書籍目録

『1598年から1651年に至る日本におけるキリスト教史:1867年7月7日に列福された205年の殉教者についての記述を含む(日本切支丹宗門史)』

パジェス

『1598年から1651年に至る日本におけるキリスト教史:1867年7月7日に列福された205年の殉教者についての記述を含む(日本切支丹宗門史)』

全2巻(揃い) 1869−70年 パリ刊

Pagés, Léon.

HISTOIRE DE LA RELIGION CHRÉTIENNE AU JAPON DEPUIS 1598 JUSQU’A 1651 COMPRENANT LES FAITS RELATIFS AUX DEUX CENT CINQ MARTYRS BÉATIFIÉS LE 7 JUILLET 1867.

Paris, Charles Douniol, 1869-70. <AB2020184>

Donated

2 vols.(complete)

8vo (14.0 cm x 22.6 cm), Vol.1(texte): Half Title., Title., pp.[1], 2-872, LACKING pp.873-884. / Vol.2(annexes): Half Title., Title., pp.[1], 2-156, 167[i.e.157], 158-464, Original publishers paper wrappers.
第1巻末尾873-884ページ欠落。刊行当時のままの簡易紙製本のため、綴じ紐に緩みや傷み、背に割れあり。本体も染み、破れが散見されるがテキストの損傷はなく判読には支障なし。

Information

『日本切支丹宗門史』の邦題で知られる名著の原著と貴重な史料を多数収録した史料編

「パジェスが、日本研究に志した動機は勿論不明である。敢て、想像を逞しうせば、彼は嘗て、仏国公使館附の役人として支那に在り、その折、広東港外上川島で帰天した、聖フランシスコ・ザベリオに心を惹かれ、やがて『聖ザベリオ書翰集』の翻訳となり、刊行となり、(1855年)之が動機となって、勃然日本に関する興味が湧いて来たのではないか。1859年に彼が出版した『日本図書目録』の序文によれば、「自分は5年前に、ヨーロッパ人の観点から見た日本史を、古今の文献によって研究しようと決心した。」と言っているが、その研究が如何に徹底的のものであったかは、『日本図書目録』の編纂を初めとして、日本語の文典、辞書の研究、編纂となり、漸時、彼の目ざす日本史に進んでいったことによっても知られる。彼の研究方法は、思想家・評論家のそれではなくて、どこまでも所謂歴史家の態度であった。確実なる根本史料を博捜蒐集し、整理記述した。今や、史料は一段と豊富を加えたとはいえ、然し、当時、彼があれほどの集大成をしたことは、寧ろ驚嘆に値する。
 彼は、『日本図書目録』を世に送りに当り、「研究の材料の多いのには一驚を喫した。この際、丹念に書き留めておいた材料を不完全ながら、取りまとめて刊行する。」といい、日本史に就いて、「4巻よりなるこの著作は既に進行し、2年以内に刊行の予定」とある。然るに、その中の第3巻、すなわち本書だけが出版せられ、他の3巻は遂に未完に終わった。せめて、彼が企てた厖大な計画の面影でも留めておこう。

日本帝国史:その起源、基督教会、ヨーロッパとの関係、全4巻、八折本、附図。

第1巻
 第1編:地誌、博物
 第2編:邪教(宗派、偶像、祭式等)、基督教(祭式、宣教師、土着の教師、慈善事業等)
 第3編:政治、法律、風俗
 第4編:農業、商業、航海、美術、工業、科学、度量衡、貨幣
 第5編:言語、文学

第2巻
 第1編:日本の紀年、年表
 第2編:ヨーロッパ人による発見、聖フランシスコ・ザベリオの伝道
 第3編:義輝の時代(1550ー1565年)
 第4編:信長の時代(1566ー1582年)
 第5編:太閤様の時代(1582ー1598年)

第3巻
 第1編:大府様の時代(1598ー1616年)
 第2編:将軍様の時代(1616ー1631年)
 第3編:当将軍様の時代(1632ー1651年)

第4巻(近世)
 第1編(1651ー1670年)
 第2編(1761ー1840年)
 第3編(1841ー1870年)
 地図、年表

 如何に大がかりなものであったか、之でも知られよう。而して、この『日本切支丹宗門史』は、正しくその第3巻に相当する。彼が2年以内に刊行の予定と宣言した年より数えて丁度10年目、1869年より70年にかけて、附録資料編と共に刊行せられたのである。他の部分が、遂に世に出ずにしまったことは、返す返す惜しみても余りあることである。
 さて本書は、徳川氏上三代、日本の切支丹史として、考えように依っては、最も内容のある時代に相当する。一体普通には、足利氏の末期に入り比較的順調に進展興隆した切支丹宗は、織田氏時代より豊臣氏時代の初期にかけてその頂点に達し、爾来漸時衰運に向かったとするのであるが、この観察は孰れかといえば皮相の見方で、信仰そのものの方から言えば、この所謂衰退期の活発隆盛は、到底所謂興隆期の及ぶ所ではない。貴族を中心とし、多分に好奇心の要素を含んだ初期興隆期の切支丹は、訳もなく潰えたが、此期のそれは、名もなき人々が凡そ人間の考え得るあらゆる惨虐を極めた迫害の下をくぐって、兎に角その一部は、幕末明治に至るまで信仰を貫いたのである。その如何なるものであるかは読者の研究に任せるが、本書は、この期間に於ける史料の宝庫である。1598年(慶長3年)より1651年(慶安4年)に至る、内府様(家康)将軍様(秀忠)当将軍様(家光)の時代の政治上、社会上、日欧交渉史上の主なる事件を程よく配し、切支丹史上のくさぐさの出来事を総て余さず、丹念に記述した編年史である。忠実なる編年史であるため、一つの事件も時に幾つかに割かれることはあるが、日本史側の史料の宝を探し当てて、我がものとすることが出来るのである。(後略)」

(レオン・パジェス (著)/ クリセル神父(校閲)/ 吉田小五郎(訳)『日本切支丹宗門史』上巻、1938年、岩波書店、前書6-9ページより)

第1巻。刊行当時のままの簡易紙製本のため、綴じ紐に緩みや傷み、背に割れあり。本体も染み、破れが散見されるがテキストの損傷はなく判読には支障なし。
第1巻表紙。
第1巻タイトルページ左には、本書が全2冊構成であることや、全4巻からなる著作の第3巻に該当する旨などが記されている。
第1巻序文冒頭箇所。
第1巻本文冒頭箇所。編年体で記されていて、各章冒頭には収録内容の概要が記されている。
第1巻第7章(1638-39年)では島原の乱と天草の動向について詳述されている。
第1巻裏表紙。
第1巻は残念ながら末尾873-884ページ欠落している。
第2巻。第2巻は第1巻執筆のためにパジェスが用いた書簡や報告などの史料が年代、主題ごとに翻刻の上収録されていて史料的価値が高い。なお、邦訳本は第1巻のみを対象としていて第2巻は訳出されていない。
第2巻表紙。
第2巻タイトルページ。
第2巻冒頭箇所。収録史料それぞれに番号が振られている。
史料番号119番には、第1巻第7章で詳述された島原の乱の関連資料として、同事件を詳細に報じたポルトガル語報告書が収録されている。
第2巻にも第1巻同様に傷みが見られる。