書籍目録

『あさ』『日本の宴会』(合冊)

ビゴー

『あさ』『日本の宴会』(合冊)

[第2版] [1885(明治18)年]

Bigot, Georges.

ALBUM.あさ / DÎNER JAPONAIS.

[1885], <AB202107>

In Preparation

[2nd ed.]

22.3 cm x 30.0 cm, 1 leaf(blank), Title., 30 leaves(plates), Title., 10 leaves(plates), Contemporary Japanese paper bound in Japanese style.

Information

「ビゴーの日本での芸術活動の原点を成す画集」

ただいま書誌情報・解題準備中です。今しばらくお待ちくださいませ。

「最初の画集『あさ』は石版画集で、明治16年初めに出されたと思われる。自分の住む東京麹町あたりの朝の風景を中心に描いている。「巡礼者たち」のような成田街道でのスケッチもある。縦30センチ、横22センチの和紙・和綴じ本で、扉を含めて31葉の石版画から成り、巻末には木版影絵漫画「日本の宴会」(扉+9葉17図+末尾)が収録されている。
 『あさ』は石版画集なので、全体的に描線が太く、デッサンにぎこちなさを残すものもある。この石版画集原版は、火災などの事故で失われたのか、明治18年にほぼ同一のものを作り直している。(中略)この明治18年版には、16年版にはない「夜盗」が収録されている。シリーズ第1作は明治16年12月刊の銅版画集『おはよ』、第2作は明治17年刊の銅版画集『また』、そして第3作は明治18年刊の石版画集『あさ』という意味だろう。この時点で、明治16年版石版画集『あさ』はシリーズから除外されたことになる。
 大佛次郎記念館所蔵本は明治16年版で、東京藝術大学図書館の所蔵本は明治18年版である。美術館・博物館・図書館などでのビゴー画集の所蔵状況を見ると、『おはよ』『また』『クロッキ・ジャポネ』に比べて『あさ』を所蔵しているところは非常に少ない。古書市場でも『おはよ』『クロッキ・ジャポネ』に比して『あさ』が出ることは非常に少ない。
 明治16年版『あさ』は原版に問題を起こして増刷ができなくなったから数が少ないのだろう。また、明治18年版『あさ』は、大判銅版画集『クロッキ・ジャポネ』が好評を博し、増刷が続いているうちに、18年版『あさ』はビゴーの頭から消えていったのだと思われる。
 ビゴー来日直後のこうした石版画集や銅版画集の巻末には影絵漫画を載せている。これは彼が来日する少し前に、フランスで流行していた漫画の表現スタイルで、もともとは浮世絵の影絵表現(たとえば、役者の横画を影絵で表現するものが幕末に流行)から影響を受けたものらしい。ビゴーのものはコマを使ったストーリー漫画である。まだ、日本には見慣れない表現なので、明治20年代に盛んにコマ漫画を描いた小林清親(1847-1915)などに影響を与えたと思われる。
 『あさ』に描かれたテーマの半数は職業である。人力車夫・そば屋の出前・肉屋・火消し・講釈師・夜回り・矢場女・三味線の師匠・屋根屋・新聞売り・慶庵・呉服屋・力士・行商人・女中・漁師など、社会を構成する様々な職業人が描かれている。社会の底辺の人々を描き、社会の歪みを訴えるレアリスムの眼も持っている。読者は外国人である。居留地から出られない人々、旅行者が行けない、見られない日本の庶民の生活を伝えることも刊行目的の一つだったろう。」
(清水勲『ビゴーを読む:明治レアリスム版画200点の世界』臨川書店、2014年、29-30頁より)



「ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)
ジョルジュ・ビゴーは、フランスにおいて日本への関心が高まりを見せ始めた1860年、パリの5区で下級官吏であった父と細密画を手掛けていた母の長男として生まれた。絵画の道を志していた若き画家は、1875年頃、当時腐食版画で名を馳せていたフェリックス・ビュオーに師事する。日本趣味を持ち合わせたビュオーの周りには数多くの浮世絵があった。ビゴーはアトリエ内で版画のテクニックを習得するだけでなく、情緒あふれる江戸の木版画を目にすることで遠い極東への興味を募らせていった。そして1882年、ついに日本に単身上陸する。そこから17年間をこの地で過ごすことになるとは、本人も予想だにしていなかった。
 十九世紀末に日本を訪れたフランス人画家はビゴー一人とは限らない。しかし、西洋人にとって未知の国であった日本で日本語を流暢に話し、助成金なしで日本社会に溶け込み17年もの歳月を過ごした画家は、おそらく彼以外いないのではないだろうか。だが、このビゴーの特徴は、画家のジャポニスムを複雑なものにした。そこには、リアリズムと自然主義の双方から観察された日本と近代化される以前の浮世絵の中の日本が入り混じっているのである。」

「ジョルジュ・ビゴーのジャポニスム
 ビゴーの創作意欲は来日以降、勢いを増した。油絵、水彩画、グアッシュ、黒鉛そして版画など、様々な絵画技法を用いて日本人の何気ない日常生活を採り上げるほか、風景や職業、人物像など多種多様な主題を選び、それらを生き生きと描き出した。1882年から1886年にかけて作成された版画には、浮世絵、特に『北斎漫画』から着想を得た痕跡が確認できる。フランスで制作されたものに比べると、細く短い線の連続で表されていた輪郭は、明らかにしっかりとした一本線で描かれるようになり、ハッチングが多用されていた画面は白い部分を意識的に残すうになった。ビゴーの絵画技法に北斎の影響が見られるということは、この画家が十九世紀後半におけるフランスのジャポニスムの芸術家たちと同じ系譜の上にいるということを示している。
 しかし、ビゴーのジャポニスムには、浮世絵からの影響からだけでは検討しえない難しさがある。日本的要素を西洋絵画に取り込んだフランスの画家たちと同様、日本に関する物品を収集し、日本を題材にしたのではあるが、ビゴーが彼らと一線を画するところは、この国の近代化と従来のジャポニスムを合わせた点にある。彼の「日本」は、ジェームズ・ティソやアルフレッド・スティーヴンスのように着物や当地の小物で表現したのでもなければ、またクロード・モネやフィンセント・ファン・ゴッホのように浮世絵から着想を受けて伝統的な絵画技法に改革をもたらしたのでもない。」

「ジョルジュ・ビゴー リトグラフ画集《あさ》Asa (1883)、影絵漫画《日本の宴会》
 1882年に来日したビゴーは、生計を立てるため陸軍士官学校でデッサンの教師を務めた。その合間、東京やその周辺地域に足を運び各地で素描を行うのを日課としていた。デッサン帳には日本人の日常生活や出会った人々の姿などが描かれている。この画集はリトグラフで作成されており、その中に収められている版画のモチーフは熱心な素描の賜物といえる。初版は1883年であるが、二年後には第二版が出版される。大きな違いは見られないものの、より多くの陰影を取り入れるなど画家自身が手を加えた痕跡がみえる。
 この画集には42枚のリトグラフが収められており、全体は前半の31枚と後半の11枚に分かれている。画集の前半(《あさ》)は、明治期における日本人の様々な職業を採り上げており、仕事中の様子を描いたものもあれば、ポートレートのように一人一人にスポットライトを当てる形式を用いて描いたものもある。また、日常生活の何気ない一場面を表した画も多く残している。
 画集の後半(《日本の宴会》)は政治家、高級官吏、商人が登場する日本の宴会風景を描いた影絵漫画である。ビゴーが滞在中、この種の宴会に出席したかは定かでない。しかし、風刺的要素が盛り込まれた物語構成には、実際に経験した人でなくては知りえないほどのリアリズムが感じられる。画家は影絵という媒体を通して上流社会に存在する日本の裏社会を批判しているとも捉える事が出来る。その一方で、登場人物に明確なアイデンティティがないことから、日本人に接待を受ける西洋人という設定に置き換えた見方も可能である。影絵は元来東洋で発展した芝居の一様式であり、十八世紀の後半に西洋に取り入られてからは大変な人気を博した。パリで幼少期を過ごしたビゴーもこれを観る機会が多々あったはずである。また、日本でも浮世絵の一部を影絵で表現するなど、この技法は庶民の生活に浸透していた。従って《日本の宴会》で使用されているこの技法は、浮世絵からの影響というよりはむしろ来日前に画家自身の経験から使用されたと考えられる。特筆すべきは、ビゴーが影絵と漫画を掛け合わせた点にある。特に、漫画に仕切りを入れて何ページも連続させる手法は当時日本では珍しく、後に小林清親(1847~1915)がこれを発展させていく。なぜ影絵漫画を《あさ》の附属本として後に加えたのか、その理由は判然としない。ビゴー研究家である清水勲氏はこれについて、日本を外国に紹介する意図が画家にあったからだろうと仮定する。確かに、この画集を購入する大多数が当時外国人居留地に住む外国人であったことを考えると、日本の思い出にと手に取った人にとって、この画集はその人と日本をつなぐ窓のような役割を果たすだろう。来日して約一年後に作成された《あさ》はビゴーの日本での芸術活動の原点を成す画集である。」

(フランス国立図書館「フランス・日本ポータルサイト:フランスと日本」より

表紙。厚手の用紙で和綴が施されていて、北斎漫画からとられた「JAPAN ART」という図が貼り付けられている。
「『あさ』の扉絵は一風変わったデザインだ。「あ」と「さ」の間に提灯が描かれ、右端には柱に飾られた4つのお面が見える。これらの面は明らかに『北斎漫画』2編(文化12年・1815年)にある「面づくし」のなかの「ぶがく」「げどう」「しほふき」「てんぐ」から採っている。」(清水前掲書、32頁)
「人力車に乗る日本の家族」(清水前掲書、34頁)
「巡礼者たち」「成田詣での夫婦が描かれている。東京の住人なら深川から行徳まで船で行き、船橋で一泊して徒歩で成田まで行く。そして朝護摩を受け、お守りを買っての帰路風景だ。赤子を抱いての信心の旅である。彼らはまた船橋で一泊して東京に帰るのだろう。」(清水前掲書、36頁)
「そば屋」「着衣・履き物・提灯・木製の橋もすべて江戸時代以来のものである。まさに明治15年において、浮世絵の世界が残っていたのである。江戸の面影を残す東京で暮らすことで、彼は浮世絵の世界を追体験していたのである。」(清水前掲書、38頁)
「肉屋」「牛肉店の店先である。主婦が注文し、店主がさばいている。(中略)牛肉1斤 18銭 ロース同 25銭 ビフテキ同 10銭 牛なべ同 5銭 牛なべロース同 7銭 明治15〜16銭頃の物価は、大工の日当30銭、米1升8銭、そば1銭、銭湯1銭4厘であるから、牛肉は結構ぜいたくな食物だったようだ。近所の犬がしっぽを振ってお余りが投げられるのを持っている。ちょっとユーモラスな光景でもある。」(清水前掲書、40頁)
「火消したち」「この図は南北市政裁判所(旧町奉行所)に所属する町火消しである。組頭の提灯(ポンプと書かれている)を先頭に、火事装束の男たちが梯子、まといをかついで走っている。走ることが現場へ到達する最も早い手段だったのである。」(清水前掲書、44頁)
「碁の勝負」「奈良・平安時代は貴族の遊戯、中世・近世では武士の娯楽であった碁が、近代に入って庶民のものになったことを伝える絵である。」「大衆といってもこれは士族の家かもしれない。碁盤を入手できる余裕がないとできない遊戯だからだ。真剣に取り組んでいるとはいえ、煙草を吸いながらだから楽しんでいる。「西洋煙草」対「きせる煙草」の対決であり、「断髪」対「髷結い」でもある。髷結いの人物は、腰に艾入れを付けているから訪ねてきたのだろう。それにしても、ビゴーは日本人の座る姿を描くのが下手である。自分で体験したことがないのでつま先がどうなっているのかよくわからないようだ。レアリスト・ビゴーにしては珍しい弱点である。」(清水前掲書、52頁)
「紳士とその息子」「雨の中、蛇の目傘(妻黒という外縁だけが黒く、内側が白い傘)を刺して歩いて行く父と子。インバネス(防寒外套。肩被いをはずしている)を着た父。襟巻きをした息子。真冬の風景だろう。2人とも洋服を着、靴を履き、帽子をかぶっている。とくに子どもの洋服姿は珍しい時代だったから、この2人はかなり目を引く存在だったろう。」(清水前掲書、48頁)
「元日の訪問」「官員が上司の家を年賀で訪れた図。左の男の口髭が官員であることを物語っている。役所では、新年仕事始めに職場であいさつを交わすから、上司の家を訪れる必要はないと思われるが、正月休暇中に直属の上司からよばれるケースは多々あったと思われる。」(清水前掲書、54頁)
「歌の稽古」「歌の稽古をする芸者予備軍たち。幼い頃からきたえられ、9〜10歳で住み込みの「仕込っ子」となり、雑用や遊芸稽古を経て半玉(玉代が芸者の半額のためこう呼ばれた)となり、座敷へ出た。友禅の着物を裾を引かずに着て、赤襟をかけるのが一般的だった。踊りと太鼓を演じるが三味線は弾かなかった。大半は16歳で芸者となった。」(清水前掲書、58頁)
「買出し」「雨上がりの田園地帯を、手拭いでほおかぶりをし、風呂敷包みを肩にしょって歩く女性らしき人物がいる。」(清水前掲書、60頁)
「化粧する若い娘」「縁側に水入れと化粧箱を出し、腰巻姿で洗顔し、手拭いでふいている。庭には燈籠と屋根付の裏門が見える。垣根は二重になっているから外からは見えない。(清水前掲書、66頁)
「祈り」「この髷の男は近所に住む商人のように見える。朝、店のまわりを掃除し、近くのこの神社に来て祈り、1日のスタートにしているのである。」(清水前掲書、70頁)
「慶安(慶庵)・けわん」「慶安(けわん)とは「雇い人 奉公人の斡旋を職業とする人」「口入屋」である。この図は外国人にも奉公人の世話をしている点で興味深い。横浜居留地や東京の築地居留地近くの慶安なのだろう。慶安は世話好きな年配女性が多く関わった。事務所などはなく、自宅の縁側などで相談にのった。この図は、ビゴーの仲介で女中や人を探すイギリス軍人らしい。」(清水前掲書、72頁)
「呉服屋」「ビゴーは日本人の商売のやり方にも興味を持ち、呉服屋の中をスケッチしている。丁髷を結い、眼鏡をかけている番頭が毛筆で記帳し、手代器用な手先で算盤を使いこなしている。番頭に指示を与えている女性は主人の奥さんではないか。」(清水前掲書、78頁)
「行商人」「飴屋は明治の街かどで、子どもたちに人気のある行商人の1人であった。図では飴屋は後ろ姿なのでわかりにくいが、子どもたちは男の手先をじっと見つめているはずだ。」(清水前掲書、84頁)
「漁船」「大きな漁船が描かれている。佐原街道を北上して見た霞ヶ浦か。さらに北東に進んで茨城県の鹿島に到達し、太平洋を見たのか。それとも東京への帰路に寄った千葉市の稲毛海岸か。霞ヶ浦ならあの特徴ある帆かけ船が見えるはずだ。稲毛海岸は遠浅だから、こんな大きな漁船は見られない。30葉の作品を収録する『あさ』の最後の作品を太平洋到達という長旅の最後で締めくくったのだろう。」(清水前掲書、92頁)
「夜盗」「『あさ』明治18年版は、明治16年版より作品が1点多い。すなわち、図2-32はなく、図2-32'(上掲図のこと;引用者注)は新作である。おそらく、近所の老婦人から聞いた話をまとめたのだろう。朝、目がさめたら箪笥の中のものがすっかりなくなっていた、という話である。題して「夜盗」キャプションにこうある。「他人の財産をぬけぬけと奪ったり、隠したりしてはならぬ。」この作品は、これまでのものとは違う。身のまわりで怒った事件を想像して描いたものだからである。(中略)なぜ、こうした絵を入れたのだろうか。多分、サービス精神から出た発想だろう。石版画集『あさ』はビゴー最初の出版物であると同時に、外国人読者に日本人の生活を知ってもらうガイドブックという面があった。そのため単なる写実画ではなく、写実の枠を外した創造画や風刺画も入れたのである。」(清水前掲書、94頁)
「日本の宴会」タイトルページ。
裏表紙。