書籍目録

『東洋汽船会社:アメリカ、ハワイ諸島、インド、フィリピン、日本、中国のガイド』

東洋汽船会社

『東洋汽船会社:アメリカ、ハワイ諸島、インド、フィリピン、日本、中国のガイド』

[1900年頃?] [サンフランシスコ刊?]

Toyo Kisen-Kaisha(Oriental Steamship Company).

TOYO KISEN-KAISHA. America, Hawaiian Islands, India, Philippines, Japan, China.

[San Francisco ?], [C.1900?]. <AB2020376>

Sold

21.3 cm x 23.2 cm (Folded: 10.6 cm x 23.2 cm), 8 leaves including both covers, printed in double column, Original pictorial paper wrappers.

Information

東洋汽船によるかなり早い時期の印刷物ではないかと思われる英文ガイドブック

 このガイドブックを作成した東洋汽船は、明治から昭和にかけて日本の旅客業界の中心の一角を担っていた海運会社です。現在の商船三井である大阪商船と日本郵船と並ぶ海運会社として大型客船や太平洋航路の運営など積極的な経営方針で知られており、特に海外旅客の誘致には特に熱心で、創業者である浅野総一郎は、紫雲閣と名付けた自身の邸宅に海外からの主要な旅客を招いて宴会を催したりもしています。また、ジャパン・ツーリスト・ビューローの活動にも尽力し「亡くなられる迄殆んど欠かさずビューローの総会に出席され、われわれを大いに激励された」とビューロー25周年回顧録に記されているほどです(山中忠雄『回顧録』ジャパン・ツーリスト・ビューロー、1937年)。

 東洋汽船は、ガイドブックの作成にも早くから熱心だったものと思われ、本書はそうした東洋汽船の比較的初期の活動を物語るものです。折りたたむことでポケットに入りやすくなる縦長の形状となるガイドブックは、1枚を左右に分けてテキストを配置しています。最初に東洋汽船の航路や会社概要、主要な保有船舶の紹介などがあり、ここには浅野総一郎の肖像写真も見ることができます。本書には出版年の記載がありませんが、ここに記されている主要船舶のラインナップからおおよその年代を特定することができます。NIPPON MARU(日本丸)、AMERICA MARU(亜米利加丸)、HONG KONG MARU(香港丸)とあるのは、1898年末から同社が運用を開始した船舶で、1899年から同社の主要航路となったあんフランシスコ航路に用いられています。一方、1901年に運用が始まる「ろひら丸」や「ろせった丸」、1908年に運用が始まる当時超巨大と言われた「天洋丸」「地洋丸」については何も書かれていませんので、本書は、1899年から1900年頃に刊行されたものと推定されます。東洋汽船は、このガイドブックと非常によく似た名称のガイドブック『アメリカ、ハワイ諸島、日本、中国、フィリピン、インドのガイドブック』(America, Hawaian Islands, Japan, China, Philippines, India)を1900年ごろから1916年ごろにかけて表紙や内容を変更しながら、同じタイトルで繰り返し発行していることが確認できますので、このガイドブックは、あるいはそれに先行する同社によるかなり早い時期に制作された英文ガイドブックではないかと考えることができるかもしれません。

 テキストは、日本の主要都市の案内や、紀行、ガイド(通訳)などが記されていて、横浜、東京近郊、日光、鎌倉、富士山、奈良、神戸、瀬戸内、長崎などが数多くの写真とともに紹介されています。続いて、中国、フィリピン、インド、ホノルルの紹介があり、サンフランシスコからアメリカ西海岸を起点してニューヨークまでのアメリカ各地の紹介を見ることができます。各地の案内に続いては、Pacific Ocean社と提携して行っていた世界周航の案内も掲載されていて、同社が自身で運営している航路と他社との航路の良好な接続環境をアピールしています。巻末には、同社が運行していた航路や料金といった実際的な情報が掲載されていて、簡便なガイドブックとしては非常によくできた内容と思われます。また中程には、航路を記した東西半球と日本地図を掲載しており、大まかな地理情報も得ることができるようになっています。

 質の高い印刷の出来栄えや高品質な用紙を用いた作りなど、相応の思い入れが感じられるガイドブックですが、刊行地や印刷会社についての情報は明記されていません。東洋汽船は多くの印刷物を日本国内ではなく、サンフランシスコで印刷していますので、おそらくはサンフランシスコでの印刷ではないかと思われますが、同社の印刷物の中でもかなり早い時期のものではないかと思われるガイドブックだけに、より正確なことについては更なる調査が必要です。