書籍目録

『日本郵船で行く日出る地、ニッポン』

クーター / 日本郵船会社

『日本郵船で行く日出る地、ニッポン』

著者直筆献辞本 1899年 シドニー刊

Couteur, Wilson Le.

TO NIPPON, THE LAND OF THE RISING SUN BY THE N. Y. K. GUIDE BOOK TO JAPAN, FOR THE USE OF PASSENGERS BY THE NIPPON YUSEN KAISHA (Japanese Mail Steamship Company),…

Sydney, (Issued by the Nippon Yusen Kaisha) John Andrew & Co.(, Printers), 1899. <AB2020367>

Sold

Dedication copy by the author.

12.6 cm x 18.2 cm, pp.[1(Title.)-5], 6-,136, plates: [35], folded maps: [2], Original pictorial card boards.
表紙と本体が外れている状態。背表紙の製本が剥離。

Information

のちに「オーストラリア最初のスパイ」となったユニークな経歴の著者による日本郵船豪州航路旅客のための英文日本ガイドブック、著者直筆献辞

 本書は、1899年にオーストラリアのシドニーで刊行された英文の日本ガイドブックです。1896年に豪州航路を開設した日本郵船に乗船して日本を訪れるという設定で書かれたガイドブックで、著者はオーストラリア人のクーター(Wilson Le Couter)です。日本郵船が発行した比較的早い時期の英文ガイドブックで、しかもシドニーで印刷されていることからも非常に珍しい書物と言えます。しかも本書は、後述するようにのちにユニークな経歴を辿ることになる著者クーターによる直筆の献辞が記されている貴重な一冊です。

 本書については、上田卓爾「日豪航路の開設と『豪日旅行』ガイドブックについて」において詳しく紹介されていて、本書の内容を理解する上で非常に参考になります。

「(前略)1899年初版で、シドニーで発行されている。本文は136頁、本文中のイラストとして写真29葉、別頁の1枚ものの写真が35葉ある。著者、WILSON LECOUTEUR についてはオーストラリア国立図書館(NLA)には本書と、2The great outposts of the empire " (1907)だけが所蔵されている。これもオーストラリア、南アフリカ、グレートブリテンの旅行案内である。詳しい経歴は不明だが、フランス語・スペイン語をよくし、ニューへブルデスの共同統治法廷で通訳を務め、1853年生〜1925年没となっている。共同統治の開始は1906年となっているので、1899年当時は旅行作家であったかもしれない。
 著者、WILSON LE COUTEUR がどのような経緯で日本郵船の旅客向けのガイドブックを執筆するに至ったのかは本書では明らかにされていない。往復の乗船券も自分で手配しているほどであるので、旅行作家を丸抱えにしたきあくとは異なるように思われる。しかし、日本郵船が全面的にバックアップしていたことは随所に見られる。長崎では三菱造船所長の荘田が自ら日本郵船の新造船の建造現場を案内し、浦賀ドックの見学には郵船の神戸丸を手配し、旅行中は社員を1名案内役として付けていた。名古屋、四日市市、京都、では支店のマネージャーが終日同行、京都御所まで立ち入りが許されているし、帰国前日には社長・近藤主催のフェアウェル・パーティーまで開かれている。」
(前掲論文、5-6頁)

 同論文のまとめたところによりますと、クーターの往路の旅程は1899年5月8日にシドニーを発ってから、香港等を経由しながら6月2日に長崎着、神戸を経て6月6日に横浜に到着しています。日本で訪れた各地についてクーターは独自の視点から記述していて、約ひと月半の日本滞在期間に、長崎、横浜、東京、名古屋、四日市、津、伊勢、奈良、京都、大阪、広島、神戸、日光、箱根を訪れるという「かなりのハードスケジュール」(前掲論文11頁)をこなしており、何かに追われるかの如く各地を訪ねています。その訪問先の多くは当時の訪日外国人観光客に定番であった鎌倉や日光などの観光地ももちろん含まれていますが、京都や名古屋では七宝焼の工場を見学したりと、商業視察的な性質も感じさせるような独自の訪問先を頻繁に選択していることが目につきます。旅の中でクーターが見聞したことや感じたこと、旅行者のための注意点などが記事の中に盛り込まれていて、ガイドブックでありながらも、クーターの日本紀行文のようでもあり、結果的に非常にユニークな内容となっています。

 ところで、このユニークな英文ガイドブックを著したクーターですが、実は本書刊行の直後1901年から「オーストラリア最初のスパイ」として活躍していたという大変興味深い経歴を辿っていたことが、近年の研究によって明らかにされています。Fahey, Joh. Australia's First Spies. New South Waleth; Allen & Unwin, 2018. によりますと、クーターは1901年1月の独立間もないオーストラリア政府に対して自らをスパイとして雇うことを働きかけ、実際にスパイとして先の論文で言及されているニューへブリディーズ諸島で活躍したようです。この活動の背景には、独立直後のオーストラリア政府によるかつての宗主国イギリスに対する猜疑心と複雑な当時の国際情勢が関係していたとされています。オーストラリアに隣接するニューヘブリディーズ諸島は、当時フランスとイギリスが実質的に共同で統治している状態にありましたが、ボーア戦争の泥沼化を受けて、イギリスがフランスからの指示を引き出すために同島の統治権をフランスに引き渡してしまうのではないか、という懸念があったようです。オーストラリア本土に隣接するニューヘブリディーズ諸島はオーストラリアとの経済的な繋がりも深く、同島がフランス領となってしまうことに対して強い警戒心を持っていたオーストラリア政府は、フランス語にも堪能であったクーターをニューヘブリディーズ諸島に送り込み、主にイギリスの動向とフランスのそれに対する反応を探るために商人に扮してスパイとして活動させていたということが、前掲書によって明らかにされています。もっとも、それ以前からクーターはニューヘブリディーズ諸島の情勢に詳しく、同島における各国の複雑な政治的、経済的利権の実態にも通じていたようですので、それ以前から既に何らかの目論みを有していたのかもしれません。日本を訪れて本書を刊行した1899年のクーターの一見平和的に見える動きと、その直後の1901年以降の極めて野心的で政治的なスパイ活動との関係は明らかにされていませんが、訪日当時にすでに何からのエージェントして活動していた可能性も十分考えられるのではないでしょうか。いずれにしても、このユニークなガイドブックが、刊行直後に一層ユニークな経歴を辿る著者による書物であることは、非常に興味深い事実と言えるでしょう。