書籍目録

『日本大王国志』「シャム王国志」「ゼーランディア城陥落記」「メルクラインの東洋遍歴記」ほか収録

カロン / スハウテン / メルクライン

『日本大王国志』「シャム王国志」「ゼーランディア城陥落記」「メルクラインの東洋遍歴記」ほか収録

(ドイツ語訳)初版 1663年 ニュルンベルク刊

Caron, François / Schouten Joost / Mercklein, Johann Jacob.

Wahrhaftige Beschreibungen zweyer mächtigen Königreiche JAPPAN und SIAM….Alles aus dem Niederländischen úbersetzt und mit Kupferblätern geiert, Denen noch beygefúget Johann Jacob Merckleins Ost=Indianische Reise…

Nürnberg, Michael und Joh. Friederich Endters, 1663. <AB202172>

In Preparation

First edition in German

Small 8vo (15.7 cm x 9.3 cm), 520 pp. (Some folded) plates & maps: [7](complete), Contemporary vellum.
[NCID: BA21622884 / BB2294867X / BB25050906]

Information

カロン『日本大王国志』に加えて、「ぜーランディア城陥落」をいち早く報じた記事や「メルクライン東洋遍歴記」などドイツ語訳版独自の作品を収録

 本書は、17世紀日本研究最大の古典とされる『日本大王国志』のドイツ語訳を中心として、原著オランダ語版にはない貴重な記事を多数収録した作品で、著作全体として17世紀半ばにおけるオランダの東インドや東洋研究の最新成果を集成した濃密な内容となっている作品です。本書の中心となる作品である『日本大王国志』は、1619年から1641年までの長きに渡って日本に滞在し、オランダによる初期の対日貿易の基礎を築いたカロン(François Caron, 1600 - 1673)が、日本の政治・経済・社会について、オランダ東インド会社のバタヴィア総督の諮問に答える形で報告した著作です。『日本大王国志』は、17世紀中を通じてヨーロッパにおける日本情報として最も信頼に足る情報となり絶大な影響力を有したことで知られる名著で、ドイツ語訳初版である本書は、幾度も出版された『日本大王国志』の中でもカロン自身の校閲と改訂がほどこされた決定版(1661年版)を底本としてています。このドイツ語訳版『日本大王国志』は、原著収録の日本地図に地名の追加等を施して地図情報の質を高めた改訂版日本図を新たに収録し、図版についても原著収録図版を忠実に再現したものに加えて、原著にはないキリシタン処刑の場面を描いた図版を新たに追加しています。また、本書には『日本大王国志』だけでなく、オランダ原著同様に、オランダ東インド会社シャム商館長であったスハウテン(Joost Schouten, 1600? - 1644)による『シャム王国志』も合わせて翻訳して収録しています。これらに加え、このドイツ語訳版は、原著オランダ語版には収録されていない、1662年に台湾におけるオランダ東インド会社の拠点であったぜーランディア城が陥落するという大事件を貴重な折込図版を添えて報じた記事を収録しています。この「ぜーランディア城陥落」を報じた記事は、同事件をヨーロッパに伝えた最初期の記事として注目すべきものです。さらに本書には、バタヴィアでオランダ東インド会社の医師として勤務する傍ら、マラッカやベンガル、ペルシャなど東インド各地を旅したメルクライン(Johann Jacob Merklein, 1620 - 1700)の「東洋遍歴記」も収録しており、このドイツ語訳版でしか読むことのできない貴重な記事を多数収録していることが大きな特徴と魅力となっています。

 『日本大王国志』は、著者カロンや書誌情報についての詳細な解説を付した邦訳(幸田成友訳『日本大王国志』現在は平凡社、1967年)が刊行されているほか、フレデリック・クレインス氏による詳細な紹介(『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、第4章参照)など、日本研究において広く知られている文献です。

 「カロンの報告は地理・文化・社会など多様な分野を網羅し、同時代の人々に大きな影響を与えたという意味において最も重要である。カロンは東インド会社の船の調理助手としてアジアに赴き、1619年に平戸に渡航した。平戸ではオランダ商館に配属され、そこに長く留まった。滞在中、日本人女性と結婚し、日本語も堪能になった。そのため、次第に通訳を担当するようになり、ついに商務員へと昇進した。カロンは1627年にヌイツの江戸参府に同行した後に、ヌイツと共に長年滞在した日本を出国し、台湾に渡ったが、そこでタイオワン事件に巻き込まれて、人質として再び日本に送還された。しかし、日本では自由の身にされて、事件解決までのすべての交渉に参加している。その際、カロンは日本側の理解者として幕府から厚い信頼を受けていた。その後も、カロンは毎年のように商館長やその代理の江戸参府に同行し、日本各地を観察する機会を数多く得た。また、ヌイツの釈放の交渉のために1633年および1636年に数ヶ月もの間江戸に滞在している。このように日本事情に精通したカロンは、1638年に平戸商館長に昇進し、出島移転までの難しい時期に日本における東インド会社の指揮を取っていた。商館長が1年以上日本に滞在してはならないという幕府の命令が下されたことを受けて、カロンは仕方なく日本を去ることになった。
 商館長に就任する前の1636年にカロンは、バタフィアに着任したばかりのフィリップ・ルーカースゾーン副総督からの一通の書簡を受け取った。ルカースゾーンはアジア貿易の全体像を把握するために各商館にその地域についての地理・統治・軍事・法律・宗教・儀礼・生活・貿易・産業についての質問票を送った。各商館はこれらの質問に対する報告書を提出した。これらの報告書のうち、カロンの日本報告及びヨースト・スハウテンのシャム報告が『東インド会社の起源と発展』に掲載されている。(中略)
 カロンの報告は、ヨーロッパで出版された日本関係図書の中でしばしば引用されていることから推察すると、ケンペルの『日本誌』が出るまで、70年もの間プロテスタント世界で日本についての基本書となっていたことがわかる。」

「カロンの報告は日本を内側から観察して記述していると言える。長期間にわたる平戸での滞在、幕府との交渉、数多くの江戸参府、そして何よりも日本人の妻やその親戚との親交を通じて、カロンは日本の社会や文化に精通しており、ルーカスゾーンの質問に回答するのに最も相応しい人物であった。勿論、報告書は、その性質上、政治・経済的視野の上に立って作成されているが、それでも当時の日本人の生活や文化について驚くほど詳細な記述を数多く含んでいる。」

「結果的に、カロンの報告書は、貿易政策に役立てるためのデータ集というよりも、内から見た日本文化の本格的な分析を提供するものになって、その文化的要素は長い間ヨーロッパの知識人を魅了した。」
(クレインス前掲書、107~110、147頁より)

「同書は、館長代理時代、バタヴィア商務総監のフィリップ・ルカースゾーンによる、以下の31の質問に回答する形で執筆されています。1.日本国の大きさ、日本は島国か、2.如何に多くの州を含むか、3.日本における最上支配者の特質と権力、4.将軍の住居・地位・行列、5.兵士の数と武器、6.幕閣およびその権力、7. 大名とその勢力、8.大名の収入とその源泉、9.処刑の方法、10.何が重罪に相当するか、11.住民の信じる宗教、12.寺院、13.僧侶、14.宗派、15.キリシタンの迫害、16. 家屋・建具、17.来客の接待、18.結婚生活、19.子供の教育、20.遺言が無い場合の相続、21.日本人は信用できるか、22.貿易および貿易従事者、23.内地商業および外国航海、24.商業の利益、25.外国との交際、26.日本の物産、27.貨幣および度量衡、28.鳥獣類、29.鉱泉、30.将軍への謁見、31.言語・写字・計算方法・子孫に歴史を公開するか。」
(国際日本文化研究センターHPデータベース『日本関係欧文史料の世界』図書『日本大王国志』英訳版解説(フレデリック・クレインス執筆)より)

 本書は、このように17世紀を代表する日本関係欧文図書として極めて重要な地位を占める文献ですが、その書誌情報の複雑さでも知られる書物です。原著であるオランダ語だけでも数多くの版が存在するだけでなく、ヨーロッパ各国語に翻訳されており、しかもそれぞれの内容に相違があることから、いずれの版を用いるかが極めて重要な書物であると言えます。これらの書誌情報については、前掲書のいずれにおいても紹介されていて、それらの記述と、両書で参照されているティーレ(Pieter Anton Tiele, 1834 - 1889)による『オランダによる航海記に関する書誌的覚書(Mémoire bibliographique sur les journaux des navigateurs nérlandais. 1867)』(257-262頁)、またティーレに依りつつより詳細に書誌情報を整理したボクサー(Boxer, Charles Ralp, 1904 - 2000)による『日本大王国志』の注釈つき英訳版((A true description of the mighty kingdoms of Japan & Siam. 1935)の補遺(169-180頁)を頼りにオランダ語原著の書誌情報を整理すると下記のようになります。

1645 / 1646年
A)『強大な日本王国の記録(Beschrijvingen van het machtig Coninckrijck Iapan,…)』
→コメリン(Isaac Commelin, 1598 - 1676)による『東インド会社の起源と発展(Begin ende Voortgangh van de Verenigde Nederlantsche Geoctroyeerde Oost-Indische Compagnie. 1645 / 1646』に収録されたもの。カロン自身は出版に関与せず、校閲も許可もしていないが、広く読まれた。

1648年〜1652年
B) 『強大な日本王国の記録』
→A)を独立させて単著として初めて出版したもので、内容は概ねA)と同一だが、一部(大名の氏名と石高を記した目録の大部分)省略された箇所があり「極めて不完全」(前掲幸田訳書、76頁)とされる。カロン自身の校閲、許可も得ていないが、A) と同じく広く読まれ、すぐに再版された。タイトルページは亀の背に両翼を携えた砂時計と骸骨が載せられた図。この版には、①1648年の初版、②49年の再版、③52年のタイトルページの図を帆船2隻に変更した再版、の合計3種類の異刷が存在する。

1661年〜1662年
C) 『強大な日本王国についての「正しい」記録(Rechte Beschryvinge Van het Machitigh Koninghrijck van Iappan,…)』
→A)B)諸本がカロンの許可なしに出版されたものであるのに対して、カロン自身による増補訂正と許可を経たもので、「カロン校閲版」などとも呼ばれる最も重要な版。図版3枚と日本地図を新たに加えた(ただし日本地図についてはカロン自身は掲載の意図がなかったされる)ほか、新たに「第30問」を追記。A)B)に付されていたハーゲナールによる注釈をすべて削除したほか、一部記事をカロンの判断で削除。タイトルページは文中に関連する「切腹の図」。この「カロン校閲版」には、①1661年の初版、②1662年の再版、③刊行年表記のない再版、の3種の異刷が存在する。前掲幸田訳書が底本とした版はこの版を英訳した版。

 本書であるドイツ語訳初版は、最も信頼できるとされている「カロン校閲版」であるC)を定本としているもので、その意味において非常に価値のあるテキストをいち早くドイツ語に翻訳した作品として注目に値します。本書のタイトルページは、実質的に『日本大王国志』のラテン語訳とも目されることもあるヴァレニウス (Bernhardus Varenius or Bernhard Varen, 1622 - 1650)の『日本伝聞記』(Descriptio regni Iaponiæ...Amsterdam, 1649)のタイトルページをほぼそのまま転用したものですが、これには、本書が当時の日本研究所としてベストセラーであったヴァレニウスの著作をより発展的に充実させた作品であることを、当時の読者にアピールする狙いがあったのかもしれません。

 また、このカロン校閲改訂版には、冒頭に非常にユニークな形状で知られる折込の日本図が収録されています。この日本図は、同時代の西洋における日本図に類例を持たない独特のもので、前述のボクサーなどからはその不正確さを批判されてもいますが、そもそもこの地図は正確に日本の輪郭を表現するためのものではなく、当時から問題となっていた蝦夷が本州や大陸と切り離された島であるか否かを簡略的に示すためのものだったと言われています(この点については、ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図』社団法人O・A・G・ドイツ東洋文化研究会、1993年、92頁参照)。

「カロンが知り得た報告によると”津軽(Sungaer)とエゾのあいだの水域は、通り抜けできるような海峡でなく、西側が閉じている湾と考えられていた。しかし、本州とエゾのあいだには山岳と荒地が広がり、陸路での通行は不可能と思われた。したがって、交通手段は船で津軽湾を越えるほかない。その距離は英国マイルで120マイルと言われていた。日本人もまた、エゾ地の探検を何度も試みたがうまくゆかず、最果てまで行き着いていなかったと言われていた。同様の問題は『日本誌(The History of Japan…)』の中でケンペルとショイヒツァーも議論している。」
(ジェイソン ・C・ハバード / 日暮雅通訳『世界の中の日本地図』柏書房、2018年、238, 239頁(地図番号033番)より)

 このドイツ語訳版では、原著の日本図を縮小した上で「地名はドイツ語に翻訳され、次の地名が加えられている。本州にNagata(長門)、Osakij(大坂)、Meaco(京)、Iedo(江戸)、Hizumi (淀川?;引用者追記)、四国に Samaki(讃岐)、Hijo(伊予)、Tonsa(土佐)、Ava(阿波)、九州に Cocora(小倉)、Umbra(島原?;引用者追記), Nagesaky(長崎)、Bungo(豊後)、Fiugo(日向)、Arima(有馬)。致命を増やしただけでなく、地理学的な必要性より装飾的効果をねらって陸上全般に山脈を描き加えることで、原版では海図のように見えたものを地図らしく変貌させた」(ハバード前掲書、240頁)というものです。

 さらに、このドイツ語訳版は、原著「カロン校閲版」に付録として収録されている下記の記事も全て収録しています。

ハイスベルツ(Reyer Gysbertsz)
「日本においてローマ・カソリック京都であるがゆえに恐るべき耐えがたい苦難を加えられ、殺された殉教者たちの歴史」

クラメール(Koenraet Krammer)
「1626年10月20日、内裏が日本皇帝陛下を訪れた際に京の町で挙行された極めて豪華の祝典についての記述」

「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」

カンプス(Leonart Camps)
「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」

スハウテン(Joost Schouten)
「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」

 上記中のスハウテンの記事は、カロンが日本におけるオランダ東インド会社の商館長であったように、シャムにおけるオランダ東インド会社の商館長であった著者が、国内情勢や貿易の見通しなどを報告したもので、同時代のシャム研究においても大変重要とされている作品です。

 さらに、このドイツ語訳版は、原著オランダ語版には収録されていない記事を新たに追加しており、これらの記事は本書でしか読むことができないものであることから、非常に貴重なものです。そのうちの一つは、「1662年7月5日に中国の人々の支配下に帰した美しきフォルマサ、台湾島での出来事の速報」と題したもので、1624年にオランダが支配していた台湾の拠点であるゼーランディア城が、国姓爺こと、鄭成功によって陥落させられた事件をいち早くヨーロッパに伝えたものです。本書が刊行されたのはゼーランディア城陥落の翌年である1663年のことですから、これは極めて早い時期に同事件を報じた記事ということができるでしょう。しかも、この記事には、ゼーランディア城が鄭成功によって包囲されて攻め込まれる場面を、台湾の小地図とともに描いた折込図版が収録されていて、同時代の視覚資料としても大変興味深いものです。

 この貴重な「ぜーランディア城陥落記事」に加えて、バタヴィアでオランダ東インド会社の医師として勤務する傍ら、マラッカやベンガル、ペルシャなど東インド各地を旅したメルクライン(Johann Jacob Merklein, 1620 - 1700)の旅行記である「東洋遍歴記」も、このドイツ語訳版でしか読むことのできない貴重な記事です。この記事は、メルクラインによる1644年から1653年にかけて行った東洋各地への旅行に際して記していた日記を元にしたものとされていて、実際に各地を訪ねて実見を重ねた著者による旅行記、航海記として非常に高い価値を有すると考えられるものです。

 本書はこのように、カロンの普及の名作である『日本大王国志』を、最も信頼できる「カロン校閲版」に基づいて翻訳した上で、図版を新たに追加したり、地図に改善を加えるなど、独自の意義を有する改訂を施したという点で重要な翻訳版と言えることに加え、原著オランダ語版にはない、「ゼーランディア城陥落事件」をいち早くヨーロッパの読者に図版とともに報じた貴重な記事や、メルクラインによる東洋遍歴記を収録している点で、日本研究の枠を超えて、同時代のオランダ人による東洋研究を代表しうる、極めて重要で魅力的な作品となっていると言えるでしょう。

刊行当時のものと思われるベラム装丁。
特徴的なタイトルページは、実質的に『日本大王国志』のラテン語訳とも目されることもあるヴァレニウス (Bernhardus Varenius or Bernhard Varen, 1622 - 1650)の『日本伝聞記』(Descriptio regni Iaponiæ...Amsterdam, 1649)のタイトルページをほぼそのまま転用したもの。
タイトルページ。原著オランダ語版にない作品が追加されていることも記されている。
原著オランダ語版の地図を縮小して踏襲しつつ、原版にはなかった地名の追加や、地形の描き込みなど地図としての地図を高めている。
原著に収録されている図版はいずれも忠実に再現している。
1662年のゼーランディア城陥落を報じた記事には、鄭成功の軍によって包囲されて攻め落とされるぜーランディア城を描いた貴重な折込図版も収録されている。