『世界の劇場』(Theatrum Orbis Terrarum)という、現代ではやや奇異な感をもつ書名は、「世界(または地球)(Terrarum)」の「劇場(または舞台)(Theatrum)」という意味するものです。それぞれの単語はキケロをはじめとした古典著作の中に登場する語で、ヨーロッパ上流社会では伝統的によく知られたラテン語単語でしたが、これらが組み合わされた『世界の劇場』というタイトルには、大航海時代以降に新たにヨーロッパ人に開かれた「新世界」を包含する世界全体を、人々がそれぞれの生の営みを演じる「劇場」に見立て、『世界の劇場』という一つの書物の中に体現させるというオルテリウスの壮大な意図が込められています。このような世界観は、人間が生きる世俗世界が永遠不変の天上(神の)世界とは異なる仮構に過ぎないという悲観的、諦念的な世界観と、それにもかかわらず、人々が世界(という劇場)においてこそ、自らの主体性を発揮できるのだという積極的で、人間中心主義的な世界観とが結合した、ルネサンスの人文主義に特徴的な世界観で、シェイクスピアをはじめとした当時の文学作品にも通ずるオルテリウスが生きた時代に固有の世界観でもありました。

「ルネサンス期イングランドにおいて、世界は舞台と観じられていた。「この世」はたとえばアウグスティヌスが想起した「神の国」とは異なる人間の世界であり、「すべて」は舞台の上の仮構にすぎない。このような劇場的世界観は、中世の普遍的キリスト教共同体の規範が崩壊した価値喪失の時代、あるいは新たに近代の世俗的主権国家がヨーロッパ史に姿を現してくる揺籃の時代、すなわち錯雑した「ルネサンス」の時代状況を象徴する一つの共通認識であった。当時の史料を繙けば、1599年に完成した「グローブ座」の舞台はもとより、この「世界劇場(Theatrum Mundi)」の主題があたかも執拗低音のように繰り返し出現していたことを容易に観察できる。」
「ここで政治思想の観点から特筆すべきは、この人文主義者たちが、ルネサンス期の政治世界を「虚構の劇場」と認識しながらも、常にその舞台に立ち続けた政治エリートでもあったことであろう。(中略)たとえばベイコンは、政治的な義務の遂行を目的とする「活動的生活(vita activa)」が、孤独な知的営為としての「観想的生活(vita contemplatia)」に優越することを強く主張して、次のように明言した。
「ところで、この人間が生活する劇場では、観客はただ神と天使たちだけであることを人々は知らねばならない。」
 人文主義者にとって「この世」はまた、活動的生活の舞台でもあった。世界は擬制であるがゆえに、逆に、人間による作意の領域にもなりうるのである。」
(木村俊道『顧問官の政治学:フランシス・ベイコンとルネサンス期イングランド』木鐸社、2003年、16, 18頁より)

 オルテリウスをルネサンス期の人文主義者と呼ぶかどうかについては議論の余地があるかもしれませんが、数多くの地図を収取し、それらを校合しながら最善の地図を作り出そうとする原史料の客観的解釈を重んじる姿勢や、古代地理学や歴史に深く通じ、古代世界と「現代世界」とを時間的、空間的に接続しようとするオルテリウスの態度は、同時代にみられた人文主義者に共通するものであったと考えることができます。オルテリウスは『世界の劇場』において、自身が依拠した地図や、文献、同時代の地理学者の名前といった情報源を明記する編集態度を貫いており、こうした方針もまた、オルテリウスの人文主義者的な側面の現れとも言えるでしょう。こうしたオルテリウスにあってこそ、『世界の劇場』というユニークなタイトルは、彼が生きた時代精神を象徴的に反映した深い含意を蔵するものであったと考えることができます。

 オルテリウスは初版刊行後に寄せられた情報や、新たに発見した地図を用いて増補改訂を繰り替えし、『増補版(Additamentum)』とそれらを反映させた改訂版の刊行を刊行を続け、1598年に亡くなる3年前の1595年までの間に5回の増補版の出版と第6版(版表記については下記参照)までの改訂版の出版を成し遂げました。また、それと同時に各国語への翻訳版の出版も行っており、オランダ語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語、英語の各版が並行して繰り返し刊行され続けました。さらにオルテリウスの没後も1612年まで再版が行われ、実に夥しい数の諸本がヨーロッパ中に広まることになりました。これらの主な変遷をまとめますと下記のようになります。
 
『世界の劇場』初版ラテン語版(1570年)から最終版(1612年)までの主要な変遷
(C.クーマン / 船越昭生監修 / 長谷川孝治訳『近代地図帳の誕生:アブラハム・オルテリウスと『世界の舞台の誕生』臨川書店、1997年をもとに制作。上記の解説文も基本的に同書による。[第2版]等の版表記は、原著タイトル等に版表記の記載はないものの、実質的にそう見なすことができることから、[ ]で表記。ただし、補遺版については原著表題に明確に記載あり。)

1570年:ラテン語初版(53図)
1571年:オランダ語訳版(53図)
1572年:ドイツ語訳版(53図)
    : フランス語訳版(53図)
*以降、ラテン語版の改訂に伴って各国語版も順次改訂版が刊行されていく。
1573年:第1補遺版(Additamentum I)(18図)
    : ラテン語[第2版](70図)
*以降、補遺版の刊行と同年に、それを反映させた改訂版が刊行されていく。
1579年:第2補遺版(23図)
    : ラテン語[第3版](93図)
1584年:第3補遺版(24図)
    : ラテン語[第4版](114図)
1585年:スペイン語訳版(114図)
1590年:第4補遺版(23または25図)
    : ラテン語[第5版](134図)
1595年:第5(最終)補遺版(17図)
    : ラテン語[第6版](オルテリウス生前最終)版(147図)(本書の底本)
*第5補遺版とそれを反映させた[第6版]において、初めて単独の「日本図」(いわゆるテイシェラ日本図)が収録される。
*また、1595年以降に刊行されたすべての版(全16種)に「日本図」が収録される。
1598年:オルテリウス没
1606年:英語訳版(160図)
1608年:イタリア語訳版(167図)
1612年:ラテン語最終版(158図)

 上記のように、ラテン語版を中心に主要な版だけを追ってみても、1570年の初版刊行から、オルテリウス没後の1612年の最終版刊行までの間に、夥しい数の版が刊行され続けていたことがわかります。

 単独の「日本図」が初めて登場するのは、1595年に刊行された、第5補遺版と、その成果を反映させて改訂されたラテン語第6版のことで、オルテリウス生前最後の版になってようやく「日本図」が収録されたことになります。とはいえ、この1595年のラテン語版刊行以降、オルテリウス没後もさまざまな版が刊行され続け、各国語訳版も含めると全16種類にも及ぶことがわかっています。しかも、その間、この「日本図」は「1595年」という表記も含めて全く変更が施されないまま同じ原版で制作され続けたため、地図面だけを見ても、それが一体何年のどの版に収録された「日本図」であるのかを判断することができません。そのため、古書店の一部の表記などでは、地図面に記載された「1595年」を典拠にして1595年刊としているケースが見受けられます。しかしながら、この「日本図」は、1595年から1612年にかけて刊行された、少なくとも16の異なる版に収録されていますので、より厳密にその刊行年を特定するためには、後述するように、裏面テキストから判断する必要があります。

 『世界の劇場』に収録されている地図裏面のテキストは、オルテリウスが多年にわたる地図収集と、メルカトールをはじめとする各分野の専門家との幅広い交流を通じて培ってきた研究成果を反映させて自ら執筆したもので、地図に描かれた当該地域の最新の地理情報、測量情報だけでなく、当該地域の文化や風習にまで言及されていて、まさに『世界の劇場』と称するにふさわしい充実した内容となっています。『世界の劇場』は、どうしても表面の地図だけに注目が集まりやすく、また展示が行われる際には、地図面が優先されることが常で、裏面であるが故にテキストはその存在自体がほとんど意識されることがありませんが、実はこのテキストこそが、オルテリウスの『世界の劇場』が当時のヨーロッパにおいて画期的な作品となるための非常に重要な要素の一つであったことに注意が必要です。

「(前略)『世界の舞台』の特色をなす点は、それがテクストと地図という2つの部分を、分かち難い全体を成しながら包含していることである。現在に至るまで、歴史地理学者たちは『世界の舞台』のテクスト的要素にほとんど注意を払ってこなかった。オルテリウスの業績を評価する立場にたつには、人文主義的文化が古典地理学と近代地理学との間の関係を大いに重視したということを、とくに理解しなければならない。この関係は、オルテリウスが自らの近代地図を、とりわけ古代作家たちに言及することによって説明したことで、理想的に示された。かれ以前には、こうしたことを誰も行わず、それゆえ、この結果としてかれの優れたテキストについては、少なからぬ賞賛の声がわき起こった。かれはまたテクストだけを分離して出版するようにも求められたのである。」
(クーマン前掲書、45頁)

 このファクシミリ版は、普段は特定の地図、しかもその表面ばかりが注目されることが多い『世界の劇場』のすべての地図、テキストを原著と同じサイズ、ボリュームで(気軽に)手に取りながら見ることができるという点で、大変実用性が高い1冊となっています。同書に収録された「日本図」展示と合わせて活用したりするなど、展示、調査研究など様々に活用することができる本書は、ある意味では刊行当初以上に利用価値のあるファクシミリ版と言えるでしょう。