書籍目録

「日本皇帝謁見記」ほか『アスムス全集』

アスムス(=クラウディウス)

「日本皇帝謁見記」ほか『アスムス全集』

第1巻〜第3巻所収(合冊) 1774年〜1777年 ヴァンズベク刊

ASMUS (Claudius, Matthias).

ASMUS omnia sua SECUM portans, oder Sämtliche Werke des Wandsbecker Bothen.

Wandsbek, self published(Beym Verfasser), 1774-1777. <AB202087>

¥88,000

Erster und zweiter Theil & Dritte Theil bound in 1 vol.

8vo (10.5 cm x 18.7 cm), Vol.1 & 2: pp.[I(blank), II(Front.), III(Title.), IV(blank)], V-XII, [1], 2-140. / Vol.3: pp.[I(Title.), II(blank)], III-VIII, 1-122, Plates: [5], Contemporary card boards.
全体的にスポット状の染みが散見されるが、判読には問題なし。小口は三方とも赤く染められている。 装丁の角に痛みあり。

Information

理想的な啓蒙君主として描かれた日本の将軍

 本書は、アスムス(ASMUS)のペンネームで活躍していた著述家、ジャーナリストであったクラウディウス(Matthias Claudius, 1740 - 1815)の全集(実質的には個人発刊の雑誌と考えられる)第1巻から第3巻までが1冊に合冊されたものです。本書にはクラウディウスの様々な小作品が収録されていますが、興味深いことに「日本皇帝謁見記」と題された作品をはじめとして、日本を題材とした作品が複数(①「アスムスによって描かれたヴァンズベク、あるいはある種のロマンス:日本皇帝からの書簡付属」(第1・2巻43頁〜)②「日本皇帝謁見記」(第2巻49頁〜)③「山伏の(Jammabo’s)、あるいは日本における山岳司祭」(第2巻95頁〜))収録されています。18世紀ヨーロッパにおける日本研究の金字塔となったケンペルの『日本誌』は、18世紀知識人の最大の日本情報源として大きな影響を与えましたが、本書のように文学作品の題材として日本を用いる作品の誕生を促したことでも知られています。こうした文学作品の多くは、日本を舞台として当時のヨーロッパを風刺するものが多く、自身の政治や文化を相対化するための仕掛けとして日本が用いられています。英語、フランス語、ドイツ語と多くの言語でこうした作品が生み出されたことが分かっていますが、本書はドイツ語作品を代表する作品の一つとして知られるもので、当時のヨーロッパにおける日本観と、それをヒントにして自国の政治や社会を批判的に捉えようとする意図を持った作品と思われます。

 「日本皇帝謁見記」は、オランダ商館長による江戸参府における将軍謁見の場面を舞台とした作品で、作中では、日本の将軍が理想的な啓蒙君主として描かれていて、そこから自国の状況が批評されているだけでなく、日本の言葉を表していると思われる台詞が登場していて、批評的意図の基となった著者の日本情報の一端も示されています。このように、本書において描かれている日本は、フィクションでありながらも当時影響力を有していた日本情報を基に描かれていることから、当時のヨーロッパにおける「日本像」の多彩な様相を示してくれる非常に興味深い文献と言えます。


「ドイツの啓蒙主義に多大な影響を与えた詩人、マティアス・クラウディウスはケンペルの『日本誌』から刺激を受け、彼が編集・発行していた雑誌『ワンデスベッカー・ボーテ』(本書のこと:引用者注)の中で、しばしば日本の事情に触れている。特に、1778年に発行された第3巻に、『日本皇帝謁見記』というフィクションを描き、将軍を啓蒙された支配者のモデルとして描いた。クラウディウスを江戸に連れて行き、その共をしている「いとこ」はケンペルを指している。」
(ドイツ・日本研究所ほか編『ドイツ人の見た元禄時代:ケンペル展』1990年、152頁(展示作品64番解説)より)

「ここで18世紀後半のドイツにおける「啓蒙」の位置づけを示す例を挙げよう。それはマティアス・クラウディウス(Matthias Claudius, 1740-1815)の一連の作品である。非常に興味深いことに、クラウディウスはケンペルの『日本誌』を利用しつつ、その中で啓蒙について(皮肉っぽくではあるが)触れている。クラウディウスは1778年に『日本皇帝謁見記』(Nachricht von meiner Audienz bey’m Kayser von Japan)という、一つのフィクションを発表した。このフィクションの中で「私」なる人物が「甥」とともに日本を訪問する。(「甥」のほうはケンペルをモデルにしていると言われる。)そして「私」と「甥」は江戸で皇帝(将軍)に謁見する。「私」がドイツの知識人について皇帝に説明すると、皇帝はとりわけレッシングに興味を示し、次のようにいう。「私はレッシング氏のことが気に入った。ひょっとして氏は日本に来る気はないだろうか。」このフィクションが発表された1778年にはレッシング(Gotthold Ephraim Lessing, 1729-81)は存命中で、その代表作『賢者ナータン』が発表されたのは翌79年のことである。クラウディウスの作品は、フィクションとは言え、もしも実際に江戸時代の日本にドイツ啓蒙主義の中心人物レッシングが来たならば、と想像するだけで微苦笑を誘われる状況設定だが、ここでわれわれにとって重要なのは、日本についてのクラウディウスの叙述の中に、啓蒙主義をめぐる議論が入ってきている、という事態である。(中略)クラウディウスの作品は日本を戯画化している面があり、ドームやケンペルのように「啓蒙」の問題を、正面から議論の対象として扱っているわけではない。しかしながらわれわれとしては、クラウディウスが18世紀後半のドイツにおける流行の概念「啓蒙」を、日本に関連させつつ自作の中に取り込んだという点に、18世紀北ドイツの知的雰囲気の一端をかいま見る思いがするのである。」
(中直一「ケンペル『日本誌』と編者ドーム:「啓蒙」をめぐる議論を手がかりに」『大阪大学言語文化共同研究プロジェクト 2000』2001年所収論文、37頁より)

刊行当時のもの思われる厚紙装丁。
第1巻と第2巻のタイトルページと口絵。第1巻と第2巻は当初から合巻だったようである。
①「アスムスによって描かれたヴァンズベク、あるいはある種のロマンス:日本皇帝からの書簡付属」(第1・2巻43頁〜)
第2巻タイトルページ。
②「日本皇帝謁見記」(第2巻49頁〜)
日本の皇帝との対話を中心とした物語となっている。
③「山伏の(Jammabo’s)、あるいは日本における山岳司祭」(第2巻95頁〜)
本書には作品と関連する多くの図版が収録されているが日本と関係する図版は見当たらない。