書籍目録

『ショッピング世界一周』

日本郵船会社 / スウィーニー(絵)/ キング・スティール(文)

『ショッピング世界一周』

初版(1928年サンフランシスコ版) 1928年 サンフランシスコ刊

Nippon Yusen Kaisha / [Sweeney, Dan(iel)](illustration) / [King Steel, James].

SHOPPING AROUND the WORLD.

San Francisco, Independent Pressroom, 1928. <AB2020368>

Sold

First edition.

15.3 cm x 23.3 cm, 16 leaves (without pagination), Original pictorial paper wrappers.

Information

「世界中のお店につながる魔法の鍵」としての日本郵船による世界のお土産ガイドブック

 本書は、日本郵船による主に欧州航路の寄港地を対象とした各地でのショッピング(お土産)ガイドブックです。各地の美しい産品の前面に日本郵船会社のイニシャルであるNYKを象った魔法の鍵(The Magic Key)が配置され、世界への扉を日本郵船が開いてくれることを示唆するという、大変洒落たデザインの表紙で、冊子そのものが手に取るものを喜ばせるような一冊となっています。デザインを手掛けたのは、アメリカのイラストレーターであるスウィーニー(Daniel Sweeney, 1880 - 1958)で、スウィーニーは、アジア各地のリゾートホテルのポスターやパンフレットに旅情を誘う水彩画を数多く提供したことで知られており、本書もこうしたスウィーニーの得意分野を生かした作品の一つとして企画されたものと思われます。テキストは、東洋汽船(のちに日本郵船が継承)が発行していた、日本文化や旅行情報を発信する月刊英文雑誌であるJAPANの創刊から20年にわたって編集長を務めていたキング・スティール(James King Steele, 1875 - 1937)が担当しています。いずれも観光業界の印刷物作成に深く関わっていた人物で、両者によって作成されたこのパンフレットは、イラスト、テキストの双方において業界を代表する人物によるものであったことが分かります。

 見返し部分に掲載された日本郵船の欧州航路の航路を示した地球図に日本郵船の鍵が刺さったイラストと、旅の楽しみ、思い出には各地でのショッピングがとても大きな要素を占めていることの叙述から、本文ははじまっており、キング・スティールのテキストはショッピングガイドというよりも、世界各地のショッピングと旅のお土産に関するエッセイというもので、読み物として楽しめる内容となっています。それと同時に、イラストと合わせて、各地の具体的な記述が下段に掲載されていて、スウィーニーの魅力的なイラストとその解説文、キング・スティールのエッセイを同時に読み進められるようになっています。イラストは全てカラー刷の大変手の込んだもので、また用いられている用紙にもこだわりが感じられ、やや黄味がかった風合いのあるクラフト紙のような特殊紙に印刷されています。印刷は日本ではなく、サンフランシスコで行われており、キング・スティールは上述した月刊雑誌JAPANを自身の印刷所で発行していましたので、あるいは同じところで印刷された可能性があります。いずれにしても、書物そのものの出来栄え位に強いこだわりと優れたセンスを持って本書が作成されていることは間違い無く、現代の視点から見ても大変魅力的な書物となっています。また、テキスト後半では日本郵船による世界一周旅行や、日本郵船による各種サービスの案内も掲載されていて、本書を読んで関心を持った読者が具体的に旅に出るための営業情報がスマートな形で収録されています。

 なお、店主の知る限り本書には2種類の版があり、一つは本書であるサンフランシスコで刊行された旨の奥付がある、1928年サンフランシスコ版で、もう一つは後年の1938年に東京で大日本印刷株式会社によって印刷された、1938年東京版です。後者は前者とほぼ同じものですが、サイズがやや小さく、表紙イラストの端がわずかにトリミングされているように見受けられるほか、用いられている用紙や、イラストの色味が異なっている、日本郵船の世界一周案内等情報がアップデートされている等の違いが多々あります。また、1938年版では著者、イラストレーターのついての記述が削除されてしまっていて、イラストについてはサインからスウィーニーの作品であることが推定できるものの、テキストの著者が誰であるのかについては分からなくなってしまっています。1938年にはテキストの著者であるキング・スティールはすでにJAPANの編集長を離れており、サンフランシスコからも離れていましたので、こうした事情もあって、1938年版は国内で印刷されることになったのかもしれません。