書籍目録

『日本の聖なる殉教者:1862年6月ローマへの巡礼の旅』

モントロン / (日本二十六聖人殉教事件)

『日本の聖なる殉教者:1862年6月ローマへの巡礼の旅』

初版 1863年  リール刊

Montrond, Maxime de.

LES SAINTS MARTYRS DU JAPON: PÉLERINAGE A ROME EN JUIN 1862.

Lille, L. Lefort, MDCCCLXIII(1863). <AB20211737>

Sold

First edition.

8vo (13.5 cm x 22.0 cm), pp.[I(Half Title.), II], Front., pp.[III(Title.)VII], VIII, [9],10-220, 2 leaves(advertisements), Contemporary decorative green cloth.
装丁に汚れ、途次に緩みが見られるが概ね良好な状態。小口は三方とも金箔押し。[NCID: BA15910986 (2nd ed.)]

Information

「日本二十六聖人殉教事件」と犠牲者の列聖の意義を高らかにうたう

 本書は、1597年2月15日に長崎の西坂の丘の上の刑場で26人のキリスト教信者が処刑されたいわゆる「日本二十六聖人殉教事件」の犠牲者が1862年6月に列聖されたことを記念して刊行されたと思われる作品で、列聖の意義と事件の概要を当時の読者に伝える内容となっています。

 日本二十六聖人殉教事件は、豊臣秀吉による大規模なキリスト教迫害事件として、当時在日していた宣教師ルイス・フロイス(Luís Fróis, 1532 - 1597)による報告によって、当時からヨーロッパで広く知られ、また衝撃を与えました。事件から30年後の1627年に、殉教者26人は福者としてウルヴァノ8世によって列福されたことで、この事件はその後もヨーロッパで長く記憶されることになり、様々な出版物が生み出されています。

 その後、1858年に江戸幕府が西洋諸国との通商条約を結び、再び外交関係が開かれるようになった1862年、26人は時の教皇ピウス9世によって、聖人として列聖されることになり、この事件に対する再注目と出版物の増加を呼びました。開国後の日本には数多くの宣教師が再来日を試みており、カソリック、プロテスタント双方からの活動が活発化していきますが、再びヨーロッパ諸国に開かれた日本におけるかつて殉教事件が再注目されたのは、こうしたことも背景にあったのではないかと思われます。日本の殉教者の列聖は当時のヨーロッパで大きな反響を呼んだようで、関連する書籍が各国語で相当数に上る数が出版されています。

 本書もそうした作品の一つに数えられるもので、列聖の意義がいかに大きなものであるのかを全面的に強調した内容となっています。それと同時に事件の概要を当時の読者にわかりやすく解説しており、当時彼らの列聖に関心を持った一般の読者の需要に応えると共に、今後の日本における宣教活動がどれほど重要となるのかをアピールしています。冒頭には26人の犠牲者が処刑される場面を描いた口絵が設けられていますが、その風貌はほとんど中国の人々のように描かれており、列聖に対する高い関心とは裏腹に、当時のヨーロッパにおける日本認識が混乱していることもうかがわせています。


「1861年12月23日、教皇ピオ9世は1597年の長崎の殉教者のうち、フランシスコ会関係の23名の列聖を許可する旨宣告し、翌年3月25日、イエズス会の3人の殉教者に対しても同様の宣言が行われた。次いで同年6月8日、26殉教者の列聖式がサン・ピエトロ大聖堂において挙行された。列聖式の模様は当時の出版物によって知りうるが、大聖堂内部は殉教のエピソードを描いた多数の絵で飾られていたという。日本のカトリックの歴史を通じて初めて聖人に列せられたこれら26殉教者に対する崇敬はこの機会に再びにわかに高まり、1852年だけでもローマ・ブレダ・パリ・リール・ルツェルン・マドリード・ヴァレンシア・マインツ・トゥールーズ・ダブリンなどで17種以上の書物が刊行された。これらのうち、扉絵があるものは、アゴスティーノ・ダ・オシモ著『日本フランシスコ会23殉教伝』(ローマ刊、ニコラ・モネータの銅版扉絵入り)、ジュゼッペ・ボエロ著『日本イエズス会三聖人の生涯と殉教』(ローマ刊)、ダブリンで刊行された『三イエズス会殉教者の生涯と殉教』。エウスタキオ・マリア・デ・ネンクラーレス著『日本26殉教者伝』(マドリード刊、トマス・カルロス・カブスおよびホアキン・マギストリスの版画表紙・挿絵入り)などであるが、美術史的に注目されるのは、N.A.A.アウセムス著『聖ペドロ・バプチスタ伝』(ブレダ刊)、D. ブイー著『日本二十六聖人史話』(パリ / リヨン刊)および、M. ド・モントロン著『日本聖殉教者』(リール / パリ刊)の銅版扉絵である。これら3点の作例のうち、後の2例はいずれもオーギュスト・ポントゥニエなるパリの複製木版画家の手になるものであり、それらは、アウセムスの著者の扉絵とほぼ完全に一致している。これらのうちのどれかは、明治の中頃日本にも知られていたとみえ、1887年(明治20年)大阪で刊行された『日本廿六聖人致命略伝 全』の扉絵にコピーされている。この銅版扉絵の彫師は石田有年であるが、かれはまた、同年京都で出版されたピリヨン師の『日本聖人鮮血遺書』のために極めて日本的な日本二十六聖人磔刑図を残した。これら石田有年による銅版画作品は日本人最初の二十六聖人殉教図といえよう。」
(越宏一「美術における日本26殉教者:その作品カタログ」『国立西洋美術館年報』第8巻、1975年所収論文、21, 22ページより)