書籍目録

『旧スペイン領アメリカと太平洋諸島の発見、征服と統治に関する未公刊文書集成 第8巻』

メンドーサ / (ビスカイノ)

『旧スペイン領アメリカと太平洋諸島の発見、征服と統治に関する未公刊文書集成 第8巻』

(第9巻と合冊) 1867年 マドリッド刊

Mendoza, Luis Torres de.

COLECCION DE DOCUMENTOS INEDITOS, RELATIVOS al descubrimiento, conquista y organizacion DE LAS ANTIGUAS POSESIONES ESPAÑOLAS DE AMÉRICA Y OCEANÍA, sacados de los Archivos del Reino, y muy especialmente del de Indias…TOMO VIII. [bound with] TOMO IX.

Madrid, Imprenta de Frias y compañía, 1867. <AB20211724>

Sold

8vo (14.0 cm x 21.3 cm). 2 vols. bound in 1 vol, Tomo VIII: pp.[1(Half Title.)-3(Title.)-5], 6-574, 1 leaf(indice). [bound with] TOMO IX: pp.[1(Half Title.)-3(Title.)-5], 6-224, 205-220[i.e. 225-240], 241-582, 1 leaf(indice), Bound in modern red imitation leather.
一部のページの余白に書き込みあるが、全体として良好な状態。[NCID: AA00134217]

Information

日西通商関係樹立と金銀島発見を目論んだビスカイノの日本航海記を収録

「1611年にロドリゴの返礼使節として日本に来航したセバスティアン・ビスカイノは、16世紀からヨーロッパ人が信奉していた「金富島」・「銀富島」探索の任務をも担っていたが、日本国沿岸の測量を当時徳川家康から厚遇されていたイギリス人やオランダ人から非難された。そのため、ビスカイノの日本での立場は急速に悪化し、将軍からの援助を受けることさえできず、伊達政宗の建造した船でメキシコへ帰港するするに至った。」

(早川育「徳川家康とスペイン:ビベロとビスカイノの日本人観-『日本見聞記』と『ビスカイノ金銀島探検報告』を史料として」坂東省次 / 川成洋編『日本・スペイン交流史』れんが書房新社、2010年所収、84ページより)

「金銀島を求めて行われたビスカイノの遠征は、さまざまな報告書からかなり明らかになっているが、特に優れた報告書を一つ取り上げてみよう。全般的に内容豊かで正確である。ここにまず、行程表を披露すると、(以下、詳細な月日と滞在地は省略、改変して引用;引用者注)

1. ヌエバ・エスパーニャから日本に向け航海。(1611年3月11日〜5月1日)
2. 日本滞在(6月8日〜)
  (a)浦賀および江戸滞在(上陸)(6月10日〜6月29日)
  (b)駿河への旅行、帰還(陸路)(6月29日〜7月19日)
  (c)浦賀および江戸滞在(7月20日〜10月22日)
  (d)江戸から宇都宮経由で仙台へ旅行(陸)および西部海岸の確認(10月22日〜12月9日)
  (e)仙台から水戸経由で江戸へ帰還(陸路および船路)(12月11日〜20日)
  (f)江戸および浦河に滞在(12月30日〜1612年5月13日)
  (g)京都および大坂への旅行(海路と陸路)(5月13日〜7月2日)
  (h)浦賀および江戸。(?〜8月15日)
  (i)一度目の日本出帆(9月16日)
  (j)日本へ逆戻り(11月7日)、および江戸(5カ月)
3. 日本からヌエバ・エスパーニャへの航海(1613年10月27日〜12月16日)

 この報告書の書き手を特定する手段が我々にはほとんどないが、人物像自体は十分明らかにできると思う、(中略)またビスカイノの作とも考えられない。筆者は彼に溢れるほど好感を持っていたので、行き過ぎともいえる賞賛を浴びせている。こういう特徴を持ち、報告に資料は書簡類をあれほど引用できる立場の人物とは、《サン・フランシスコ号》の書記、アロンソ・ガスコン・デ・カルドナである可能性が高い。(中略)この人物は江戸を練り歩いた凱旋行進に軍旗を担いで歩き、奥羽の測量には書紀として実測した入江について精緻を極めた記述を残した人である。そして入江の一つに彼の名前がつけられた。ガスコンが筆者だとすると、報告書の唐突な終わり方に説明がつく。つまり、金銀島の収穫が上がらぬ探索行記録部分に入ると読ませる語り口はぱたりと消え、文体はひどく下卑て粗雑という所まで下落する。二度目の日本滞在やヌエバ・エスパーニャ帰還は端折られ、わずかな行数を費やすにすぎない。メキシコの役人の帳簿がこの謎の迷宮入りをなんとか食い止めてくれている。すなわち、1613年5月5日、ビスカイノは新たな書紀、フランシスコ・ゴルディーリョと就労契約を結んでいる。なぜならガスコンは病気で、健康回復のために長崎に行く許可をビスカイノがだしている。そこは、地域全体にイエズス会が深く根を下ろしており、ここにはまだキリシタン迫害の実害が及んでいなかったと考えられる。ガスコンの退場は、使節の終局と最後のゴタゴタを我々に明かさないままにしてしまった。」

「私の知る限り、ガスコンの報告書が最初に出版されたのは、1867年、マドリードにおいてである。彼の不在で記録の欠けた部分は代わりに着任した書紀ゴルディーリョの記録を補遺として、補っている。 Colección de documentos inéditos relativos al descubrimiento, conquista y organización de las antiguas posesiones españolas de América y Oceanía の第8巻(本書のこと:引用者注)101頁以降がそれだ。」

(ファン・ヒル / 平山篤子訳『イダルゴとサムライ:16・17世紀のイスパニアと日本』法政大学出版局、2000年、291-294, 314ページより)