書籍目録

『ジョン・セーリス船長による1613年の日本への航海(日本渡航記)』

セーリス / サトウ(編)

『ジョン・セーリス船長による1613年の日本への航海(日本渡航記)』

(ハクルート協会叢書第2期第5号) 1900年 ロンドン刊

Saris, John. / Satow Ernest Mason(ed.).

THE VOYAGE OF CAPTAIN JOHN SARIS TO JAPAN, 1613.

London, (Printed for)The Hakluyt Society, M.DCCCC.(1900). <AB2020187>

Donated

(The Hakluyt Society. Second Series No.V)

8vo (14.3 cm x 22.3 cm), pp.[I(Half Title.), 2], Front., pp.[III(Title.)-V], VI-VIII, pp.[i], ii-lxxxvii, pp.[1], 2-242, pp.[1], 2-20, (some folded) plates & map: [4], Original publishers decorative blue cloth.
旧蔵機関による蔵書票、タイトルページへのパンチング、ポケットの貼り付け、除架印等あり。

Information

サトウによる詳細な検証と注釈が施されて刊行された、公式日英交流の端緒となり、ポルトガル、スペイン両国を脅かすこと繋がった航海と交渉の記録

「本書は、江戸時代の初頭にイギリスから日本を訪れたジョン・セーリスの航海日誌で、江戸から明治時代にかけて日本との外交に携わったイギリス公使アーネスト・サトウ(Ernest Mason Satwo, 1843 - 1929)が編集したものである。
 セーリスは、イギリスの東インド会社に入り東洋貿易に従事していた。1611年にジェームズ1
世の書簡を携えて3隻からなる貿易船隊の司令官として日本へ向かい、1613(慶長18)年に平戸へ着いた。当時、ウィリアム・アダムズ(三浦按針)が徳川家康の家臣として厚い信頼を受けており、イギリス使節セーリスはアダムズの尽力で家康と秀忠に拝謁し平戸商館の建設と朱印状貿易を許された。
 彼は1613(慶長18)年に家康からジェームズ1世へ宛てた返書を携えて帰国の途に就いた。オランダ勢力下の東アジア海域でイギリス人が初めて日本への航海を成功させたのであった。この日誌には幕府との交渉の様子だけでなく、ジャワのバンタム、タワリ島、モルッカ諸島、そして平戸までの航海の記録と復路のプリマスまでの様子と共に、オランダ人リンスホーテンの地図が綴じられている。
 本書は、著名な日本研究家でもあったサトウがセーリスの来日から約300年を経た時期に航海日誌の研究と編纂を行い、航海記の出版で有名なイギリスのハクルート協会により刊行された。」
(京都外国語大学付属図書館編(知られざる世界への挑戦:航海、探検、漂流を記した書物百選』2012年、26ページより)

「セーリスはロンドンに生まれ、イギリス東インド会社に入り、同社の第8回東洋航海の司令官になり、クローブ号など3隻の船団で1611年4月18日にイギリスを出帆しました。東インド会社は、ジェームズ1世の認可を得て対日貿易を開く方針をたて、セーリスの艦隊を送り出しました。セーリスはジャワのバンタムから日本へ向かい、13年6月11日、クローブ号で平戸に到着したのでした。
 この航海について、セーリスは『日本渡航記』という航海日誌を残しました。日誌はイギリス出港の日に始まり、セーリスのイギリス帰国の日まで、航海日誌のしきたりどおり、丹念につけられています。東洋文庫が所蔵しているのは、セーリスがフランシス・ベーコンに献呈したと伝えられている清書本で、セーリス「航海日誌」の東洋文庫本として世界に知られる貴重なものです。1924年に岩崎久彌がロンドンの古書店から購入したもので、1952年には重要文化財に指定されました。実に美しい手書きです。なお、「ハクルート版」と称される英文版(本書のこと:引用者注)の方は、幕末・明治維新期の在日英国公使館員として有名なアーネスト・サトウが編んだものです。2つの英文版にもとづく日本語全訳と浩瀚な解説として、村上堅固訳『セーリス日本渡航記』があります。」
(東洋文庫編『記録された記憶:東洋文庫の書物からひもとく世界の歴史』山河出版社、2015年、90ページより)