書籍目録

『イエズス会著作目録』

リバデネイラ

『イエズス会著作目録』

(プランタン)第2版(増補改訂第3版) 1613年 アントワープ刊

Ribadeneira (Ribanedeyra), Petro(Pedro de).

CATALOGVS SCRIPTORVM RELIGIONIS SOCIETATIS IESV:…SECVNDA EDITIO, Plurimorum Scriptorum acceßione locupletior.

Antwerpen, Officina Plantiniana, clɔ. Iɔc. XIII.(1613). <AB20211734>

Reserved

2nd (Plantin) ed. (i.e. 3rd enlarged revised ed.).

8vo (10.3 cn x 18.0 cm), Title., 15 leaves, pp.1-370, 3[i.e.371], 372-378, 359[i.e.379], 380, Contemporary vellum.
タイトルページ下部余白が切り取られているが、テキストに欠損はなく全体として良好な状態。[Sommervogel: Vol.6-1754]

Information

イエズス会士によるさまざまな著作を分野ごとに分類して収録、コレジオはじめ世界各地のイエズス会施設目録と殉教者目録も掲載

 本書は、イエズス会士による著作と著者についての総目録、ならびに殉教者目録、そして世界各地におけるコレジオをはじめとしたイエズス会関連施設の目録、という3つの目録で構成されている作品です。本書には、ヴァリニャーノやフロイスをはじめとして、日本と関係の深い著作や著者に関する記事が多数収録されており、また刊本だけでなく草稿類についても記録されていることから、現在では失われてしまった可能性がある作品の情報を見つけ出すことができる可能性のある貴重な作品です。また、日本各地のコレジオ等のイエズス会施設の情報や、1597年のいわゆる日本二十六聖人殉教事件において犠牲となったパウロ三木ら3人のイエズス会士に関する記事も収録されています。本書初版にあたる作品は、1608年に本書と同じくアントワープで刊行されており、その翌年1609年にはリヨンで改訂版が、そして著者没後の1613年に再び改訂版がアントワープで刊行されており、本書はこの1613年のアントワープ改訂版にあたります。版を重ねるごとにテキストが全面的に見直されていたようで、細かな訂正、増補、あるいは削除が施されていることから、それぞれの版を参照しながら、イエズス会内部における出版物と著者に関する情報の把握状況、またそれぞれの位置付けの変遷などを辿ることが可能です。

 著者のリバデネイラ(Pedro de Ribadeneira, 1527 - 1611)は、スペインのトレド出身で裕福な改宗新教徒の家庭に生まれました。13歳の時にファルネーゼ枢機卿(Alessandro Cardinal Farnese, 1520 - 1589)の付き人として1539年にローマに赴いた際に当地に滞在中であったロヨラに受けて強い感銘を受け、イエズス会がローマ教皇によって正式に認可されるわずか数日前の1540年9月18日にイエズス会に入会しています。ロヨラらと2年余り過ごして研鑽を積んだのち、パリ、ルーヴァン、パドヴァ、ローマといったヨーロッパ各地で修辞学の教師としても精力な活動を続け、1553年に正式に叙階されています。リバデネイラは、イエズス会初代総長のロヨラ伝をはじめとして、第2代、第3代イエズス会総長の伝記も手掛けたほか、古代からの聖人伝を自身で新たに編纂した作品、イエズス会士著者と著作目録の編纂など、数多くの執筆活動を終生にわたって精力的に続けました。

 本書は、このように多くの著作を残したリバデネイラが最晩年に手がけていた作品で、著作の執筆に際してあらゆる史料を網羅的に参照することに努めたことで知られていたリバデネイラらしく、イエズス会関係者の著作と著者情報を体系的に整理するという、それまでのイエズス会には見られなかった画期的な作品となりました。1608年にアントワープの名門出版社でイエズス会とも関係の深かったプランタン社から初版を刊行し、翌年には早くも改訂版をリヨンで出版しており、リバデネイラがこの作品に対して並々ならぬ情熱と、その内容の網羅性、正確性を重視していたことが窺えます。本書は、リバデンリラの没後1613年になって出版地をアントワープに戻して刊行された版で、1609年のリヨン版からは大幅に内容の増補改訂が行われています。実質的には本書は増補改訂第3版と呼ぶべき作品ですが、タイトルページには第2版との表記があるのは、アントワープのプランタン社が手がけた版としては第2版に当たるがゆえのことではないかと思われます。

 本書の冒頭に置かれており、またその中心をなしているのは、イエズス会の著作家、およびその作品の目録です。ここでは、クリスチャンネーム順に著者が並べられており、その出身国、経歴、そして作品が列挙されています。収録されている作品は刊本だけでなく、草稿などの未公刊資料も含まれており、現在では失われてしまった可能性がある作品も記録されている可能性があり、大変興味深い内容となっています。ここでは、日本と関係の深い著者や、著作に関する記事を数多く見ることができ、店主が確認し得た限りでも下記のような記事が収録されています。

* ヴァリニャーノ(Alexander Valignanus, p.9)『日本覚書』ほか
* ローゼンブッシュ(Christophorus Rpsembusco, p.40)日本に関する草稿
* マガリャインシュ(Cosmas Magallanus, p.43)草稿『日本のカテキズモ』全2巻
* デ・サンデ(Eduardus Sandius, p.49)『天正遣欧使節記』
* アコスタ(Emanuel Acosta, p.50)『東洋におけるイエズス会史』
* ゲレイロ(Ferdinandus Guerreiro, p.55)『1600年からのイエズス会アジア布教史』
* ザッキーニ(Franciscus Sacchinus, p.69)『イエズス会史』
* ザビエル(Franciscus Xavier, p.77)
* トルセリーニ(Horatius, Tursellinus, p.102)『ザビエル伝』ほか
* グアルティエリ(Iacobus Gualterus, p.120)『天正遣欧使節記』(但し本書で同書は言及されず)
* ブシウス(Idem Pater Ioannes Busæus, p.137)日本についてのラテン語著作
* ルセナ(Ioannes Lucena, p.145)『ザビエル伝』
* マッフェイ(Ioannes Petrus Maffæus, p.150)『インド誌』ほか
* リバデネイラ(P Petri Ribadeneiræ, p.151)日本に関する草稿
* フロイス(Ludovicus Froes, p.169)
* グスマン(Ludovicus Guzman, pp.169)『東方伝道史』
* オルランディーニ(Nicolaus Orlandinus, p.188)『イエズス会年代記』ほか
* トリゴー(Nicolaus Trigaultius, p.189)
* フォンセカ(Petrus Fonsexa, p.197)
* グスマン(Petrus Gusmanus, p.198)トルセリーニ『ザビエル伝』スペイン語訳
* ジャリック(Petrus Du Jarric, p.198)『インドにおけるイエズス会史』
* ペルピニャン(Petrus Ioannes Perpinianus, pp.198)『説教集』(後年版に天正遣欧使節のローマ謁見時演説収録版あり)ほか
* リバデネイラ(Petrus Ribadeneira, p.225)上掲と同一人物にして本書著者、著者没後に編者によって追記された記事と思われる。

 また、こうした日本関係記事だけでなく、スアレス、アルヴァレス、ベラルミーノといったイエズス会を代表する錚々たる著作家の情報も掲載されており、当時のイエズス会における出版活動の様相を一望することができます。各記事の分量配分にはかなりの差があることから、当時のそれぞれの著者や作品に対する評価のあり方をただることも可能でしょう。

 こうした目録に続いては、著者の人名索引が続いており、この索引はファーストネーム、また出身国別で整理されていることから、本文とは異なる視点から著者を検索することが可能になっています。さらに、本文中で言及された著作を分野別に分類して一覧としても掲載しており、この記述は、当時のイエズス会における出版物の分類方法のあり方を理解する貴重な手がかりとなるものです。イエズス会は、その教育機関であるコレジオにおけるカリキュラム構築に際して、独自の学問分類と方法論を採用していたことが知られていることからもわかるように、知識習得と構築に関する方法論に対して極めて自覚的でありました。本書における独自の著作分類は、当時のイエズス会の学問体系の認識の様相を示すものとしても大変興味深いものでしょう。

 本書の中心をなす著者と著作目録に続いては、当時イエズス会がヨーロッパだけでなく、日本を含めた世界各地で運営していたコレジオをはじめとする各種施設の一覧が掲載されています。ここではローマを筆頭にして地域ごとにそれぞれの施設とその設置場所が明記されており、日本については328ページにその記述を見ることができます。長崎(Nagasachi)のコレジオ、有馬(Arima)のコレジオ、大村(Omura)の家屋(Domus)、博多(Facata)のレジデンシア、小倉(Cocura)、広島(Firoxima)、天草(Amacusa)、志岐(Xiqui)、上津浦(Conzura)のレジデンシア、京都(Meaco)の家屋(Domus)、大坂(Ozaca)のレジデンシア、伏見(Fuscim)のレジデンシアが列挙されています。この情報が何時ごろの情報に基づくものなのかは不明ですが、ゴア、マルバラに続いて日本における状況が詳細に記されています。これらの施設情報は、地域別の掲載に続いて、施設別に分類しても掲載されています。

 本書最後(355ページ〜)に掲載されているのは、イエズス会がザビエルによる宣教活動を開始して以来、活動に従事する中で落命した殉教者たちの目録です。この殉教者目録は年代順に記載されていて、人名とその経歴、殉教に至った事情などが簡単に綴られています。373ページから374ページにかけては、1597年にいわゆる日本二十六聖人殉教事件において犠牲となった3人の日本のイエズス会士、すなわち、ヤコボ喜斎(Iacobus Ghisai)、パウロ三木(Paulus MIchi)、ヨハネ五島(Ioannes Goto)の記事が掲載されており、事件が与えた影響の大きさが窺えます。

 本書は、イエズス会による最初の文献目録として画期的な作品となり、しかもリバデネイラが3度にわたる増補改訂を行う中でその構成や内容を発展させていったという大変力のこもった作品です。この作品は後年にも多大な影響を及ぼしたようで、1643年には、ブリュッセル出身のイエズス会士アレガムベ(Philippe Alegambe, 1592 -1652) による大幅な増補改訂版が刊行されています。この作品はさらなる増補改訂版が出されており、本書でリバデネイラが企てたイエズス会による著作総目録の構築という構想は、後世へと引き継がれていくことになりました。その意味では、現在でも広く用いられているSommervogelらのイエズス会著作目録へと続く原点を、本書は築き上げたと考えることができるでしょう。