書籍目録

『東方伝道史』第1巻(全2巻中)

グスマン

『東方伝道史』第1巻(全2巻中)

1601年 アルカラ刊

Guzman, Luis de.

HISTORIA DE LAS MISSIONES QVE HAN HECHO LOS RELIGIOSOS DELA COMPAÑIA DE IESVS, PARA PREDICAR EL SANCTO Euangelio en la India Oriental, y en los Reynos de la China y Iapon….PRIMERA PARTE EN LA QVAL SE CONTIENEN SEYS LIBROS tres de la India Oriental, uno de

Alcala, Biuda de Juan Gracian, 1601. <AB20211709>

Sold

vol. 1 only (of 2 vols.)

Large 8vo (20.0 cm x 29.0 cm), Title., 6 leaves, pp.1-87, 81[i.e.88], 89-250, 215[i.e.251], 252-395, 386[i.e.396], 397-430, 418[i.e.431], 432-434, 447[i.e.435], 436-500, NO LACKING PAGES, 505-519, 532[i.e.520], 521-528, 520[i.e.529], 530-556, NO LACKING PAGES, 561-573, Modern parchment, skillfully restored.
[Laures: JL-1601-KB7-254-152]

Information

「日本教会史」の礎を築いた不朽の名作

 本書は、イエズス会の著作家であるグスマン(Luis de Guzman, 1544 - 1605)による、日本を中心とした宣教史を全2巻にまとめた著作の第1巻にあたるもので、1601年にスペインのマドリッドにほど近いアルカラで刊行されています。新井トシ氏による邦訳『東方伝道史』(天理時報社、1944年)として知られる、「日本教会史」不朽の名著として知られる作品で、現在に至るまで高く評価されている作品です。その一方で、現在では入手が難しく、また著しく高額な書物としても知られています。

 ザビエルによって始められた、イエズス会による日本をはじめとした海外宣教活動については、現地に赴いた宣教師から送られた書簡が随時公刊され、多くの読者を獲得してきましたが、徐々にその蓄積は膨大なものになっていきました。やがて、それらの書簡をまとめて書簡集として刊行することで、宣教活動の展開を時系列に沿って理解できるようにする必要が生じ、一定の年代と地域を分類して編纂された書簡集が刊行されるようになります。こうした書簡集は、宗教改革と対抗宗教改革に揺れるヨーロッパにおいて、カソリックの正当性と権威を高めるものとして、また新たに海外宣教に赴く人材のリクルート、ならびに教育素材としての需要がありました。こうした書簡集の刊行に続いて、それらの書簡を駆使しつつ、イエズス会による海外宣教活動の歴史をまとめた通史が刊行されるようになっていきます。16世紀後半におけるイエズス会の優れた著作家の1人であるマッフェイ(Giovanni Pietro Maffei, 1536? - 1603)による『インド誌(Historiarum Indicarum LibriXVI. 1588)』は、こうした作品を代表するものです。このような作品は、イエズス会による宣教活動だけを論じるのではなく、海外宣教地の地理、文化、歴史、社会状況なども詳細に論じており、その結果、宣教史としてだけでなく、「新世界」についての貴重な情報源としても評価され、多くの読者に広く親しまれました。

 本書はこうしたイエズス会による宣教史の出版活動において、画期となった名著で、まだ書簡集としての側面が強く残っていたマッフェイの『インド誌』をこえて、一つの通史として全く新たに書き起こされている点に大きな特徴があります。グスマンはザビエルによる海外宣教開始以降、イエズス会本部にもたらされた膨大な資料群を網羅的に精査し、その上で全く新しい宣教史を生み出すことに成功し、それゆえに本書以降に続く「宣教史」に類するすべての作品の基礎を築き上げることになりました。グスマンの経歴と本書の意義については、前述の新井トシ氏によって、下記のようにまとめられています。

「1601年の発刊にかかるグスマンの東方伝道史は2巻1300余頁よりなる広汎な大著書で、その第1巻は6篇に分れ、その4篇までが東インドにおける初期の耶蘇会伝道で、残る2篇及び第2巻7篇が日本伝道である。頁数より見るに日本伝道は実に千余頁にわたって論述されているゆえに、東方伝道史というよりむしろ日本伝道史というべきである。
 現著者ルイス・グスマン神父は1543年バレンシヤ主教管区のオソルノ村で呱々の声を上、63年5月あるから大学に遊学中耶蘇会に入会、アルカラの有名なる学林で修学して司祭に叙せられ、マルエル・ローペス神父の伴侶として選ばれる。1573年修道志願者の教師となり、次いでベルモンテ学林の総長、アンダルシヤの菅区長となったが、病のためその職に絶えず、暫くしてベルモンテ学林に隠退した。1594年アルカラ学林の総長となり、翌年トレド管区の管区長、次いで当時の耶蘇会のアクワビバのスペイン管区における助手に選ばれたが、持病のためローマに赴き得なかった。数年後再びトレド管区の管区長となったが、在職中即ち1605年1月10日齢六十五歳にして逝去した。
 この署は総長アクワビバの勧告とニエレンベルグ師の指図に基づき、逝去4年前に出版されたもので、当時耶蘇会が企画した伝道事業全般を含まず、東インド、シナ、日本伝道に限ったものである。著者はポルトガル全領土を東インドとし、従ってエチオピヤ、モノモタバ(蘭領東アフリカ)、さらにブラジル伝道をもその中に含めた。
 師がベルモンテ学林の総長であった当時、九州三侯の使節がローマに赴く途中、その学林に宿泊し、師自らそれを歓待された。また耶蘇会の重要な任務を帯びてスペインの中央に常住していたので、マドリッド並びにローマに事業報告、その他の打ち合わせに行く伝道師たちと自然交渉があった。ヂエゴ・デ・メスキタ神父の旅行、アロンソ・サンチェス神父マカオ遠征は彼らがマドリッド、アルカラに赴く途中自ら物語ったものである。
 著者は日本に来朝しなかったが、刊行年代の古い点、史実の正確なる点はフロエス神父に次ぐ日本伝道私の権威者である。著者が序文に言えるごとく真摯、正確を旨とし、当時文学界に風靡し始めた奇妙な誇張を用いず、簡潔、高雅にして激昂なく整然たる規律をもってこの不可思議な伝道報告を十分述べつくしている。私はこの書を訳すにあたり、伝道師の通信と一々照らし合わせ、いかにそれに忠実であったかを知った。」
(前掲書、9-10頁より)

 本書は、この全2巻からなる名著の第1巻にあたるものです。上掲の通り、全6部で構成されていて、その冒頭である第1章は、すべてのイエズス会海外宣教の礎を築いたザビエルの伝記からはじめられています。このザビエルの伝記は全33章からなる長大なものですが、そのうち第23章から第27章にかけては、ザビエルの日本における活動を論じており、まとまった日本関係記事として読むことができる内容となっています。第2部と第3部は、「東インド」全般の宣教史を論じたもので、ここでいう「東インド」とは前掲の通りポルトガル領インド全般を指しており、エチオピアやアフリカ、ブラジルをも含む宣教史となっています。さらに第4部は、中国における宣教活動を論じる内容となっています。

 こうした第4部までの記述に続いて、本書の後半にあたる第5部と第6部はすべて日本宣教について紙幅が費やされていて、非常に充実した内容をもつ日本関係記事となっています。邦訳書を参考にしつつ、その構成を小見出しに沿って列挙してみますと、下記の通りとなります。

第5部:イエズス会士によって日本の諸国に聖なる福音宣教の端緒が開かれ、日本の首都にして巨大な都市である京都にまで及んだこと

1. 日本の土地、地勢ならびに分立する諸国について(pp.385)
2. 日本の人々特有の風習について(pp.389)
3. 日本の人々の気質や特徴的な性質について(pp.392)
4. 日本の人々のうち、世俗的な人々の階級について(pp.394)
5. 日本に多数存在する僧侶、ならびに司祭について(pp.386[i.e.396])
6. 日本の主要な宗教について(pp.398)
7. (禅宗、浄土宗、法華宗という)最初の3宗派から派生した特殊な宗派について(pp.400)
8. 山伏僧(Bonzos Xamabugis)が毎年行う巡礼について(pp.402)
9. 日本の僧侶の住む著名な僧院について(pp.404)
10. 日本の人々が偶像に対して毎年行う特殊な祭典について(pp.408)
11. 日本の人々の埋葬方法について(pp.409)
12. 悪魔が奸計をめぐらせて日本の人々を死に至らせることについて(pp.411)
13. ザビエル神父が従者とともにゴアを発って日本に到着したこと(pp.413)
14. ザビエル神父が鹿児島(Cágoxima)よりゴアの同胞に送った書簡について(pp.415)
15. ザビエル神父とその一向が薩摩(Sucuma)において成したこと(pp.418)
16. ザビエル神父が平戸に到着し、そこから山口(Amáguchi)、京都(Meaco)を訪ね、再び平戸(Firando)に戻ったこと(pp.421)
17. ザビエル神父が山口に戻ってから当地で成したこと、ならびに豊後(Bungo)国に赴いたこと(pp.422)
18. ザビエル神父が山口を離れてから(コスメ・デ・トーレス神父に)僧侶や異教徒が訪ねた質問について(pp.425)
19. 山口の王が討たれたことにより、トーレス神父らに厄災が生じたこと(pp.427)
20. バルタザール・カーゴ神父とその一行が日本に到着し、豊後を経由して山口に赴いたこと(pp.429)
21. 豊後においてキリスト教の端緒が開かれたこと、ならびにその神道に生じたこと(pp.432)
22. 山口における教会の成果について(pp.447[i.e.435])
23. 豊後の神父と信徒たちに生じた苦難、豊後の王に対する謀反が起こったこと、ならびにガーゴ神父が平戸に赴いたこと(pp.438)
24. 山口の街が破壊され、トーレス神父が豊後へと戻ったこと(pp.441)
25. インド菅区長メルショール・ニューネス神父が従者とともに豊後に到着したこと、ならびに彼の日本滞在中に生じた出来事について(pp.443)
26. カーゴ神父が2人の従者とともに平戸に赴いたこと、ならびに当時の豊後、山口における出来事(pp.445)
27. ガーゴ神父とその一行の平戸における成果について(pp.447)
28. 平戸においてガスパル・ヴィレラ神父に生じたこと、ならびに彼が豊後に再度戻ったこと(pp.449)
29. ガーゴ神父とその従者が博多(Facata)の街においてあげた成果について(pp.452)
30. 博多の街が破壊されたこと、ならびにガーゴ神父とその仲間達に生じた出来事(pp.454)
31. 豊後におけるキリスト教徒の信仰とその情熱について(pp.456)
32. ヴィレラ神父が府内(Funay)の近村を巡回したこと(pp.458)
33. ヴィレラ神父が京都の街に赴いたこと(pp.460)

第6部:京都に入って以来、日本の首長である公方様(Cubuzama)が逝去するまでに生じた聖なる福音宣教の経過について

1. 京都の街と、そこに住む人々に固有な点について(pp.463)
2. ヴィレラ神父が京都において宣教を開始したこととその成果について(pp.465)
3. 公方様が京都における宣教と教会設置を許可したこと、そのことに対する僧侶の憤怒について(pp.468)
4. ガーゴ神父のインドへの帰還とその道中に生じたこと(pp.470)
5. ルイス・デ・アルメイダ修道士(イルマン, hermano)が、平戸、博多、その他の地方の信者達に巡教したこと(pp.473)
6. 豊後の神父がその年における祭典と四旬節を祝った方法について(pp.476)
7. 豊後において生じた感動すべき二、三の出来事について(pp.478)
8. ヴィレラ神父が堺(Sacay)に赴き、そこで数人の信者を得たこと(pp.480)
9. 京都において生じた動乱とその鎮定、ならびにその後にヴィレラ神父が京都に帰還したこと(pp.483)
10. アルメイダ修道士が薩摩に赴いたこと(pp.484)
11. アルメイダ修道士が薩摩の王と鹿児島の信者を訪ねたこと(pp.486)
12. アルメイダ修道士が大村(Omura)、平戸の国へ赴き、トーレス神父が横瀬浦(Vocoxiura)に赴いたこと、ならびにその成果について(pp.490)
13. 横瀬浦(Bocoxiura)において教会が設置されたこと、ならびにその教会がもたらした成果について(pp.493)
14. トーレス神父が平戸において信者を巡教したこと(pp.494)
15. トーレス神父が横瀬浦で信者とともに四旬節と聖週間を祝い、アルメイダ神父が島原(Ximabara)に赴いたこと(pp.496)
16. 大村の王が横瀬浦(Vocoxiura)を来訪したこと、ならびに彼とトーレス神父との間に生じた出来事(pp.499)
17. 有馬(Arima)の国に主の教えが広がり始めたこと(pp.505)
18. アルメイダ修道士が横瀬浦に戻るまでの間に、島原、口之津(Cochinozu)において生じた出来事(pp.508)
19. 大村の王が受洗し、ドン・バルトロメオ(don Bartholome)と呼ばれるようになったこと、ならびにインドより2人の神父と修道士が来日したこと(pp.511)
20. インドから来日した修道士が各地に派遣され、モンターノ神父がアルメイダ修道士とともに豊後に赴いたこと(pp.514)
21. ドン・バルトロメオの情熱と信仰心、ならびに横瀬浦の神父たちのものと彼が訪れたこと(pp.516)
22. 大村、有馬の王と横瀬浦の神父たちを暗殺するために画策された謀反について(pp.519)
23. アルメイダ修道士が豊後から横瀬浦に赴いたこと、ならびにその道中で生じたこと(pp.521)
24. 有馬と大村の王への迫害の結果生じた好ましい出来事について(pp.523)
25. 京都におけるキリスト教徒に迫害が生じたこと(pp.526)
26. この迫害において、主が2人の僧侶とその他の人々を改宗させたもうたという大きな成果について(pp.528)
27. トーレス神父が横瀬浦から口之津、高瀬(Tacaxe)に赴いたこと(pp.531)
28. ルイス・フロイス神父とその従者が度島(Tacuxima)、生月(Iquizeuqui)へと渡ったこと、ならびにドン・アントニオが平戸の僧侶を処罰したこと(pp.534)
29. インドから3名の神父が来日し、平戸に入港するまでの間に生じた出来事(pp.537)
30. トーレス神父が来日した神父たちを配分し、フロイス神父とアルメイダ修道士を京都へと派遣したこと(pp.539)
31. ヴィレラ神父とフロイス神父が公方様を訪問したこと、ならびに京都の街おいて聖週間の祭典が挙行されたこと(pp.542)
32. アルメイダ修道士が堺滞在中に生じたこと、ならびに彼が京都に到着したこと(pp.545)
33. アルメイダ修道士が豊後に戻るまでの間に京都地方において生じた出来事(pp.547)
34. アルメイダ修道士が仲間たちとともに京都から戻り、豊後、島原へと赴いたこと(pp.550)
35. アルメイダ修道士とロレンソ修道士が、それに続いてメルショール・デ・フィゲレード神父、カブラル神父が大村へと赴いたこと、ならびにドン・バルトロメオ王に対して再び起こされた謀反とそれに対する勝利について(pp.552)
36. 当時の京都におけるキリスト教界の状況について(pp.554)

 この小見出しを一覧を見るだけでも、本書の記述がいかに細部に及んでいるのかを容易に知ることができます。ザビエルによる日本宣教活動の開始以降の初期の時代において生じたさまざまな出来事が整然と論じられていて、それまでの作品にない網羅的な「日本教会史」となっていることがわかります。本書に見られるこれらの記事は、新井氏が述べられているように個別のイエズス会士による書簡を慎重に精査した上で執筆されており、その情報源把握の網羅性と客観性、そして通史としての記述の統一性の点において、他書で得難い唯一無二と言えるものです。

 グスマンの『東方伝道史』は、早くからその存在が知られており、戦前において既に訳出されていることからも分かるように、多くの研究者によって活用されてきた不朽の名作と言える作品です。戦前の文献や古書店の目録を見る限りでは、20世紀前半ごろまでは比較的入手が容易な作品として、古書市場にも比較的安価で出現していたようですが、近年では入手が非常に難しくなってしまっており、また出現したとしても数百万円を超えるという著しく高額な作品となってしまっています。本書は全2巻のうちの第1巻だけではありますが、詳細なザビエルの伝記や、初期の日本宣教事情が詳細に論じられており、単体でも日本関係欧文図書として十二分に活用することが可能と思われます。近年になって施されたと思われる装丁と丁寧な修復によって、状態も申し分ないと言えることから、大いに展示、研究等に活躍してくれる書物ではないかと思われます。