書籍目録

『東洋汽船カレンダー』

東洋汽船

『東洋汽船カレンダー』

5月/6月以降残存品と1月図面が別途付属) 刊行年不明 東京(精美堂)刊

Toyo Kisen Kaisha.

[Toyo Kisen Calendar]

Tokyo, Seibi do, not dated. <AB202174>

Sold

with incomplete copy(only after May/June & 1 picture for Jan./Feb.]

30.5 cm x 46.5 cm, 6 colored sheets,

Information

浅野総一郎の印刷物に対する情熱が生み出した美しいカレンダー

ただいま解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。

「ポスターがわが国に登場したのは19世紀末の明治期といわれています。そして、ポスターが今日のように「ポスター」もしくは発音に則して「ポースター」と呼ばれるようになったのは、明治も末になってからのことであり、それまでは外国製のポスターも含めて「広告画」「絵看板」等と呼ばれるのが一般的でした。
 外国製商品の広告として、もしくは外遊した商工業者や美術家が、自らの参考資料として持ち帰ったことで物理的な流入を果たしたポスターは、その後急速に発達しました。この背景には、わが国においてはポスターが流入する以前から、木版印刷による「引札」が、人々に何らかの事物を広めるという役割を担った印刷物として利用されていたため、ポスターが受け入れやすい存在であったことが関係しています。加えて、色鮮やかな大判の石版印刷という美しいポスターは、広告という新しい概念と新時代の融合体であるがゆえに、西洋文明を象徴するものとして、好意的に受け入れられていたことも忘れてはなりません。」

「ポスターに代表されるような大判のフルカラーの印刷物は、戦前期のわが国においては特別な存在でした。なぜなら、世間の注目を集めるような美麗なポスターを制作するためには、原画の入手から実際の印刷にいたるまでにかなりの手間暇や膨大な資金を要するものの、ポスターは紙に印刷されるものであるため光や水に対して脆弱であり、長持ちする広告ではなかったからです。いい換えれば、当時のポスターは制作費がかかる割には消耗性が高い最も贅沢な広告であり、したがってポスターを頻繁に制作できたのは、資本力のある一部の企業や業種に限られたのです。現存するポスターからは、各社の広告に対する考え方と当時の資力が垣間見えます。
 こうしたなか、外国航路を受けもつ海運会社は、百貨店、酒造会社、たばこ産業とともに、早くから積極的にポスターを制作した業種でした。この背景には、日本の海運業が国際的に出遅れていたことに加え、欧米の海運会社が航路をアジア地域にまで拡大する過程で広告活動に力を入れていることを知り、自らもそれに習おうとしたことが関係しているといえます。なお、外国航路をもつ海運会社は、外国語表記のポスターや、海外の習慣や嗜好を踏まえたポスター制作にも早くから取り組んでおり、多くの外国人にとって初めての日本製ポスターとの出会いが海運会社のものであった可能性は非常に高いといえます。」

寺本美奈子(編)『「美人のつくりかた:石版から始まる広告ポスター」展図録』凸版印刷株式会社 印刷博物館、2007年、15, 54ページより)

1月 / 2月
3月 / 4月
5月 / 6月
7月 / 8月
9月 / 10月
11月 / 12月
5月 / 6月以降のみが残っている不完全品が別途付属。こちらも状態は良好。
1月 / 2月の図面のみが切り取られた1枚も別途付属。おそらく捨ててしまうには惜しいと考えた当時の所有者が切り取って残したものと思われる。