書籍目録

「京都と大阪をつなぐ河川(を用いた行程における諸々)の観察記」

パリス

「京都と大阪をつなぐ河川(を用いた行程における諸々)の観察記」

(『海洋と植民地雑誌』第24号より) [1868年] [パリ刊]

Paris, A.

OBSERVATIONS SUR LA RIVIÈRE DE KIOTO ET D’OSAKA (JAPON).

[Paris], [Paul Dupont / Challamel], [1868]. <AB20211681>

Sold

[Extracted from Revue Maritime et Coloniale. Tome 24]

8vo (15.0 cm x 23.5 cm), pp.224-234, Folded plate and map: [2], Modern paper wrappers.

Information

「堺事件」に揺れるフランス海軍デュプレクス号士官による、大阪から京都へと淀川沿いで至る行程の貴重な観察記録

 本書は日本国内が激動に揺れる1868年2月、フランス海軍デュプレクス号の士官11名が堺の湾内で測量中に土佐藩兵に殺害された「堺事件」の直後同年3月にミカド(天皇)にフランス公使ロッシュが謁見するために大阪から京都に河川(淀川)を遡上して向かった際に観察した様々なことを記した大変興味深い記録です。

 著者パリス(A. Paris)は、フランス海軍士官としてデュプレクス号に乗船していた人物で、大阪から京都へと向かう過程で目にした様々な事柄を記録しており、その航路だけでなく、日本の船舶や、橋や堤防といった建築物の細部や構造についても詳細な観察を加えています。また、京都への入り口でもあった淀城についても詳しく論じているほか、巻末にはそれらのスケッチや、地図が収録されています。これらの記録は当時西洋人が厳しく立ち入りを制限されていた京都へと至る行程を記した大変貴重な記録と言えるものです。測量を行いながら製作したと思われる大阪から京都へと至る淀川経由での航路を描いた地図や、建築物のスケッチ等は、いずれもデュプレクス号において制作されたものと思われることから、実際に同行した信頼できる人物自身による速報記録としてこのような記事が出されていたことに大変驚かされます。

 この記事は、パリで刊行されていた『海洋と植民地雑誌』(Revue Maritime et Coloniale)の第24号に掲載されたもので、同号が1868年に刊行されていることに鑑みると、まさに速報記事と言ってよいでしょう。幕末から明治初期にかけては、『イラストレイティッド・ロンドン・ニュース』をはじめとして、当時西洋諸国で多数刊行されていた絵入新聞において、日本の刻一刻と変化する政治・社会状況を報じた記事が豊富な図版と共に何度も掲載されていることが知られていますが、パリスによるこの記録はこれまであまり注目されてこなかったものではないかと思われます。

 なお、パリスはこの記事の続編として同雑誌の第26号(1869年刊)に、京都に到着してからのより詳細な京都見聞録とも言える記事を寄稿しており、本稿と併せて大変興味深い内容となっています。