書籍目録

「新訳和蘭国全図」

鷹見泉石 / 箕作阮甫 / [「ウエイカンド」(原図)]

「新訳和蘭国全図」

(原版からの後年単色刷) (1849年)/ (昭和前期頃) (江戸刊)

Takami, Senseki / Mitsukuri, Genpo / [Weygand, F.J.].

[Nieuwe kaart van het koningrijk der Nederlanden en het Groot-hertogdom Luxemburg: met aanwijzing der niuwe postwegen…1816.]

(Edo), (1849) / (1920th - 1940th ?). <AB2020381>

Later edition reprinted by using original wood block, not colored.

60.4 cm x 95.8 cm, 1 folded large map,

Information

オランダを中心としたベネルクス諸国を主題とした日本初の木版地図の後年刷版

「鷹見泉石の翻訳・刊行にかかる『新訳和蘭国全図』、これこそが鷹見泉石の代表作・主著である。
 一舗は次の部分から構成されている。
  1 表題(「新訳和蘭国全図」)
  2 箕作阮甫の「和蘭国全図序」(嘉永二年己酉九月望)
  3 鷹見泉石の識語(嘉永二年己酉重陽 [九月九日] )
  4 凡例
  5 地図(オランダと白耳義等の部分から成る)
  6 縮尺を示す枠と外枠
 表題には、縦11.2、横2.7センチの枠が付き、楷書で「新訳和蘭国全図」と右上部に記されている。
 箕作阮甫の序文は、漢文による白文。「嘉永二年己酉九月望」は、嘉永2年(1849)9月15日(陰暦)。その要点のみ、読み取っておこう。


 世人の多くは地理学に暗い。鷹見泉石が古河候に仕え顕職について繁忙のな か、オランダ・ベルギー2国の地図を刊行された。従来の輿地図はみな地球総体を表すものであって、分図に及ぶものではなかった。総体万図を残さず、分体一地をつまびらかにする。よろしく、総・分併行すべきものである。これを手本にして、フランス、イギリスなどと、ヨーロッパ全体に及べば、座して五州を知ることができる。その刻の成るを待つ。


 刻成刊行を待つ、阮甫の期待を表す序文となっている。また、識語に続く凡例には、境界彩色、和蘭各州、記号、縮尺等について記している。
 さて、識語にこそ、泉石の著作・刊行の目的が表明されていると思われる。巻末に原文を付録として掲げたが、注目すべき点などについて取り上げてみよう。
 識語は5つの部分から成っている。最初の一文のあと、4つの部分に分けることができる。
 最初の一文により、泉石が慶長5年(1600)、初のオランダ船リーフデ号が豊後の佐志生に漂着したときに日蘭の出会いが始まる、と見ていることがわかる。海外渡航厳禁下に育って久しい日本人は海外事情に疎くなっている、蘭学の徒と標榜する人においてさえも、そのもとであるオランダを知る人は少ない、との指摘が続く。よって、この図を訳し、低い土地の国土で、運河が多く、沿海に面した国であることを日本人に紹介しようという、泉石の刊行意図が表明されている。注目すべきは「此図ヲ訳シ」と言っている箇所で、オランダの原図を手にして、泉石が訳出した地図であることがわかる。この「原図」の追求こそが、長年にわたる学会の課題であった。
 地図を著すに際しては、「州界・都鄙・要害・駅路等ヲ記シテ、好事ノ便覧ニ備」えたのである。
 続く箇所は、ベルギー部分の小里を省略し、1839年時点の別の小縮尺図を得て行政区画を修正していることなどを表明していると見受けられる。泉石が、なお詳細な地図の出現・入手を望んでいたことがわかる。
 その次、①の部分では、ヨーロッパ諸国を北部、中部、南部に三大別し、オランダが中部に属していることを説いている。そのオランダが、西北は北海に接し、南はベルギー、フランス、東はドイツの諸国に隣接していると説く。まさに、本図を一覧すれば、何人も得心するところであろう。
 ②の部分は、オランダの紹介である。ネーデルランドはNederland(低地)で、17州の総名であると言っている。
  ・構成している17州のなりたち
  ・ナポレオンのために、国をフランスに奪われた時期のこと。
  ・独立回復後の、ウィレム一世のこと。
  ・ワーテルローの戦い。
  ・ベルギーの叛乱・独立のこと。
などを紹介している。オランダの風説書をはじめとする、泉石が収集に勤めて取り組んできた海外知識、なかんずく、オランダの歴史が短文のうちに凝縮して紹介されている。見えているフルエーニクテ・ネーデルランドは、Vereenigde Nederland(連合オランダ)である。
 蘭学知識をもたらしてくれている、大もとのオランダ人その者は、身体は長大、智力があって、天文・地理・窮理の学に達している。人民は繁庶し、産物は富饒で、砲術、兵馬が強盛であると説いている。「大都」を「アムステルダム」、「王都」を「ガラーヘンハーカ」と言っているが、これは現今いうところの「王都」「アムステルダム」、「政都」「ハーグ」のことである。
 ③の部分は、ベルギーの独立とベルギー領土内にワーテルローをはじめとする。オランダにとっての古跡がたくさんあることを述べ、よってベルギーの小里を略して、本図にその国の図を加えているのである、としている。
 ④の部分は、ベルギーが9つの州より成り、王都をブリュッセルといっていることを紹介している。(中略)
 明治前においては、わが国における西洋一国の地図、阮甫のいう地球の分図として、唯一単行オランダ地図(縦57.0、横86.0センチ)である。
 加えて、『新訳和蘭国全図』の「版木」も現存している。(後略)」
(片桐一男『鷹見泉石:開国を見通した蘭学家老』中央公論新社、2019年、163-168頁より)

「泉石の和蘭図と1816年刊行の Weygand 図(Nieuwe kaart van het Koninkrijk der Nederlanden) とは図が極めて一致しており、Weygand 図のオランダ地名と地形の忠実な描写であることから、これを原図にして『泉石図』は作成されたとみられる。一方、文政10年(1827年)7月の泉石日記に”和蘭地図ウエイカンド著之文訳出来”の文が見られ、これが裏付けられた。
 Weygand 図を天文台蛮書和解方に詰めた和蘭通詞の猪股源三郎が地名をカナ変換し、これを泉石は受け取り、翌年シーボルト事件が発覚し高橋作左衛門が獄死、猪股が連座・病死という経緯から、地図と分訳の成果は泉石の引退(1847年)までの20年間温存されることになる。弘化、嘉永になるとオランダの領域はベルギーの独立により半分に変化したが、和蘭図では1839-40年の地図から新しい行政区画を修正し、藩の若者の手を借り、ベルギーにおいては小里の省略のために、新たな地名を書き改め(引足し)箕作阮甫の序を得て『新訳和蘭全図』として嘉永2年(1849年)に完成されたものと推測される。30年前の古い地図が原図にもかかわらず新訳としたのはかような経緯だからであろう。『泉石図』の価値は当時の最先端の製図技術からなる精細地図を木版(凸版)で日本製地図に移植したことであり、近代的地図表現のさきがけとなった。しからばその成果は猪股源三郎と竹口貞斎と鷹見泉石の合作だったともいえるのではないだろうか」
(井田浩三「鷹見泉石『新訳和蘭図全図』原図の考察」日本地図学会『地図』第51巻第1号、2013年所収論文、8-9頁より)