書籍目録

『羅和辞典:1595年に天草コレジヨにて刊行された『羅葡和辞典』からの編纂』

プティジャン

『羅和辞典:1595年に天草コレジヨにて刊行された『羅葡和辞典』からの編纂』

復刻版、天草版『羅葡和辞典』復刻版(全3冊)付属 (1870年)[1945年?]  (ローマ刊)[東京刊?] 

Petitjean, Bernard Thadée.

LEXICON LATINO-IAPONICUM DEPROMPTUM EX OPERE CUI TITULUS. Dictionarium Latino-Lusitanicum ac Iaponicum typis primum mandatum in Amacusa in Collegio Iaponico Societatis Iesu anno Domini M.D.XCV.

Roma [Tokyo], (Typis S. C. de Propaganda Fide.), MDCCLXX(1870)[1945?]. <AB2020344>

Donated

Facsimile edition with 3 books of the facsimile edition of Amakusa edition.

18.0 cm x 25.4 cm, Title., Half Title., 2 leaves, pp.[1], 2-749, Modern publisher cloth with a slip case.
製本とスリップケースに傷み

Information

天草版を基にプティジャン神父によって明治期に継承された記念碑的辞書の復刻版

 本書は、1595年に天草のコレジオで刊行されたいわゆる「天草本」「キリシタン版」と呼ばれる書物の一つである『ラテン語・ポルトガル語・日本語対訳辞典(羅葡和辞典)』を、パリ外国宣教会のベルナール・プティジャン神父(Bernard Thadée Petitjean, 1829 - 1884)が、ポルトガル語訳の部分を除去する等の編纂を加えて、1870年にパリで刊行した書物の復刻版、ならびに原著である「天草本」の復刻版のセットです。

 「天草本」として刊行された書物の中でも特に重要な文献として位置付けられている『羅葡和辞典』は、天草のコレジオでラテン語を学習する日本の生徒
と日本語を学ぶヨーロッパ人宣教師のために出版されたもので、現在は世界中で7点のみが現存(国内所蔵なし)していることが知られています。この辞典は、カレピーノ(Ambrosio Calepino, 1440 - 1510)が、1502年にヨーロッパで刊行したラテン語辞典をもとにして、日本での利用のために編纂と省略が施されて刊行されたもので、イエズス会士と日本の信者が協力して約2年の歳月を費やして執筆、出版がなされたと言われています。その優れた内容のみならず、当時の日本でヨーロッパの活版印刷技術を用いて出版された、書物としても極めて高い完成度を誇っていたことが大きな特徴とされていて、現在では当時の日本語を研究する上でも欠かせない貴重な文献として用いられています。

 パリ外国宣教会のプティジャン神父は、禁教政策が続いていた幕末の1862年に来日し、1865年のいわゆる長崎の大浦天主堂における「信徒発見」を報じた宣教師としても知られています。プティジャンは日本の信徒のために数多くの出版物を日本で刊行しており、それらは当時、非常に困難な状況に置かれていた信徒の教義理解の促進と布教活動の推進に大きく貢献しました。これらの出版物は、現在は「プティジャン版」と呼ばれていて、幕末から明治初期にかけての禁教下にあった日本における布教活動の実態を理解するための大変重要な書物として様々な研究がなされています。この『羅葡和辞典』は、日本国内ではなくローマで刊行されたものですが、いわゆる「プティジャン版」の一つとして扱われています。プティジャンは日本での布教状況を報告し、ヴァチカンでの公会議に出席するために一旦日本を離れて1869年にローマに戻る際、その帰路にあったマカオで天草版の原著を入手し、同書をもとにして本書を執筆、ローマで布教聖省の許認可を得た上で同地で1870年に出版しました。

 「天草版」原著は、刊行後の過酷な禁教政策のために、そのほとんどが失われてしまいましたが、1595年の刊行から約2世紀半以上の時を経て、プティジャンによって1870年に再び出版されたということは、「天草版」原著がいかに優れた書物であったのかを物語るものと言えるでしょう。

 ところで「天草版」原著は、プティジャンによる再版以前は忘却されていた書物かというとそうではなく、驚くべきことに禁教政策下の日本において貴重な書物として連綿と用い続けられていたことが伝えられています。スウェーデンの航海士で著述家として知られ、オランダ東インド会社員として1652年に江戸参府に随行したヴィルマン(Olof Eriksson Willman, 1620 -1673)は、同年2月11日に幕府におけるキリシタン弾圧の最高責任者であった井上筑後守の自宅に招かれた際のことを記録していますが、ヴィルマンは、井上が禁教政策を進めるために、「天草版」の『羅葡和辞典』を所持しており、ヴィルマンが彼の元を訪ねた際に実際に彼から所蔵本を見せられたことを記しています。これは、当初の刊行意図とは全く逆にキリシタンを助けるためではなく、弾圧するための重要なツールとして「天草版」原著が用いられていたという事実を伝える記録と言えるでしょう。
 また、それから100年以上経ってから同じく江戸参府に随行したスウェーデン人医師ツンベルク(Carl Peter Thunberg, 1743 - 1828)は、1775年に江戸を訪れた際に、なんとかして日本語学習のための書物を入手しようと試み、通詞に対して日蘭辞書のような書物はないかを尋ねたものの、そのような書物はないと断られていますが、その通詞がある「辞書」を所蔵していることを発見しています。この「辞書」こそが「天草版」の『羅葡和辞典』で、ツンベルクはその書物の特徴を詳細に観察した上でその重要性をすぐに理解して、通詞にいくら払ってもよいので譲ってほしいと懇願しますが、先祖伝来の貴重本ゆえに、絶対に譲渡することができないと断られたいうエピソードを、残念そうに自身の航海記に記しています。このツンベルクの記録は、本来は破却されるべき「邪宗」の書物が、他ならぬ幕府の役人である通詞の欧州言語理解のための貴重な文献として読み継がれていたという興味深い事実を伝えています。

 このように『羅葡和辞典』は、当初は日本の信徒とイエズス会宣教師のために刊行され、そのほとんどが破却されたにも拘らずに、禁教後は逆にキリシタン弾圧の道具として用いられ、さらに通詞の言語語学習のためにと、目的を様々に変えながらも連綿と読み継がれ、プティジャンによる「信徒発見」後の明治初期に、改めて日本の信徒と宣教師のために再編の上刊行されたという、非常に数奇な運命を辿った稀有な書物といえます。そして、現在では、16世紀末の日本語研究のための貴重な文献としてなお研究がなされていることに鑑みますと、その現存数が10部にも満たないにもかかわらず、400年以上にわたって常に用いられ続けてきたという、他に類を見ない書物であると言えるでしょう。

 本書は、原著「天草版」と「プティジャン版」の復刻版ですが、いずれも復刻時の書誌情報の記載が一切なく、詳細な刊行時期や刊行地を辿ることが難しくなっていますが、その出来栄えは非常によく、書物としての体裁をよく保っているものと言えます。いずれも現在では入手が非常に困難(ほぼ不可能)となっている書物ですので、復刻版とはいえ、実際に手に取ることができる書物の形で両書が揃っているこのセットは、研究や展示等、様々な活用が期待できるものでしょう。


「長崎の「信徒発見」の場に立ち会ったことで知られるパリ外国宣教会のベルナール・プティジャン神父(Bernard Thadée Petitjean, 1829-1884)は、長い鎖国の期間に外国人宣教師から信徒教育を受けることができなかったキリシタンのためにさまざまな書物を出版したことでも知られています。今日「プティジャン版」として知られるそれらの書物は、1873(明治6)年に禁教令の高札が撤去される以前より秘密裡に出版された19種23点、あるいはこれにプティジャン神父の認可のもと出版された書物全般を加えた69点が該当します。プティジャン版は、書物の様式の点から言っても、書かれている内容の点から言っても、その多くがキリシタン時代の出版物(キリシタン版)に依拠しており、キリシタン時代と明治時代のキリスト教を言語的・文化的に接続するという重要な意義を持っていました。
  今回紹介するLexicon Latino - Iaponicum (以下、『羅日辞書』)もまた、プティジャン版として知られる書物の一冊です。書名の通り、「羅」(ラテン語)と「日」(日本語)の対訳辞書である 『羅日辞書』は、1870(明治3)年にローマ布教聖省の認可を受けて刊行されました。その底本となったのは、禁教以前、天草の コレジオ(聖職者養成学校)にて1595(文禄4)年に出版され た『羅葡日辞書』であり、プティジャン神父はこの書物を1869 (明治2)年にマカオで入手していました『。羅葡日辞書』にはラテン語と日本語に加えて「葡(」ポルトガル語)の対訳も付されていましたが、プティジャン神父はポルトガル語の部分を省き、日本語にも若干の修正を加えて、現代の宣教師たちにとって使いやすい『羅日辞書』として出版したのです。なお、キリシタン版の 『羅葡日辞書』は、わが国では現存が確認されていませんが、七冊の版本が海外の図書館に保存されており、そのうちの三冊 (旧北堂図書館所蔵本、オクスフォード大学ボドリアン図書館所蔵本、フランス学士院所蔵本)は影印本が刊行されているため、比較的容易に手に取ることができます。それに対してプティジャン版の『羅日辞書』は、明治初期の原本以外で読むことができるのは現在入手不可能な複製版(宮越太陽堂書房、1945 年)か島正三氏の編集による『羅葡日対訳辞書検案』(文化書 房博文社、1971年)に付せられた縮小図だけです。その意味では、『羅日辞書』は本家『羅葡日辞書』よりもアクセスしづら い貴重書と言えるかもしれません。『羅日辞書』を読むと、今日のラテン語辞書とは異なるさまざまな訳語が明らかとなり、キリシタンの言語世界を体感することができます。たとえば、『羅日辞書』でdominusという単語を引いてみましょう。この単語は一般的に「主人」と訳されるラテン語ですが、『羅日辞書』ではまずGitô(地頭)、続いてxujin(主人)、最後にaruj(i 主)という訳語が掲載されています。最初に「地頭」 が出てくるあたり、時代が感じられます。また、「信仰」と今日では訳されているfidesという単語を引いてみると、fitono taxicani mattai coto(人の確かに全い事)、chuxin(忠信)、xinjit(真実)という訳語が掲載されています。この検索結果からは、キリシタンの時代にはまだ「信仰」という言葉がキリスト教の用語・ 訳語として定着していなかったという事実がうかがえます。(後略)」
(下園知弥「プティジャン版『羅日辞書』Lexicon Latino-Iaponicum」(蔵書ギャラリーno.29)西南学院大学図書館方編集委員会編『西南学院大学図書館報 No.189』2020年所収より)