書籍目録

『イエズス会の創立者、イグナシオ・デ・ロヨラ神父の生涯』

リバデネイラ

『イエズス会の創立者、イグナシオ・デ・ロヨラ神父の生涯』

増補改訂スペイン語初版 1583年 マドリッド刊

Ribadeneyra (Ribanedeira), Pedro de.

VIDA DEl P. Ignacio de Loyola, fundador de la Religion de la Compañia de Iesus. Escripta en Latin..y aora nueuamente traduzida en Romance, y añadida por el mismo Autor…

Madrid, Alonso Comez, M.D.LXXXIII(1583). <AB2021156>

Sold

First enlarged revised edition in Spanish.

4to (15.0 cm x 20.5 cm), Title., 11 leaves, 304 numbered leaves ([1], 2-6, 8[i.e.7], 7[i.e.8], 9-304) , 8 leaves(Tabla), Contemporary vellum, recently restored.
刊行当時の装丁を近年になって補修したもの。タイトルページ下部余白の一部に切り取り跡あり(旧蔵者の署名を削除?)。三方の小口は赤く染められている。[Sommervolge: VI, 1726]

Information

ロヨラ伝のみならず後年のイエズス会による著作の基礎を築いたことで知られる古典的名著

 本書は、イエズス会創始者イグナティウス・ロヨラの伝記作品で、ロヨラの伝記のみならず、イエズス会による聖人伝、偉人伝、歴史書の基礎を打ち立てた記念すべき作品として高く評価されている書物です。著者であるリバデネイラは、幼い日にロヨラに出会ってから強い衝撃を受けてイエズス会に入会し、ロヨラと共に生活した経験を持つだけでなく、本書をはじめとして数多くの伝記、聖人伝を執筆したことで、イエズス会の著作活動全般の基礎を打ち立てたことでも知られています。本書は、その意味において、リバデネイラ以降の全てのイエズス会の出版活動の原点ともなった記念すべき著作として、非常に重要な作品と言えるものです。

著者のリバデネイラ(Pedro de Ribadeneira, 1527 - 1611)は、スペインのトレド出身で裕福な改宗新教徒の家庭に生まれました。13歳の時にファルネーゼ枢機卿(Alessandro Cardinal Farnese, 1520 - 1589)の付き人として1539年にローマに赴いた際に当地に滞在中であったロヨラに受けて強い感銘を受け、イエズス会がローマ教皇によって正式に認可されるわずか数日前の1540年9月18日にイエズス会に入会しています。ロヨラらと2年余り過ごして研鑽を積んだのち、パリ、ルーヴァン、パドヴァ、ローマといったヨーロッパ各地で修辞学の教師としても精力な活動を続け、1553年に正式に叙階されています。

 イエズス会創始者であるロヨラの伝記制作については、その帰天(1556年)から2年後の1558年に早くも計画され、イエズス会の優れた人文学者ペルピニャン(Jean Perpinan or Perpinien, 1530 - 1566)によって執筆されることになっていましたが、彼が若くして亡くなってしまったこともあってしばらく中断してしまうことになります。その後1565年、本書の著者であるリバデネイラは、その著述家としての類稀なる才能を時の第3代イエズス会総長ボルハ(Francisco de Borja, 1510 - 1572)に見出され、ロヨラの伝記執筆の命を受けることになりました。リバデネイラは、自身がロヨラの近くにあった経験を存分に生かすだけでなく、入手しうるあらゆる文書、書簡、証言を集め、可能な限り事実に基づいて記述することを強く意識して1569年にそのラテン語草稿を完成させ、この草稿は関係者らによる注意深い検閲を経た上で、1572年にナポリで出版されました(Vita Ignatii Loiloae, Societatis Iesu fundatoris, libris quinque comprehensa. Naples, 1572)。しかしながら、このラテン語版はイエズス会関係者らによって高く評価されたもののわずか500部しか印刷されず、イエズス会関係者のみにしか配布されなかったという非常に限定的な流布にとどまるものだったとされています。また、イエズス会内部における反スペイン感情の高まりや、ボルハの跡を継いで第4代イエズス会総長となったメルキュリアン(Everard Mercurian, 1514 - 1580)との確執もあって以後の増刷を禁じられてしまうことになってしまいました。

 その後1574年になって、リバデネイラは約25年ぶりに祖国スペインへと戻り、以降はスペインを中心として執筆活動に専念していくことになります。スペインへと戻ったロヨラは、再びローマへと戻ることも検討したようですが、スペインにおける、特にその中心であるマドリッドの宮廷におけるイエズス会の存在感が乏しくその影響力が著しく脆弱であることや、当地で活躍する年少のイエズス会士がロヨラやイエズス会創立以降の歴史についてごく僅かな知識しか有していないことに強い危機感を覚え、スペインに留まって自身の著作活動を通じてこの状況を打開することを決意したと言われています。そこでまず、リバデネイラは極めて限定的な配布にとどまってしまったロヨラ伝ラテン語版を全面的に改訂して、より多くの読者にとって親しみやすいスペイン語で執筆することに専念していきます。その一方で第4代イエズス会総長メルキュリアンは、新たにロヨラの伝記の執筆をローマのイエズス会士マッフェイ(Givoanni Pietro Maffei, 1533 - 1603)に命じており、マッフェイとリバデネイラの両者の伝記執筆が並行して進められていくことになります。こうした中、リバデネイラとの関係が悪化していたメルキュリアンは1580年に没し、第5代イエズス会総長としてアクアヴィヴァ(Claudio Acquaviva, 1543 - 1615)が就任します。アクアヴィヴァはメルキュリアンと対照的にリバデネイラのロヨラ伝スペイン語版の執筆を強力に後押しし、1583年に本書がついにマドリッドで刊行されることになりました。

 本書はこうした複雑な経緯を経てようやく出版されたリバデネイラの苦心作ですが、その労は大いに報われたと言え、刊行翌年には早くも第2版が刊行されたことを皮切りに、リバデネイラ生前の間だけでも少なくとも6度もマドリッドで版を重ねただけでなく、リバデネイラ自身が手がけたラテン語版もマドリッドで1586年に刊行され、このラテン語版は、アントワープ(1587年)やローマ(1589年)、インゴルシュタット(1590年)、リヨン(1595年)、ケルン(1602年)といったヨーロッパ各地で出版されました。また、1586年にはイタリア語訳版がヴェネチアで、1590年にはインゴルシュタットでドイツ語訳版が、1599年にはフランス語訳版がリヨンで、そして1616年には英語訳版までもが刊行されるなど、ヨーロッパの数多くの俗語に翻訳され、非常に多くの読者を獲得することになりました。一方、マッフェイによるロヨラの伝記は、リバデネイラの著作に遅れて1585年にラテン語で出版され、この著作も非常に好評を博して幾度も版を重ねていますが、リバデネイラのロヨラ伝とは違って、俗語に翻訳されることが全くなかったため、その読者層が一定の階層に限られることになりました。その意味では、リバデネイラによるロヨラ伝は、より広範な読者をヨーロッパ中で獲得することができたということができるでしょう。

 本書はこのようにヨーロッパ中で広く読まれたロヨラの伝記の初版本として非常に重要な位置を占める作品で、本文は全5部で形成されています。伝記作品としてロヨラの生涯を基本的に時系列に沿って叙述する形式を取っており、第1部はロヨラの生誕から1528年にパリ大学に入学するまでを、第2部は教皇パウロ3世によってイエズス会が正式に認可される1540年までを、第3部はイエズス会初代総長として選出される1541年から1550年までを扱っています。第3部後半以降と第4部は、初期イエズス会の動向についての記述が中心を占めるようになりますが、これはロヨラが初代総長としてローマに常駐する必要が生じたことと、ロヨラ自身の伝記事項と初期イエズス会の歴史とが表裏一体であることに対応したものと考えられます。ここではロヨラがイエズス会の基本方針として示した様々な方策も述べられていて、特にロヨラが教育の重要性をいかに強く認識していたかについては詳細に論じられており、コレジオをはじめとする教育機関をイエズス会が手がけることの意義が論じられています。第5部は主にロヨラの生涯における様々な徳性を全13章で紹介するもので、ロヨラにまつわるある種の聖性もここでは論じられています。

 このような構成で執筆されている本書が果たした役割や意義、その叙述における特徴は、これまで数多くの研究や議論がなされていますが、主に次の点まとめて考えることができます。

1. 成長著しいといえども未だその聖俗両界における基盤が不安定であったイエズス会の権威と影響力を高めることに大いに貢献したこと。

2. ルネサンス以前の「聖人伝」に比べて、記述に際して裏付けとなる証言、文書等に基付くという叙述の方法論に極めて自覚的であり、「実証性」を強く意識していること。

3. 実証性の重視と同時にルネサンス以降に重視された叙述における優れたレトリックで構成されていること。

4. その結果、本書に続くあらゆるイエズス会の著作、出版物の基礎を構築し、後年の出版物は本書の大きな影響の下に出版されていること。

5. のみならず、ルネサンスと宗教改革以降、衰退著しかった「聖人伝」の新たな叙述形式、可能性を開いたこと。

6. その一方で、「実証性」の重視は、後年のロヨラの列福、列聖過程において、その「奇跡」を証明する必要が生じた際に困難な状況をもたらすことになったこと。

 リバデネイラは、自身の執筆活動の意義について非常に自覚的で、その著作がイエズス会の将来の活動のために大いに役立つことを意識していたとされています。また、その一方で、執筆活動がイエズス会の利益に叶うだけでなく、書くことそれ自身が神に奉仕することになるという信念を有していたと言われています。その意味において、リバデネイラにとって、著作の執筆活動はある種のMission(宣教、使命)であったと言えるもので、本書はまさにこのリバデネイラのMissionが体現された作品と言うことができます。本書のヨーロッパにおける広範な流布は、イエズス会の権威と影響力を大いに高めることに成功し、それと同時にリバデネイラは、自身のロヨラへの思慕を神からの恩寵に対する応答として作品にまで高めることに成功したと言えるでしょう。
 
 リバデネイラ自身は、中世以来伝統的なジャンルであった「聖人伝」に対してどちらかと言うと懐疑的な立場を有しており、その叙述の根拠が不明瞭なものだったり、空想に基づくものであることに対して強い不満を有していました。また、ヨーロッパ各地で研鑽を積んだ経験から、ルネサンスによってもたらされた、テキスト批判、原典への回帰といった動向にも親しんでおり、自身の伝記執筆に際しては、リバデネイラ自身のロヨラに接した豊富な経験、リバデネイラ以外のロヨラに接した人々の証言、ロヨラやその関係者が残した夥しい数の書面、著作、書簡といった様々な異なる情報源を、自覚的に区別しながら網羅的に収集、駆使して自身の叙述がこうした確かな情報源に裏付けられることを強く意識しています。その意味で、本書は(もちろん現代的な視点においては様々な不備があるとは言え)科学としての歴史学、実証史学の先駆けとも言える作品となっています。従来の「聖人伝」は、ルネサンスにおいて、エラスムスを中心にして刷新が求められていたことに加えて、宗教改革においてプロテスタントから聖人崇拝を厳しく批判されたこともあって当時衰退傾向にあり、事実ローマにおける新たな列聖作業も1523年から1588年の長きにわたって停止されていました。こうした状況に対して、本書は新しい「聖人伝」の可能性を開く作品となり、実証性と聖性をその叙述において両立させる一つの模範、基盤となりました。

 また、リバデネイラはこうした実証性の重視と同時に、優れたレトリックを効果的に用いることで、自身の著作が無味乾燥で退屈な作品とならないことにも非常に注意しており、多くの読者を長年にわたって獲得することにも成功しました。本書におけるこの両立は、以後のイエズス会のあらゆる著作の手本、基礎となり、後年刊行されることになるトルセリーニ(Orazio Torsellino, 1545 – 1599、Horatius Torsellinusはラテン語表記)のザビエル伝をはじめ、イエズス会が手がける著作に多大な影響を及ぼすことになりました。その意味で、本書はイエズス会による著作出版活動の原点となったと作品と言うことができます。

 その一方で、リバデネイラによる実証性の重視は、イエズス会がロヨラの列福、列聖を進める上で一つの躓きの石ともなりました。リバデネイラはロヨラが生前に奇跡を起こしたかどうかについて本書では明記せず、ロヨラの生涯がもたらしたものが結果的にかくも偉大なものであることこそが、ロヨラの生が神の恩寵によるものであったことの証明であるというやや曖昧な記述にとどめています。しかしながら、トリエント公会議以降に新たに定められた列聖条件においては、対象となる人物が奇跡を起こしたことを証明することが定められていたことから、このリバデネイラの曖昧な記述はイエズス会とリバデネイラに困難をもたらすことにもなりました。のちにリバデネイラはロヨラが生前に奇跡を起こしたことを明確に認めるに至りましたが、このことは後年になって、ピエール・ベール(Pierre Bayle, 1647 - 1706)による批判に代表されるように、実証性を重んじたリバデネイラの方針にそぐわないとして少なからぬ批判を呼ぶことにもなりました。ただし、こうした批判が生じたことはそれだけ本書がロヨラ伝として長年にわたって多大な影響力を有していたことの証であるとも言えます。

 リバデネイラはロヨラ伝である本書をはじめとして、第2代、第3代総長の伝記を手掛けたほか、古代からの聖人伝を自身で新たに編纂した作品、イエズス会士著者と著作目録の編纂など、数多くの執筆活動を終生にわたって精力的に続けました。特にスペイン語圏におけるリバデネイラの影響は顕著なものがあると言われており、グスマン(Luis de Guzmán, 1544 - 1605)やピニェイロ(Luys Piñeyro, 1560 - 1620)といった当時を代表する日本関係欧文図書を執筆した著者らにも多大な影響を与えたと言われています。その意味では間接的に、ヨーロッパにおける日本情報の流布のあり方についても本書は少なからぬ影響力を持った作品と考えることができます。

 本書は今もなお様々な点から高く評価されており、またその意義や特徴をめぐっても多くの議論がなされていて、ロヨラ伝の原点として揺るぎない位置を獲得している作品と言えますが、残念ながら国内研究機関における所蔵は皆無のようです。リバデネイラによるロヨラ伝は後年の再版本や翻訳本は、現代の古書市場においてもそれなりに流通していることが確認できますが、本書である初版本は流通が非常に限られているようですので、こうした稀少性に鑑みても本書は非常に価値ある貴重な作品ということができるでしょう。


*上記解説文の作成に際しては下記の文献によるところが大きく、多くの記述は(もちろんその誤りは店主が責を負うものですが)これらの優れた先行研究に拠っています。

Rady Roldán-Figueroa.
Pedro de Ribadeneyra’s Vida del P. Ignacio de Loyola(1583) and Literary Culture in Early Modern Spain.
In: Robert Aleksander Maryks(ed.). Exploring Jesuit Distinctiveness: Interdisciplinary Perspectives on Ways of Proceeding within the Society of Jesus. (Jesuit Studies 6)
Leiden: Brill, 2016.

Rady Roldán-Figueroa.
The Martyrs of Japan: Publication History and Catholic Missions in the Spanish World (Spain, New Spain, and the Philippines, 1597-1700). (Studies in the History of Christian Traditions 195)
Leiden: brill, 2021.

John W. O’Malley.
Saints or Devils Incarnate?: Studies in Jesuit History. (Jesuit Studies 1)
Leiden: Brill, 2013.

Hitomi Omata Rappo.
Des Indes lointaines aux scénes des colléges: Les reflets des martyrs de la mission japonaise en Europe (XVIe - SVIIIe siécle)(Studia Oecumenica Friburgensia 101).
Múnster: Aschendorff Verlag, 2020.