書籍目録

『満州における国際連盟調査委員会(リットン調査団)』(特製アルバム)

南満州鉄道(満鉄)

『満州における国際連盟調査委員会(リットン調査団)』(特製アルバム)

満鉄総裁内田康哉による贈呈献辞カード付 1932年(5月) 満州(大連?)刊

South Manchuria Railway Co.

The League of Nations Commission of Inquiry in Manchuria.

Manchuria(Dairen?), (compiled by) South Manchuria Railway Co, (May) 1932. <AB20211726>

Sold

30.0 cm x 40.0 cm, 47 leaves(maps, numerous photos and articles pasted on each page) *詳細な収録内容は下記解説参照, Original decorative green silk? cloth board bound in Japanese style.

Information

リットン調査団に満鉄総裁内田康哉が贈呈した、満州各地における調査団の様子を撮影した写真や各種メディア記事で編纂された特別アルバム

 この大型のアルバムは、南満州鉄道(以下、満鉄)が満州事変後に満州を訪れた国際連盟委員会、いわゆる「リットン調査団」のために特別に製作したもので、調査団の満洲各地での視察や聞き取りの様子を撮影した90枚余りの写真と、当時発行されていた各国語の新聞記事の切り抜きなど60点余りで構成されています。当時の満鉄総裁であった内田康哉による献辞カードが見返しに貼り付けられており、その極めて豪華で特殊な造りから見て、調査団のメンバーのために数部だけが特別に製作された極めて希少なアルバムであると思われます。

 1931年9月18日に瀋陽郊外の柳条湖で満鉄の線路が爆破されたという一報に端を発して、瞬く間に関東軍が東三省を占領するに至るという「満州事変」は、国内外に大きな衝撃を与え、その後の日本の行く末を決定づけることになった事件としてあまりにも有名です。この事件は満州の実効支配を確立し、「満州国」を誕生させるために関東軍が、張学良軍の仕業に見せかけて自作自演で行った謀略であったことが明らかにされていますが、この国際社会にとっても一大事件となった出来事に対して、国際連盟から派遣された特別調査委員会、いわゆる「リットン調査団」が1932年4月から満州各地を実際に訪れて調査を行いました。この調査団がその後に発表した調査報告書に(その内容が実質的に日本の権益を認める内容であったにもかかわらず)日本が強く反発し、国際連盟の脱退にまで至ったことも非常によく知られています。

 満州事変の勃発当時、満鉄の総裁には内田康哉が就任した直後でした。内田は、1920年代の国際協調外交路線(幣原外交)の確立に尽力してきた大物外交官としてその手腕を見込まれて、関東軍に対してある程度の睨みを効かせられることを期待されて満鉄総裁として送り込まれましたが、その就任直後に事件が勃発したことになります。こうした期待を受けて就任したという経緯があったため、日本政府首脳には事件勃発当時、内田が率いる満鉄は事態の拡大に走る関東軍と距離をとり、外交的解決に向けて外務省と協力して事態の収集にあたるものと確信されていましたが、あろうことか内田は関東軍の本庄繁司令官との会談を経てから積極的に関東軍への協力を行う方針をとることを自ら強く主張するようになり、周囲を大いに驚かせました。この内田の劇的な転身により関東軍は満鉄から人的面、インフラ面の双方で全面協力を得ることが可能となり、満州国の設立に向けて直走っていくことになります。また、多くの満鉄幹部が内田の転身に動揺していた一方で、現場レベルの満鉄社員は従来から関東軍との関係を深めており、事変勃発後は関東軍への積極的な協力行動をとって事態を進展させていきます。このように、満州事変の勃発に際して、内田総裁率いる満鉄は事態を収束させるどころか、周囲の予想をはるかに越えたところまで事態を進展させる関東軍の強力なパートナーとして行動を共にしていきました(この点についてはすでに多くの研究がありますが、近年の作品では、加藤聖文『満鉄全史:「国策会社」の全貌』講談社、2019年(学術文庫版)などを参照)。

 このように満州事変に対して、関東軍と「二人三脚」(加藤前掲書)とまで言われる役割を果たすことになった満鉄は、事態の調査のために満州を訪れることになったリットン調査団への対応についても、当然ながら極めて積極的な行動を展開していきます。そもそも調査団が満州各地を訪問するためのインフラや、警護といった必要なことほぼ全ては、満鉄と関東軍によって掌握されており、彼らの関与なしにリットン調査団は調査を行うことが不可能な状況にありました。内田は、この状況を非常によく理解しており、調査団に対して、満州事変における日本の正当性を理解させ、ならびにそれまでの張学良政権による支配がいかに不当なもので、新たに設立された「満州国」は現地の人々の自発的意思に基づいた国家であることを、国際社会に強くアピールするための最大の機会と捉えて、調査団の視察をプロデュースしようとしました。調査団が訪れる各地では、日本、朝鮮、満州をはじめとしたさまざまな人々が熱烈に調査団を歓迎し、関東軍の関与以降、同地の統治、社会状況が極めて改善されたことが自らアピールされ、調査団の聞き取り調査に対しても友好的で協力的な態度で接する一方で、中国側の参考委員として同行していた顧維鈞の影響力を極力排除しようとするなど、多方面にわたる工作が展開されました。

 このアルバムは、満鉄(と関東軍)がリットン調査団に「見せたかった満州」が最大限に表現された作品と言ってよい作品で、そこに収められた写真やメディア資料それ自体が貴重であることに加えて、彼らのリットン調査団に対するプロデュースのあり方を伝えるという点でも大変興味深いアルバムです。前半に収められている写真は、調査団の行程に沿って時系列順に各地での調査団と関係者との会談の様子や視察時の風景、晩餐会などでの歓迎の様子など様々な場面が収めれています。写真はおおむね3つの異なるサイズ(便宜的に下記の詳細では、大、中、小と分類)で収録されていますが、いずれも非常に高いクオリティを有しており、明らかにプロのカメラマンが明確な意図を持って撮影した「作品」であることがわかります。それぞれの写真には英文でキャプションが付されていて、アルバムをめくっていくと視察団がどのように満州各地を見たか(見せられたか)を辿ることが可能になっています。

 また、アルバムの後半部分では、視察団が各地を訪問した際に発行された新聞記事を中心にした切り抜きが収められていて、当時のメディアの論調(当然、大半が関東軍と満鉄の強いコントロール下にあったであろう)を辿ることが可能になっています。記事は、英語、日本語、中国語、そしてロシア語までもが含まれており、様々なメディアが当時の調査団の訪問を各地でどのように報じたか(させられたか)を垣間見ることができます。収録されている記事には写真も多数含まれており、その中にはアルバムの前半に収められている写真と同じ構図の写真も散見されることから、当時のメディアコントロールの様相をある程度辿ることも可能です。記事の多くには誌名と日付が赤字で押印されており、前半の写真と合わせて見ることで、当時の調査団を取り巻く雰囲気が非常に生々しく伝わってきます。また、ここには新聞記事や写真だけでなく、満鉄社員会による歓迎文や、張学良政権によって引き起こされている窮状を訴える農民の陳情書(工作による演出であることはほぼ間違いないと思われる)までもが収められていて、満州事変とそれに至る経緯における日本の正当性を多面的にアピールする構成となっています。

 アルバムは47枚の厚紙を豪華な布張りの表紙で和綴本風に綴じるという、蔵本としても大変手の込んだもので、コストを全く度外視して製作された特殊なアルバムであることが伺えます。表紙には「1932年5月」とありますので、調査団が満州各地を視察中から並行して製作が進められ、調査を終えて満州を離れる際に内田総裁が調査団のメンバーに贈呈したものではないかと思われます。

 このアルバムがどの程度の部数が製作されたのかは定かではありませんが、その造りが極めて手の込んだものであることや、国内はおろか海外の研究機関でも(店主管見の限りでは)まったく所蔵が確認できないことから、おそらく調査団のメンバーのために数部(5部?)だけが特別に製作されたのではないかと推測されます。このアルバム自体は、近年になってアメリカで発見されたもののようですので、あるいはアメリカ代表として調査に参加していたマッコイ(Frank Ross McCoy, 1874 - 1954)に贈呈された1冊なのかもしれませんが、確かなことはわかりません。いずれにしましても、大変貴重な写真とメディア記事をふんだんに、しかも満鉄が見せたかった視点に基づいて構成されているというこのアルバムは、満州事変とリットン調査団というあまりにもよく知られている大事件に新しい光を当てる大きな可能性を秘めた貴重な書物ではないかと思われます。


収録内容(番号は店主が便宜上付したもの)

・満鉄内田総裁による贈呈献辞カード
・満州鉄道路線図(1932年2月、満鉄調査部作)
・調査団の満洲における行程表

・大連ガイド・パンフレット(満鉄作)

・写真(括弧内は写真サイズ)
1. 中国巡洋艦におけるリットン卿と顧維鈞(大)
2. 大連埠頭におけるリットン卿(大)
3. 日本の駆逐艦にて4月20日に大連に到着した、クローデル中将とシュネー博士、ならびに随行員たち(小)
4. 4月21日、大連駅におけるシュニー博士と満鉄総裁内田伯(小)
5. 4月21日、大連駅におけるクローデル中将と満鉄総裁内田伯(小)*4と同一写真
6. 4月21日、奉天に到着した、アルドロバンディ・マレスコッティ伯とマッコイ少将、ならびに随行員たち(小)
7. リットン卿、クローデル中将、シュニー博士の奉天到着(小)
8. 奉天の大和ホテル(小)
9. 奉天における仏教徒婦人連盟による連盟委員会への花輪贈呈(小)
10. 奉天のセントラル・サーカスにおけるリットン卿とアルドロバンディ・マレスコッティ伯(小)
11. 奉天の大和ホテル前におけるマッコイ少将とシュニー博士(小)
12. 4月23日に在奉天日本総領事館を訪問した連盟委員会(双方の集合写真)(大)
13. 4月25日、奉天北部の霊廟(北陵)壁上におけるアルドロバンディ・マレスコッティ伯とシュニー博士(小)
14. 4月24日、奉天関東軍司令部前における連盟委員会と本庄(繁)関東軍司令官(大)
15. 4月26日、奉天において連盟委員会による聞き取り調査後の朝鮮人住民の代表団(小)
16. 5月1日、奉天において連盟委員会に陳情を行う満州の農民たち(小)
17. 5月1日、奉天の東部霊廟(東陵)にて(散策中のスナップ)(小)
18. 5月1日、奉天の東部霊廟(東陵)におけるシュニー博士(中)
19. 5月1日、奉天の東部霊廟(東陵)にて(集合写真)(小)

・5月2日、奉天から長春までの列車案内(スケジュール、車両、車内サービスの案内)
・同、メニュー表
・同、ワインリスト

・写真
20. 5月2日、(長春)懐徳県にて連盟調査委員会を歓迎する日本人と満州人の住民たち(中)
21. (長春)懐徳県のS.M.R. 農業試験場にて(小)
22. S.M.R. 農業試験場における、リットン卿とシュニー博士、マッコイ少将(小)
23. S.M.R. 農業試験場でのティー・パーティー(小)
24. 長春の大和ホテル(小)
25. 5月3日、調査委員会と謝介石満州国外交部総長(大)
26. 5月3日、調査委員会と謝介石満州国外交部総長(25とは異なる写真)(小)
27. 5月4日、調査委員会と鄭孝胥満州国(国務院)総理(大)
28. 5月6日、長春の満州国逓信省へ(と向かう調査委員会の車列)(小)
29. 5月4日、在長春日本領事館への調査委員会の訪問(大)
30. アンジェリーノ博士と長春の朝鮮人農夫の代表団(小)
31. 5月5日、満州国執政溥儀への調査委員会の訪問(集合写真)(大)
32. 5月7日、吉林駅にて(小)
33. 5月7日、吉林駅前における調査委員会(小)
34. 5月7日、在吉林日本総領事館への訪問(小)
35. 調査委員会と石井在吉林日本総領事(集合写真)(中)
36. 張学良統治下において兵士によって中指を切り落とされた朝鮮人の子供(小)
37. 調査委員会の多聞(二郎)第二師団長の訪問(集合写真)(中)
38. 吉林の第二師団司令部を立ち去る調査委員会(の車列)(小)
39. 吉林省政府によって催された吉林クラブにおけるランチョン・パーティ(大)
40. 5月9日、中国東進鉄道のTsaichiakou駅にて(小)
41. 5月9日、ハルビンに到着した調査委員会
42. ハルビン駅にて(小)
43. (ハルビンの)ホテル・モデルネ(大)
44. 調査委員会のハルビン日本陸軍司令部の訪問(小)
45. 5月10日、ホテル・モデルネで(会談する)アンジェリーノ博士と朝鮮人農民たち(小)
46. ハルビン市役所(前図書館)(大)
47. 5月11日、包ハルビン市長との聞き取り調査を終えて(小)
48. 在ハルビン日本総領事館(大)
49. 5月12日、在ハルビン日本総領事館を立ち去る調査委員会(小)
50. 5月12日、ポーランド教会を立ち去る調査委員会(小)
51. 李 C. E. R.総督への聞き取り調査(小)
52. 朝鮮人居留区への訪問(小)
53. 朝鮮人居留区への訪問(51とは異なる集合写真)(大)
54. ハルビンからチチハルまでの航空機での移動(航空機の前での集合写真)(大)
55. ハルビンからチチハルまでの航空機での移動(離陸する飛行機)(小)
56. ハルビンの鳥瞰図(小)
57. チチハルの鳥瞰図(小)
58. 5月22日、調査委員の特別調査員のチチハルへの(航空機での)到着(小)
59. チチハルの入口(小)
60. (チチハルの)Lungchiangホテル(小)
61. 陳黒竜江省総督への訪問(集合写真)(小)
62. 在チチハル日本領事館にて(小)
63. 5月24日、Chiangchiaoにて(小)
64. 5月24日、洮南市にて満州国の官吏への聞き取り調査(小)
65. 5月26日、調査委員会の大連への到着(小)
66. 大連駅における調査委員会(小)
67. 大連の大和ホテル
68. 5月26日、大連の満鉄総裁邸におけるリットン卿、マイルズ・ランプソン男爵と内田伯満鉄総裁(集合写真)(大)

・旅順ガイド・パンフレット(満鉄作)

・写真
69. 旅順への自動車での移動(小)
70. 旅順の203高地における調査委員会とその一行(小)
71. 旅順の203高地頂上付近での調査委員会とその随員たち(小)
72. 調査委員会と関東長官の山岡(萬之助)博士(集合写真)(大)
73. 5月28日、満鉄総裁内田伯への聞き取り調査(大)
74. 調査委員会と満鉄総裁内田伯、ならびに同社社員(集合写真)(大)
75. 5月28日、満鉄総裁邸で催されたディナー・パーティー(大)
  +ディナー・パーティーメニュー表
76. 汽船天朝丸にて大連から天津へと出発する調査委員会の一部メンバー(小)
77. 5月30日、按山の製鉄所へ(向かう調査委員会)(小)
78. 按山製鉄所の高炉(小)
79. 6月1日、撫順の理事邸における調査委員と伍堂(卓雄)満鉄理事(集合写真)(大)
80. 撫順の伍堂(卓雄)満鉄理事邸にて催されたランチョン・パーティー(大)
81. 撫順の伍堂(卓雄)満鉄理事邸における、調査委員と愛らしい日本の女学生(集合写真)(中)
82. 撫順地区における朝鮮人農民の代表団と(面談する)調査委員(中)
83. (撫順の)シェールオイル・プラントへ(と向かう調査委員)(小)
84. (撫順の)シェールオイル・プラントにおける調査委員(小)
85. (撫順炭田の)露天掘における調査委員(小)
86. 1931年9月18日夜、北大営の中国人兵士によって満鉄の線路が爆破された柳条湖における調査委員とその随員たち(小)
87. 6月3日、北大営を調査した調査委員(小)
88. 1931年9月18日夜、北大営による攻撃がどのようになされたかを説明する奉天駐屯の(鉄道守備隊)島本(正一)中佐(小)
89. 6月4日、錦州駅に到着した調査委員を歓迎する満州の人々(小)
90. 6月4日、奉天・山海関線上にある、中国人兵士によって数日前に攻撃され放火されたというKaoling駅近くの建物を調べる調査委員(小)
91. 6月4日、山海関に到着した調査委員(小)

・新聞等の切り抜き記事(カッコ内は言語)

1. 調査委員の到着を歓迎する記事:Manchuria Daily News: 1932年4月20日(英)
2. 調査委員の(軍艦による)航海を報ずる記事:Manchuria Daily News: 1932年4月21日(英)
3. 調査委員派遣の経緯等について解説した記事:Manchuria Daily News:1932年4月20日(英)
4. 調査委員の到着を報ずる記事:Manchuria Daily News: 1932年4月21日(英)
5. リットン卿と満鉄社員会代表会見の写真:満州日報:1932年4月24日(日)
6. 同会談に際して満鉄社員会が制作した歓迎の辞を述べた書面(英)
7. 調査委員会を迎えてのコメントや使節の大連到着を報じた写真記事:満州日報:1932月4月20日(英・日)
8. 顧維鈞、リットン卿らの様子を撮影した写真記事:満州日報:1932年4月22日(日)
9. 調査委員会の行程を報じる記事:Manchurian Daily News:1932年4月22日(英)
10. 各地で調査委員会を歓迎する様子を報じた記事:Manchuria Daily News: 1932年4月23日(英)
11. リットン卿らが顧維鈞を伴って奉天に到着したことを報ずる記事:Osaka Mainichi(英)
12. 調査委員の奉天入りを報じる写真記事:奉天毎日:1932年4月23日(日)
13. 顧維鈞や調査委員の到着を歓迎する記事と写真:Sheng Ching Shih Pao:1932年4月23日(中)
14. 顧維鈞の余裕ぶり、リットン卿の休日の様子等を報じた写真記事:満州日報:1932年4月24日(日)
15. 調査委員や顧維鈞の晩餐会での歓迎ぶりや調査の様子を報じた写真記事:Sheng Ching Shih Pao(日付記載なし)(中)
16. 本庄関東軍司令官との会談の様子などを報じる写真記事:Manchuria Daily News: 1932年4月25日
17. リットン卿が調査の中間報告をまとめていることなどを報じる写真記事:Osaka Mainichi(日付記載なし)(英)
18. 関東軍司令部における調査委員の様子を写した写真記事:Osaka Asahi:1932年4月27日(日)
19. 調査委員会に対する日中関係者のコメントを報じた記事:Japan Times(日付記載なし)(英)
20. 本庄関東軍司令官との会談の様子や中国側に対するリットン卿のコメント等を報じた写真記事:Manchuria Daily News:1932年4月26日(英)
21. 調査委員が農民代表団の陳情に驚いたこと等を報じる写真記事:Hoten Mainichi:1932年4月26日(日)
22. 奉天での関東軍司令部との第3回、第4回の会談の様子等を報じる写真記事:Manchuria Daily News:1932年4月27日(英)
23. ソヴィエトが調査委員の協力を拒んだことを報じる記事:Japan Times:1932年4月27日(英)
24. 朝鮮人農民による(張学良政権による)暴虐を調査委員に訴えたことを報じる写真記事(日付記載なし)Hoten Mainichi(日)
25. 奉天における調査委員の様子を撮影した写真記事:Osaka Asahi:1932年4月28日(日)
26. 顧維鈞のコメント等を報じ調査委員の様子を写した写真記事:Osaka Mainichi:1932年4月26日(英)
27. 日本領事館主催の天長節記念パーティの様子を報じた写真記事:Osaka Mainichi:1932年5月1日(日)
28. 本庄関東軍司令官に調査委員が好感を持ったと報じる写真記事:Osaka Mainichi(日付記載なし)(英)
29. ゴルフに興じる調査委員の様子を写した写真:Osaka Asahi:1932年5月1日(テクストなし)
30. 調査委員の様子を報じた写真記事:Sheng Ching Shih Pao(日付記載なし)
31. 調査委員が長春に到着したことを報じた写真記事:Manchuria Daily News:1932年5月2日(英)
32. 農業試験場を視察する調査委員の様子を報じた写真記事:Osaka Mainichi(日付記載なし)(英)
33. 調査委員を歓迎し新国家樹立を祝うビラが市内に貼られていることを報じる写真記事:誌名、日付記載なし(日)
34. 懐徳県での調査委員の様子を報じる写真記事:Manshu Nippo:1932年5月5日(日)
35. 調査委員と謝介石満州国外交部総長との面談の様子を報じる写真記事:Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
36. 調査委員の満州川の受け入れの様子を報じた記事:Osaka Mainichi(日付記載なし)(英)
37. 懐徳圏の農民団体が調査委員に陳情を行ったことを報ずる記事:Manshu Nippo:1932年5月5日(日)
38. 上記陳情に際して提出された陳情書(印刷)原本(中)
39. 満州の農民の見解を解説した記事:Manchuria Daily News:1932年5月2日(英)
40. 長春における調査委員の様子と朝鮮人農民からの陳情を受けたことなどを報じる記事:Manchuria Daily News:1932年5月5日(英)
41. 長春での調査委員の様子を撮影した写真記事:Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
42. 長春で調査委員が満州国関係者らと会談を持ったことを報じた記事:Osaka Mainichi:1932年5月5日(英)
43. 長春での調査委員と満州国関係者らとの会談の様子を撮影した写真記事:Manchuria Daily News(日付記載なし)(英)
44. 調査委員と謝介石満州国外交部総長との面談や顧維鈞の様子を撮影した写真記事:Osaka Mainichi(日付記載なし)(英)
45. 調査委員の吉林到着と歓迎ぶりを報じた写真記事:Osaka Asahi(日付記載なし)(日)
46. ドイツ人農民植民から調査委員への訴えを掲載した記事:Harbin Daily News(1932年5月8日付)(英)
47. 調査委員のハルビン到着の様子を報じた写真記事:Osaka Asahi(日付記載なし)(日)
48. 調査委員のハルビン到着の様子を報じた記事:Japan Times:1932年5月11日(英)
49. 調査委員のハルビン到着の様子を報じた記事:Harbin Daily News(日付記載なし)(英)
50. 調査委員と顧維鈞のハルビン到着の様子を撮影した写真記事;Harbin Kungpao(日付記載なし)(中)
51. 調査委員のハルビン到着を歓迎する記事:誌名記載なし:1932年5月9日(露)
52. 調査委員のハルビン到着を歓迎する記事:(1932年5月9日付)(Harbin Times)(露)
53. 調査委員のハルビン到着の様子を撮影した写真記事:Osaka Maoinichi(日付記載なし)(英)
54. 調査委員のメンバーの書斎等を記した絵入記事:1932年5月9日(Harbin Times)(露)
55. 調査委員の到着を歓迎する記事:黒龍江民報:1932年5月22日(中)
56. 大連に到着した調査委員の様子を撮影した写真記事:Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
57. 調査委員に宛てたメッセージ記事や調査委員の様子を撮影した写真記事:Manchuria Daily News:1932年5月26日(英)
58. 星ヶ浦リンクでゴルフに興じるリットン卿を撮影した写真記事:Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
59. 小川大連市長による調査委員歓迎の言葉を伝える写真記事:Manchuria Daily News:1932年5月26日(英)
60. 大連、旅順、203高地などでの調査委員や内田満鉄総裁らの様子を撮影した写真記事:Manchuria Daily News(日付記載なし)(英)
61. 内田満鉄総裁主催の晩餐会の様子やテニスに興じるリットン卿の様子を撮影した写真記事:Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
62. 内田満鉄総裁と調査委員の会談や203高地の視察、関東庁の訪問を撮影した写真記事:Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
63. 調査委員の撫順や鞍山製鉄所の視察や、リットン卿の奉天への出発を報じた写真記事;Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
64. 調査委員の氏名やメンバーの詳細等を解説した写真記事3ページ分:満鉄社員会による季刊雑誌『共和』より(日付記載なし)(日)

非常に豪華な造りの装丁で明らかに量産することを想定していない。
見返し部分に当時の満鉄総裁である内田康哉の献辞カードが貼り付けられている。」
折込の満州鉄道路線図(1932年2月、満鉄調査部作)が冒頭に置かれている。
調査団の満州における行程表
満鉄が当時発行していた英文の大連ガイド・パンフレットが折り込んである。
対外宣伝と外客誘致のために当時はこのような英文パンフレットが多数発行されていた。
1. 中国巡洋艦におけるリットン卿と顧維鈞(大)
3. 日本の駆逐艦にて4月20日に大連に到着した、クローデル中将とシュネー博士、ならびに随行員たち(小) 4. 4月21日、大連駅におけるシュニー博士と満鉄総裁内田伯(小) 5. 4月21日、大連駅におけるクローデル中将と満鉄総裁内田伯(小)*4と同一写真
6. 4月21日、奉天に到着した、アルドロバンディ・マレスコッティ伯とマッコイ少将、ならびに随行員たち(小) 7. リットン卿、クローデル中将、シュニー博士の奉天到着(小) 8. 奉天の大和ホテル(小)
12. 4月23日に在奉天日本総領事館を訪問した連盟委員会(双方の集合写真)(大)
13. 4月25日、奉天北部の霊廟(北陵)壁上におけるアルドロバンディ・マレスコッティ伯とシュニー博士(小) 14. 4月24日、奉天関東軍司令部前における連盟委員会と本庄(繁)関東軍司令官(大)
15. 4月26日、奉天において連盟委員会による聞き取り調査後の朝鮮人住民の代表団(小) 16. 5月1日、奉天において連盟委員会に陳情を行う満州の農民たち(小) 17. 5月1日、奉天の東部霊廟(東陵)にて(散策中のスナップ)(小)
5月2日、奉天から長春までの列車案内(スケジュール、車両、車内サービスの案内)
車内で配布されたであろうメニュー表やワインリストがそのまま貼り付けてある。
25. 5月3日、調査委員会と謝介石満州国外交部総長(大) 26. 5月3日、調査委員会と謝介石満州国外交部総長(25とは異なる写真)(小)
27. 5月4日、調査委員会と鄭孝胥満州国(国務院)総理(大) 28. 5月6日、長春の満州国逓信省へ(と向かう調査委員会の車列)(小)
29. 5月4日、在長春日本領事館への調査委員会の訪問(大) 30. アンジェリーノ博士と長春の朝鮮人農夫の代表団(小)
31. 5月5日、満州国執政溥儀への調査委員会の訪問(集合写真)(大) 32. 5月7日、吉林駅にて(小)
48. 在ハルビン日本総領事館(大) 49. 5月12日、在ハルビン日本総領事館を立ち去る調査委員会(小)
52. 朝鮮人居留区への訪問(小) 53. 朝鮮人居留区への訪問(51とは異なる集合写真)(大)
54. ハルビンからチチハルまでの航空機での移動(航空機の前での集合写真)(大) 55. ハルビンからチチハルまでの航空機での移動(離陸する飛行機)(小)
56. ハルビンの鳥瞰図(小) 57. チチハルの鳥瞰図(小) 58. 5月22日、調査委員の特別調査員のチチハルへの(航空機での)到着(小)
68. 5月26日、大連の満鉄総裁邸におけるリットン卿、マイルズ・ランプソン男爵と内田伯満鉄総裁(集合写真)(大)
満鉄が発行していた旅順の英文ガイド・パンフレット
69. 旅順への自動車での移動(小) 70. 旅順の203高地における調査委員会とその一行(小) 71. 旅順の203高地頂上付近での調査委員会とその随員たち(小)
72. 調査委員会と関東長官の山岡(萬之助)博士(集合写真)(大)
73. 5月28日、満鉄総裁内田伯への聞き取り調査(大)
74. 調査委員会と満鉄総裁内田伯、ならびに同社社員(集合写真)(大)
75. 5月28日、満鉄総裁邸で催されたディナー・パーティー(大)   +ディナー・パーティーメニュー表
76. 汽船天朝丸にて大連から天津へと出発する調査委員会の一部メンバー(小) 77. 5月30日、按山の製鉄所へ(向かう調査委員会)(小) 78. 按山製鉄所の高炉(小)
81. 撫順の伍堂(卓雄)満鉄理事邸における、調査委員と愛らしい日本の女学生(集合写真)(中) 82. 撫順地区における朝鮮人農民の代表団と(面談する)調査委員(中)
86. 1931年9月18日夜、北大営の中国人兵士によって満鉄の線路が爆破された柳条湖における調査委員とその随員たち(小) 87. 6月3日、北大営を調査した調査委員(小) 88. 1931年9月18日夜、北大営による攻撃がどのようになされたかを説明する奉天駐屯の(鉄道守備隊)島本(正一)中佐(小)
アルバムの後半は、各種新聞記事などの切り抜きが収録されている。記事の多くには誌名と日付が赤字で押印されている。 
2. 調査委員の(軍艦による)航海を報ずる記事:Manchuria Daily News: 1932年4月21日(英)
5. リットン卿と満鉄社員会代表会見の写真:満州日報:1932年4月24日(日) 6. 同会談に際して満鉄社員会が制作した歓迎の辞を述べた書面(英)
7. 調査委員会を迎えてのコメントや使節の大連到着を報じた写真記事:満州日報:1932月4月20日(英・日)
13. 顧維鈞や調査委員の到着を歓迎する記事と写真:Sheng Ching Shih Pao:1932年4月23日(中)
14. 顧維鈞の余裕ぶり、リットン卿の休日の様子等を報じた写真記事:満州日報:1932年4月24日(日)
15. 調査委員や顧維鈞の晩餐会での歓迎ぶりや調査の様子を報じた写真記事:Sheng Ching Shih Pao(日付記載なし)(中)
37. 懐徳圏の農民団体が調査委員に陳情を行ったことを報ずる記事:Manshu Nippo:1932年5月5日(日) 38. 上記陳情に際して提出された陳情書(印刷)原本(中)
陳情書がそのまま貼り付けてあり、全文を読むことができる。
46. ドイツ人農民植民から調査委員への訴えを掲載した記事:Harbin Daily News(1932年5月8日付)(英) 47. 調査委員のハルビン到着の様子を報じた写真記事:Osaka Asahi(日付記載なし)(日) 48. 調査委員のハルビン到着の様子を報じた記事:Japan Times:1932年5月11日(英) 49. 調査委員のハルビン到着の様子を報じた記事:Harbin Daily News(日付記載なし)(英) 50. 調査委員と顧維鈞のハルビン到着の様子を撮影した写真記事;Harbin Kungpao(日付記載なし)
54. 調査委員のメンバーの書斎等を記した絵入記事:1932年5月9日(Harbin Times)(露)
55. 調査委員の到着を歓迎する記事:黒龍江民報:1932年5月22日(中)
57. 調査委員に宛てたメッセージ記事や調査委員の様子を撮影した写真記事:Manchuria Daily News:1932年5月26日(英)
60. 大連、旅順、203高地などでの調査委員や内田満鉄総裁らの様子を撮影した写真記事:Manchuria Daily News(日付記載なし)(英) 61. 内田満鉄総裁主催の晩餐会の様子やテニスに興じるリットン卿の様子を撮影した写真記事:Manshu Nippo(日付記載なし)(日)
64. 調査委員の氏名やメンバーの詳細等を解説した写真記事3ページ分:満鉄社員会による季刊雑誌『共和』より(日付記載なし)(日)
64. 調査委員の氏名やメンバーの詳細等を解説した写真記事3ページ分:満鉄社員会による季刊雑誌『共和』より(日付記載なし)(日)
64. 調査委員の氏名やメンバーの詳細等を解説した写真記事3ページ分:満鉄社員会による季刊雑誌『共和』より(日付記載なし)(日)