書籍目録

『日本殉教史:1612年から1620年まで』

トリゴー / モラン(訳)

『日本殉教史:1612年から1620年まで』

フランス語訳版  1624年 パリ刊

Trigaut, Nicolas / Morin, Pierre (tr.).

HISTOIRE DES MARTYRS DV IAPON. Depuis l’an MDCXII insques a MDCXX.

Paris, Sebastien Cramoisy, M DC XXIV(1624). <AB202149>

Sold

First edition in French.

4to (17.0 cm x 23.4 cm), (Illustrated)Title., 8 leaves, pp.1-64, 56[i.e.65], 66-340, 413[i.e.341], 342-590, 592[i.e.591], 592-625, 628[i.e.626], 627-638, LACKING INDEX LEAVES, Plates: [5], Contemporary vellum.
巻末の索引のみ欠落(本体テキストと図版は完備)。刊行当時のものと思われる装丁に傷みや破れあり。本体は綴じも含めて概ね良好な状態。[Laures: JL-1624-KB1-356-232]

Information

「日本殉教録」を代表する作品の独自の意義を持つフランス語訳版

 本書は、イエズス会士トリゴー(Nicolas Trigaout, 1577 - 1628)が手がけた著作で、タイトルが示しているように1612年から1620年の間に日本で起きた主にキリシタン弾圧とそれに関連する事項が論じられています。本書刊行の前年1623年に、まずラテン語版(De christianis apud Iaponios Triumphis…München, 1623)が刊行され、本書はこれをモラン(Pierre Morin, 1562 - 1625)がフランス語に翻訳してパリで刊行したものです。タイトルページと全5部各部の扉として収録された合計6枚の図版が非常に特徴的なことでも知られている作品です。

 トリゴーは1610年にマカオに赴いて以降、中国での宣教に従事していたイエズス会士で、自身は日本に赴くことはありませんでしたが、1613年からしばらくヨーロッパに一時帰国した際に日本に滞在しているイエズス会士から送られた日本年報やそれらを編纂した著作などを参照して本書の大部分を執筆しました。トリゴーの一時帰国は「当時日本管区から独立していなかった中国管区の独立と、いわゆる適応主義による宣教方法をローマ教皇庁から認められるよう交渉する」ことと「環境の厳しい極東の宣教地に派遣できる若く健康で有望な人材確保と、東アジアでのイエズス会の宣教成功を各地に伝えること」が主な目的で、本書を含めたトリゴーの著作は「そうした宣伝活動の一環でもあった」とされています(小俣ラポー日登美「絵はことばを裏切る:ニコラ・トリゴー『日本殉教史』(1623/1624)の挿絵とテクスト」『京都市立芸術大学美術学部紀要』第65号、2021年所収論文、53頁)。1612年から1620年という本書が対象としている時期は、岡本大八事件に端を発する家康によるキリシタン禁令が発せられ、キリシタンの弾圧が本格化していくという、イエズス会の宣教活動おいて非常に厳しい時期にあたっており、こうした苦難の時期に生じた様々な迫害と殉教を積極的に報じることで、むしろ日本において強固な信仰基盤がイエズス会によって築かれていることを強調することが本書の大きな目的の一つであったのではないかと考えられます。

 本書は全5部で構成されていて、主に時系列に沿って日本で生じた出来事が、トピックごとに各章で論じられる構成となっています。各部冒頭にはその部で扱われる内容を象徴するような、殉教や処刑の場面を描いた銅版画が扉絵として掲載されていて、「日本におけるキリスト教殉教者の勝利」(Les triomphes chrestiens des martyres du Iapon)という部題とその部が扱う年代が部の冒頭に記されています。「日本におけるキリスト教殉教者の勝利」という部題は、ラテン語版の元々のタイトル『日本におけるキリスト教の勝利』に由来するものと思われ、この部題と対になるような形で扉図が掲載されていることがわかります。第1部(1612年、1-145頁)、第2部(1613年、146-226頁)、第3部(1614年、228-367頁)、第4部(1615年、369-467頁)、第5部(年代表記なし、469-631頁)という構成からわかるように、第4部までは各部で1年を扱う一方で、第5部だけは対象とする年表記がなく、タイトルが示すように1620年までの5年ほどの出来事を第5部に詰め込んだような内容となっています。前掲論文によりますと、元々はトリゴーがヨーロッパ帰国地中に完成させていた第4部(1615年まで)までで本書を完結させる予定だったものを、トリゴーがゴアに戻ってから新たに得た情報に基づいて新たに書き下ろした内容を収録した第5部を急遽付け加えることになったため、このような奇妙な構成になったということです(前掲論文、50, 51ページ参照。同論文ではラテン語版とフランス語版との比較も含めて本書の構成と内容概略も解説されていて非常に参考になります)。

 本書は日本のキリスト教宣教が極めて厳しくなりつつあった時期の出来事を詳細に記した記録として刊行当時からヨーロッパでよく読まれ、また現在のキリシタン研究においても広く知られている作品です。本書では全編を通じて、当時の日本におけるキリスト教徒が直面していた状況の説明と、具体的な迫害事件や殉教の場面が数多く紹介されていて、まさに「日本殉教録」という内容となっています。長崎、豊後、薩摩といった具体的な地名を挙げながら多くの事件が描かれており、例えば、1614年の長崎有馬地方における弾圧は、事件全体の背景(岡本大八事件に伴う有馬晴信の処刑など)から経過、個別の殉教者の様子などが複数の図版、テキスト双方で詳細に報告されています。また、最終部では、日本における宣教活動の基本情報が収録されており、教区ごとの状況や信徒数、学校や教会などの施設とその破壊されたもの、殉教者の名簿などが記載されています。

 本書はこうした優れた記述内容だけでなく、各部冒頭に収録された特徴的な銅版画によっても広く知られています。図版はいずれも殉教の場面や処刑の様子を生々しく描いたもので、当時の日本の過酷な状況をヨーロッパに視覚的に伝えるメディアとしての役割も果たすものとなっています。また、日本における殉教はその犠牲の大きさもさることながら、キリストと同じく「十字架による磔刑」(磔)によって、その信仰のゆえに処刑されるという、処刑方法にも大いに注目が集まったことが知られており、本書の図像を理解するためには、こうした当時の文脈を理解する必要があります。本書が刊行された時期は、キリストを筆頭として、多くの迫害を受けた末に殉教した初期キリスト教会の聖人たちを彷彿とさせる日本における殉教とその残虐な処刑方法を、殉教者の偉大さや聖性、彼らの信仰の勝利を証するものとして、フランシスコ会を筆頭にして、イエズス会によってもヨーロッパで積極的に喧伝されるようになった時期に当たります。(この点については、小俣ラポー前掲論文、および、楠根圭子「17世紀前半のヨーロッパにおける『日本の磔刑』をめぐる論争と宗教美術」『キリシタン文化研究会会報』第156号所収論文を参照)。それゆえ、本書に収録されている図版はいずれも、処刑方法を過剰なまでに詳細に描いており、また第5部の扉絵に表されているように、「十字架による磔刑」は、極めて重要な図として大きく取り上げられています。このように、「由緒正しい」処刑方法によって、極めて残虐に拷問や処刑が日本で行われていることを視覚的に強調することによって、テキストで紹介される、日本における殉教者の偉大さ、ひいてはキリスト教の偉大さが引き立つようになっており、まさに部題が示すように「日本におけるキリスト教の殉教者の勝利」が示されることが、本書の図版で意図されていることがわかります。その一方で、これらの図版に描かれている多くの日本人像はかなり写実的に表現されており、実際に事件に接した者による史料を手本としていると思われることから、これらの銅版画は、衣装や髪型なども含めて当時の日本の姿を伝える資料としても価値ある作品となっています。

 また、本書にはラテン語版とは異なる特徴的な図版を用いたタイトルページが採用されていることも注目すべき点です。このタイトルページは単なる装飾的な意味合いで採用されているのではなく、本書のモチーフ全体を象徴的に表現するものとして極めて意識的に制作されたものであることが指摘されています。

「(前略)フランス語版の扉絵では、ラテン語版扉絵にあるのと同じ位置に十字架が描かれるが、こちらは3つの十字架が描かれている。その理由は、フランス語版の序文で以下のように説明される。
 『扉絵に関しては、この国(日本)に現れた3つの奇跡の十字架を表しています。2つは木の中に現れ、もう1つは素晴らしい光の中に現れました。』
 フランス語版の扉絵の上部左右に描かれた2つの十字架は、形状からして木の幹のようなものの上に表現されているため、第1部第3章で言及された小浜と大村の十字架の奇跡(木中から十字架が出現した伝えられている奇跡のこと;引用者注)であると考えられるだろう。
 「素晴らしい光の中に現れた」十字架については、第5部21章に該当する記述が見られる。この十字架は、布教を担っていた同宿(ラテン語 Daju/フランス語版 Dogici ou Doju)のジャン(ラテン語 Ioannes/フランス語 Iean)と、ペトルス・スススケ(ラテン語 Petrus Sususuque/フランス語 Pierre Cacusuque)の殉教に伴って顕現した。(中略)この逸話は、十字架の顕現という奇跡が、いずれ訪れる殉教を意味することを鮮明に告げているエピソードである。このような逸話に登場する十字架に脚光を当てたフランス語版扉絵は、最後に登場する挿絵が磔刑図となった『日本殉教史』に、図像上の一貫性を一層与えていると言えるだろう。この図像上の一貫性は、十字架の奇跡の顕現に始まり、磔刑を語る第5部で締め括られる『日本殉教史』の本文テクストの内容にも、よく呼応しているのである。こうした一貫性を意識した時、トリゴーの『日本殉教史』は、イエズス会から提示された磔刑についの考えを入念に伝えている作品とも捉えられるのである。」
(小俣ラポー前掲論文、63頁)

 この扉絵に関してさらに興味深い点は、本書を手がけた出版社である Sebastien Cramoisy が、1627年から1629年にかけて出版した、ソリエ(François Solier, 1558 - 1638)による『日本教会史』(Histoire Ecclesiastique des Isles et Royaumes du Iapon. 2 vols. Paris, 1627-29. *同書については弊店HP解説参照)において、本書扉絵とほぼ同じ扉絵が採用されているということです。ソリエの『日本教会史』は、イエズス会の日本宣教活動史を綴った作品の金字塔として当時から高い評価を受け、後年の著作にも多大な影響を及ぼしたことで知られる作品ですが、この書籍と本書が同じ扉絵を採用していることは、両書刊行の意図や背景を理解する上で、非常に興味深いことと言えるでしょう。

刊行当時のものと思われる装丁。背上部に欠損と傷みが見られる。
本書の内容と趣旨を象徴的に表現したとされるタイトルページ。
(参考)本書を手がけた出版社である Sebastien Cramoisy が、1627年から1629年にかけて出版した、ソリエ(François Solier, 1558 - 1638)による『日本教会史』の扉。本書のタイトル頁をほぼそのまま用いている。同書に収録されている図版もおそらく本書のものを転用した可能性が高い。
献辞冒頭箇所。
序文冒頭箇所。
本文の前に目次が置かれている。
第1部扉
第1部(1612年、1-145頁)冒頭箇所。
第2部(1613年、146-226頁)冒頭箇所。
第2部扉。
第3部扉。
第3部(1614年、228-367頁)冒頭箇所。
第4部扉。
第4部(1615年、369-467頁)
第5部扉。この図は本書の中でも「磔刑」を描いた図として特に重要とされる。
第5部冒頭箇所。
第5部補遺冒頭箇所。
第5部の末尾には殉教者らの名簿が掲載されている。
名簿だけでなくイエズス会の日本各地における拠点も掲載されている。