書籍目録

『日葡辞書』(キリシタン版)

『日葡辞書』(キリシタン版)

1603(4)年 長崎刊

VOCABVLARIO DA LINGOA DE IAPAM com adeclaração em Portugues, feito por ALGVNS PADRES, E IR. MAÕS DA COMPANHIA DE IESV.

Nangasaqui, (no Collegio de IA-PAM DA COMPANHIA DE IESVS, (no Collegio de IA-PAM DA COMPANHIA DE IESVS.

Price upon request

Later half leather on green marble bords. With a special leather box.
マニラ聖ドミニコ会修道院旧蔵書、402r, 402v欠、標題紙ファクシミリにて補填。一部虫食い穴あり。後年の装丁、特別保存箱入り。

Information

 本書は、現存するものが極めて少なく、また市場に出回ることがほとんどありえないとされる「キリシタン版」の一つです。天正遣欧使節が日本に持ち帰った活版印刷機を用いて刊行された書物の総称である「キリシタン版」は、その多くが消失し、現存するものは70本余りしかないと言われています。明治以降に国内外の研究者によって多くの研究と現存本発見のための努力が積み重ねられた結果、国内においても上智大学キリシタン文庫、天理図書館、東洋文庫といった研究図書館に、数点の「キリシタン版」が所蔵されるようになりました。「キリシタン版」のこれら国内研究機関への将来は、明治期から昭和初期にかけてなされたもので、1952年に天理図書館に所蔵されることとなった『精神修養の提要(COMPENDIVM SPIRITVALIS DOCTORINAE. 1596)』 が最も近年のものではないかと思われます。

 本書は、『日葡辞書』と呼ばれる1603年(本編)から1604年(補遺)にかけて、長崎のコレジョ(Collegio、ポルトガル語でイエズス会が設立した聖職者養成のための高等教育機関)で刊行されたもので、標題紙にもはっきりと「長崎のコレジョ(Nangasaqui no Collegio)」と記されています。「キリシタン版」は、加津佐や天草、京都で刊行されたものが確認されており、1590年代の天草版が特によく知られていますが、「キリシタン版」がその完成の域に達しつつあった17世紀冒頭に刊行された長崎版は、天草版よりも確認できる刊行点数が少ないことからも大変貴重と言えるものです。

 『日葡辞書』は、京都近郊の標準日本語を基準としつつ、宣教師がその活動において必要となる日本語に関する知識を網羅的に整理した辞典として、3万を超える言葉が収録されています。訳語として、西欧言語のうちでポルトガル語が採用されたのは、ポルトガルがイエズス会の重要拠点の一つで、宣教師にポルトガル話者が多かったことを反映しています。来日したイエズス会の宣教師にとって、宣教活動のために正確な日本語を習得することは最も重要な課題の一つで、本書は、ザビエルによる宣教開始以降、50年以上にわたって続けられてきた日本語研究の集大成としてみなすことができるものです。比較的社会階層の高い人々への宣教には、当時の標準語とみなされていた「上(かみ)」と呼ばれる近畿地方、とりわけ京都近郊で用いられる言葉と文語の習得が必須である一方、宣教活動の中心であった西日本、特に「下(しも)」と呼ばれる九州地方で用いられている日常言語を習得することは、信者の告解を正確に理解するために欠かせないことでしたので、それらの区別に気を配りながら語を選択して収録しています。それ以外にも日常用語、専門用語、女性言葉、幼児言葉といった様々な分類に基づいて、宣教師がその場面に応じて適切な日本語を用いることができるように工夫して『日葡辞書』は編纂されています。

 『日葡辞書』が、「キリシタン版」のなかでも特に重要とされてきたのは、その内容から当時の日本語の様態や、近畿、九州の文化や風習を知りうる極めて貴重な資料としても活用できることにありました。そのため、早くから内外の多くの研究者が本書に注目し、翻訳や復刻版の刊行がなされており、「キリシタン版」の中でも比較的多くの研究蓄積がある書物と言えます。

 こうした研究の蓄積がある『日葡辞書』ですが、現存するものは世界中でも4部しかないとされており、これまで日本国内に原本が所蔵されたことは一度もありません。オックスフォード大学ボードリアン図書館本は、最も完全といわれるもので、18世紀後半から19世紀初めのフランスを代表する東洋学者であったラングレ(Louis Mathieu Langlés, 1763 – 1824)の旧蔵本です(以下ボードリアン本①)。ポルトガルのエボラ公共図書館本もこれに次ぐ美本といわれる一方で(以下エボラ本②)、パリ国立図書館本は、補遺がなく、また多くの欠落があることが知られています(以下パリ本③)。また、フィリピンのマニラにあるドミニコ会修道院本は、上智大学キリシタン文庫の基礎を築いたラウレス(Johannes Laures, 1891 – 1959)によって、戦前に写真撮影が行われ、一部の欠落があるものの補遺を備えた完本であることが確認されており、その謄写本が上智大学に所蔵されていますが、原本の行方は戦後に分からなくなったとされていました(以下マニラ本④)。これに加えて、ごく最近(2018年9月)になって、ブラジルのリオでも発見されたことが大きな話題となっており、「世界で4冊目」の発見として注目されています(以下リオ本⑤)。「世界で4冊目」というのは、戦後行方不明となったマニラ本④をすでに失われたものと考えてのことだろうと思われます。

 今回見つかったものは、まさにこの「失われた」とされていたマニラ本④に他なりません。個人の愛書家が2012年に当該の修道院から正式な契約を交わして購入したと伝えられているもので、その由来は確かなものです。ラウレスの調査では欠落しているとされていた表題紙はこの本ではファクシミリで補われており(おそらく先の愛書家によってなされたものと思われる)、また201v(erso、左頁), 202r(ecto、右頁)は現存している点が異なります(この点はラウレスが誤って記録したのか否か不明)が, 402r, 402vは、ラウレスが指摘するように欠落しています。何より、マニラ本の謄写本に見られる冒頭の出版認可文の下部にある書き込みと、全く同じものが本書においても確認することができます(この部分については、天理図書館編『きりしたん版の研究』307頁掲載の写真13を参照のこと)。本文、補遺のいずれも備えた完本であることも非常に重要です。装丁は後年(19世紀頃か)のものと思われる改装が施されており、さらに保存のための特製箱が付属しています。

 『日葡辞書』は、先述のように「キリシタン版」の中でも特に重要な資料として早く注目されており、ボードリアン本①を基本としつつ、エボラ本②、パリ本③の比較研究もなされていて、同じ刊行年表記であってもその内容に相違があることが確認されています。これは、印刷過程においても、版組や内容の修正を細かに施していたことによるものとされており、その意味で、現存する諸本それぞれが独自の重要な価値を有しているものとみなされています。従って、最近新たに発見されたリオ本⑤が注目を集めることは当然と言えましょうし、「失われた」とされていた本書であるマニラ本④の「再発見」がもたらす意義が決して小さくないことは容易に推察できます。これまで研究上極めて重要とされてきたにも関わらず国内での所蔵がなかった『日葡辞書』がこのように市場に出現したということは、その稀覯度に鑑みても「事件」とさえ言うことができるでしょう。


「キリシタン時代末期に刊行された、日本語・ポルトガル語対訳辞書であり、日本語を見出し語としたヨーロッパ言語との初の対訳辞書でもある。本文は全文ラテン文字活字のみで印刷されており、漢字仮名活字は用いられていない。辞書の体裁は、先に刊行された『羅葡日辞書』に倣ったとされる。見出し語数は全編で33,000語と、当時の日本語辞書・ポルトガル語辞書のどちらにおいても他に類を見ない大部な辞書である。辞書全体の規模だけで名はなく、同じキリシタン版語学辞書である『羅葡日辞書』の補遺篇がわずか151語であるのに対し、『日葡辞書』は補遺篇に約7,000語を立項しており、その補遺篇のボリュームも特筆される。
 また、方言や卑語、女性語、幼児語といった口語表現から、仏法語、文書語、詩歌語まで、掲載されている見出し語が多岐に亘っている点も特徴的である。当時の日本語辞書には、話し言葉や俗語表現を採っているものは殆ど無い。『日葡辞書』はそうした後も見出し語に立項し、更にはローマ字によって表記しているため、その当時の日本語の実態を窺い知ることができる貴重な史料だと言える。
 これは、『日葡辞書』が宣教師たちにとって必要な、実用的な辞書であったことによる。宣教師たちにとっては、自身が人々と話す際には正しく丁寧な言葉を使う必要があったが、一方で、市井の人々の話を聴くためには、話し言葉や俗語的な表現、様々な位相の言葉を理解する必要があった。外国人宣教師の日本語学習用辞書としての特徴も、『日葡辞書』を考える上で重要な点である。」
(中野遥「日葡辞書:日本語・ポルトガル語の対訳辞書」岸本恵 / 白井純(編)『キリシタン語学入門』八木書店、2022年所収、43ページより)

「マニラ本
 マニラのドミニコ会サント・ドミンゴ修道院文庫に収められていた日葡辞書である。戦後行方不明となり、2017年に古書市場に現れたものの、その後の所蔵者は不明である。そのため、現在に至るまで複製は出版されておらず、戦前に撮影された全篇の写真版が上智大学キリシタン文庫に保管されており、それによって原本の記述を唯一確認する事が可能である。
 このマニラ本の巻頭は、第二葉に認可状・允許状、第三葉に序文・例言となっており、こちらも允許状・認可状の順序が逆になっている。また第一葉が失われてしまっており、巻頭については①第一葉を欠く、②允許状・認可状の順序が逆、という2点について、キリシタン版の中で異例である。」
(中野遥『キリシタン版日葡辞書の解明』八木書店、2021年、14ページより)