書籍目録

『日本大王国志』

カロン

『日本大王国志』

カロン校閲改訂版(カロン公認版) 1662年 ハーグ刊

Caron, Francoys (François).

Rechte Beschryvinge Van het Machtigh Koninghrijck van IAPPAN, Bestaande in verscheidde Vragen, betreffende des selfs Regiering, Coophandel, manier van Leven , strenge Justitie &c. Voorgesteld door den Heer Philips Lucas, ...

Haag (’s Gravenhage), Johannes Tongerloo, 1662. <AB202020>

Sold

Author's revised & authorized edition.

4to (13.5 cm x 20.0 cm), Title., 1 leaf(Facsimile), 2 leaves, Folded map, pp.[1], 2-96, Plates: [1+1(Facsimile)], Contemporary full leather, rebound.

Information

17世紀日本研究欧文史料の金字塔、極めて珍しい著者自身の校閲と許可を得た決定版

 本書は、1619年から1641年までの長きに渡って日本に滞在し、オランダによる初期の対日貿易の基礎を築いたカロン(François Caron, 1600 - 1673)が、日本の政治・経済・社会について、オランダ東インド会社のバタヴィア総督の諮問に答える形で報告したものです。17世紀中を通じて、ヨーロッパにおける日本情報として最も信頼に足る情報となり絶大な影響力を有したことで知られる名著として高く評価されています。しかも、本書は幾度も出版された『日本大王国志』の中でも、カロン自身の校閲と改訂がほどこされた決定版と言われるもので、諸本中、最も重要な版として高く評価されているものです。

 日本大王国志』は、著者カロンや書誌情報についての詳細な解説を付した邦訳(幸田成友訳『日本大王国志』現在は平凡社、1967年)が刊行されているほか、フレデリック・クレインス氏による詳細な紹介(『17世紀のオランダ人が見た日本』臨川書店、2010年、第4章参照)など、日本研究において広く知られている文献です。

 「カロンの報告は地理・文化・社会など多様な分野を網羅し、同時代の人々に大きな影響を与えたという意味において最も重要である。カロンは東インド会社の船の調理助手としてアジアに赴き、1619年に平戸に渡航した。平戸ではオランダ商館に配属され、そこに長く留まった。滞在中、日本人女性と結婚し、日本語も堪能になった。そのため、次第に通訳を担当するようになり、ついに商務員へと昇進した。カロンは1627年にヌイツの江戸参府に同行した後に、ヌイツと共に長年滞在した日本を出国し、台湾に渡ったが、そこでタイオワン事件に巻き込まれて、人質として再び日本に送還された。しかし、日本では自由の身にされて、事件解決までのすべての交渉に参加している。その際、カロンは日本側の理解者として幕府から厚い信頼を受けていた。その後も、カロンは毎年のように商館長やその代理の江戸参府に同行し、日本各地を観察する機会を数多く得た。また、ヌイツの釈放の交渉のために1633年および1636年に数ヶ月もの間江戸に滞在している。このように日本事情に精通したカロンは、1638年に平戸商館長に昇進し、出島移転までの難しい時期に日本における東インド会社の指揮を取っていた。商館長が1年以上日本に滞在してはならないという幕府の命令が下されたことを受けて、カロンは仕方なく日本を去ることになった。
 商館長に就任する前の1636年にカロンは、バタフィアに着任したばかりのフィリップ・ルーカースゾーン副総督からの一通の書簡を受け取った。ルカースゾーンはアジア貿易の全体像を把握するために各商館にその地域についての地理・統治・軍事・法律・宗教・儀礼・生活・貿易・産業についての質問票を送った。各商館はこれらの質問に対する報告書を提出した。これらの報告書のうち、カロンの日本報告及びヨースト・スハウテンのシャム報告が『東インド会社の起源と発展』に掲載されている。(中略)
 カロンの報告は、ヨーロッパで出版された日本関係図書の中でしばしば引用されていることから推察すると、ケンペルの『日本誌』が出るまで、70年もの間プロテスタント世界で日本についての基本書となっていたことがわかる。」

「カロンの報告は日本を内側から観察して記述していると言える。長期間にわたる平戸での滞在、幕府との交渉、数多くの江戸参府、そして何よりも日本人の妻やその親戚との親交を通じて、カロンは日本の社会や文化に精通しており、ルーカスゾーンの質問に回答するのに最も相応しい人物であった。勿論、報告書は、その性質上、政治・経済的視野の上に立って作成されているが、それでも当時の日本人の生活や文化について驚くほど詳細な記述を数多く含んでいる。」

「結果的に、カロンの報告書は、貿易政策に役立てるためのデータ集というよりも、内から見た日本文化の本格的な分析を提供するものになって、その文化的要素は長い間ヨーロッパの知識人を魅了した。」

(クレインス前掲書、107~110、147頁より)

「同書は、館長代理時代、バタヴィア商務総監のフィリップ・ルカースゾーンによる、以下の31の質問に回答する形で執筆されています。1.日本国の大きさ、日本は島国か、2.如何に多くの州を含むか、3.日本における最上支配者の特質と権力、4.将軍の住居・地位・行列、5.兵士の数と武器、6.幕閣およびその権力、7. 大名とその勢力、8.大名の収入とその源泉、9.処刑の方法、10.何が重罪に相当するか、11.住民の信じる宗教、12.寺院、13.僧侶、14.宗派、15.キリシタンの迫害、16. 家屋・建具、17.来客の接待、18.結婚生活、19.子供の教育、20.遺言が無い場合の相続、21.日本人は信用できるか、22.貿易および貿易従事者、23.内地商業および外国航海、24.商業の利益、25.外国との交際、26.日本の物産、27.貨幣および度量衡、28.鳥獣類、29.鉱泉、30.将軍への謁見、31.言語・写字・計算方法・子孫に歴史を公開するか。」
(国際日本文化研究センターHPデータベース『日本関係欧文史料の世界』図書『日本大王国志』英訳版解説(フレデリック・クレインス執筆)より)

 本書は、このように17世紀を代表する日本関係欧文図書として極めて重要な地位を占める文献ですが、その書誌情報の複雑さでも知られる書物です。原著であるオランダ語だけでも数多くの版が存在するだけでなく、ヨーロッパ各国語に翻訳されており、しかもそれぞれの内容に相違があることから、いずれの版を用いるかが極めて重要な書物であると言えます。これらの書誌情報については、前掲書のいずれにおいても紹介されていて、それらの記述と、両書で参照されているティーレ(Pieter Anton Tiele, 1834 - 1889)による『オランダによる航海記に関する書誌的覚書(Mémoire bibliographique sur les journaux des navigateurs nérlandais. 1867)』(257-262頁)、またティーレに依りつつより詳細に書誌情報を整理したボクサー(Boxer, Charles Ralp, 1904 - 2000)による『日本大王国志』の注釈つき英訳版((A true description of the mighty kingdoms of Japan & Siam. 1935)の補遺(169-180頁)を頼りに書誌情報を整理すると下記のようになります。

1645 / 1646年
A)『強大な日本王国の記録(Beschrijvingen van het machtig Coninckrijck Iapan,…)』
→コメリン(Isaac Commelin, 1598 - 1676)による『東インド会社の起源と発展(Begin ende Voortgangh van de Verenigde Nederlantsche Geoctroyeerde Oost-Indische Compagnie. 1645 / 1646』に収録されたもの。カロン自身は出版に関与せず、校閲も許可もしていないが、広く読まれた。

1648年
B) 『強大な日本王国の記録』
→A)を独立させて単著として出版したもので、内容は概ね同一だが、一部(大名の氏名と石高を記した目録の大部分)省略された箇所があり「極めて不完全」(前掲幸田訳書、76頁)とされる。カロン自身の校閲、許可も得ていないが、A) と同じく広く読まれ、すぐに再版された。タイトルページは亀の背に両翼を携えた砂時計と骸骨が載せられた図。

1649年
B`)
→B)の再版

1652年
B’’)
→B)とほぼ同一の内容だが、新たに版を組み直したもので、タイトルページも変更(帆船二隻の図)されている

1661年
C) 『強大な日本王国についての「正しい」記録(Rechte Beschryvinge Van het Machitigh Koninghrijck van Iappan,…)』
→A)B)諸本がカロンの許可なしに出版されたものであるのに対して、カロン自身による増補訂正と許可を経たもの。図版3枚と日本地図を新たに加えた(ただし日本地図についてはカロン自身は掲載の意図がなかったされる)ほか、新たに「第30問」を追記。A)B)に付されていたハーゲナールによる注釈をすべて削除したほか、一部記事をカロンの判断で削除。タイトルページは文中に関連する「切腹の図」。前掲幸田訳書が底本とした版。

1662年(本書)
C`)
→C)の再版。「切腹の図」に一部変更あるが、基本的には1661年版と同じ。

1662年?
C'')
→C')の再版だが、タイトルページに出版年の記載なし。前掲幸田訳書によると「図版本文とも印刷力弱き感がある」(78頁)とのこと。

1673年
D) 『日本帝国についての記録(Relation de l’Empire du Iapon.)』
→テヴェノー(Melchisédech Thévenot, 1620? - 1692)による『旅行記集成(Relation de divers Voyages curieux…1673)に収録されたフランス語版。単なる仏訳ではなく、カロン自身が許可した C)にさらにカロン自らが訂正を加え、テーヴェーノーの質問に答える形で、日本の医学書についての記事を冒頭に新たに追加。C)においてカロン自身は掲載の意図がなかった日本地図を削除する一方、テヴェノーの判断で、C)では削除されたハーゲナールによる注釈を追加して仏訳(ただし、タイトルでは削除したと明記している)。
 
 
 これまでの研究においては、カロン自身の校閲を経ていない、A), B)と、カロン自身が校閲したC)とに分けて、両者を併せ読むことが基本とされているようです。しかしながら、カロン『日本大王国志』は、17世期のヨーロッパ知識人の間における日本観の形成に絶大な影響を及ぼしました一方で、原著そのものは比較的小さな読み捨てられやすい書物だったこともあって現存するものが非常に少なく、日本関係欧文資料の中でも屈指の稀覯書としても知られています。このことを反映して、『日本大王国志』の国内研究機関における所蔵状況は極めて限られており、カロン未公認の1649年までの版(A,B)でもわずか数点、本書であるカロン校閲改訂版(C)となると、CiNii上での登録件数は0件で、店主の知りうる限り、天理図書館と東洋文庫に所蔵されている2点のみしか存在しないものと思われます。その意味では、本書はその内容の際立った重要性に加えて、その希少性という点においても非常に貴重な書物ということができます。

 このカロン校閲改訂版は、それまでカロンの許可、確認を経ずに出版されていたものをカロン自身が改めて校閲を施して出版したもので、その意味でカロン公認版と呼ぶことができるものです。この版ではタイトルも下記のように改められました(訳文はクレインス前掲書におけるもの)。

A)(1645/1656年)のタイトル
『商館長フランソワ・カロン著 ヘンドリック・ハーゲナル補記 日本大王国志』

B)(1661年版以降)のタイトル
『インドにおけるオランダ国を代表する副総督フィリップ・ルカースゾーンによって出され、日本における商館長フランソワ・カロンによって1636年に回答された統治・商業・生活・厳しい法律などに関する様々な質問からなる日本大王国についての正確な記述』

 このカロン校閲改訂版では、タイトル副題に記されているように、ヘンドリック・ハーゲナルによる注釈が「とんでもない補記」であるとして削除されています。これは、カロンとハーゲナルとの関係が険悪なものであったことによる措置であると考えられています(クレインス前掲書110頁参照)。テキストの大きな変更点としては、設問第三十『国王、諸侯、領主および貴族は、どのように皇帝と謁見するのか、また彼らはどのような行列をなすのか』が、この版で初めて加えられ、Bにおいてほとんど省略されていた設問第二『日本にはどれほどの国があるのか』における領主の石高表が、省略されず全て掲載されるようになった点が挙げられます。逆に削除された内容としては、先に触れたハーゲナールの注釈に加え、Bまで付録として収録されていた「長崎町長であり四郎右衛門殿から総督その他に宛ての日本語で記された手紙の翻訳」があります。これは、日本におけるキリスト教信仰とオランダのあり方に言及した極めて政治的にデリケートな内容を含むものだったため、カロンによって削除されたのではないかと言われています。これ以外の下記の付録については従来通り収録されています。

ハイスベルツ(Reyer Gysbertsz)
「日本においてローマ・カソリック京都であるがゆえに恐るべき耐えがたい苦難を加えられ、殺された殉教者たちの歴史」

クラメール(Koenraet Krammer)
「1626年10月20日、内裏が日本皇帝陛下を訪れた際に京の町で挙行された極めて豪華の祝典についての記述」

「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」

カンプス(Leonart Camps)
「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」

スハウテン(Joost Schouten)
「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」


 また、このカロン校閲改訂版には、冒頭に非常にユニークな形状で知られる折込の日本図が収録されています。この日本図は、同時代の西洋における日本図に類例を持たない独特のもので、前述のボクサーなどからはその不正確さを批判されてもいますが、そもそもこの地図は正確に日本の輪郭を表現するためのものではなく、当時から問題となっていた蝦夷が本州や大陸と切り離された島であるか否かを簡略的に示すためのものだったと言われています(この点については、ルッツ・ワルター編『西洋人の描いた日本地図』社団法人O・A・G・ドイツ東洋文化研究会、1993年、92頁参照)。

「カロンが知り得た報告によると”津軽(Sungaer)とエゾのあいだの水域は、通り抜けできるような海峡でなく、西側が閉じている湾と考えられていた。しかし、本州とエゾのあいだには山岳と荒地が広がり、陸路での通行は不可能と思われた。したがって、交通手段は船で津軽湾を越えるほかない。その距離は英国マイルで120マイルと言われていた。日本人もまた、エゾ地の探検を何度も試みたがうまくゆかず、最果てまで行き着いていなかったと言われていた。同様の問題は『日本誌(The History of Japan…)』の中でケンペルとショイヒツァーも議論している。」
(ジェイソン ・C・ハバード / 日暮雅通訳『世界の中の日本地図』柏書房、2018年、238, 239頁(地図番号033番)より)

 本書にはこのユニークな地図の一部が残されており、それを元に残りの箇所も精巧に復元されていて、この地図の全体を見ることができます。この地図は、後年の英語訳版やドイツ語訳版にも翻刻されており、他の後年の書物にもこの地図に影響を受けたと思しき地図も数点存在しています。ただし、カロン自身はこの地図の出来栄えに大変不満を持っていたようで、後年自身が関与したフランス語訳版(上掲D)では、この地図が再録されることを認めませんでした。

 さらに、カロン校閲改訂版には、カロン未公認版にはなかった特徴的な図版を3枚収録しています。一つはタイトルページ、並びにテキスト32頁中に掲載されている「切腹の方法」で、もう一つは日本におけるキリシタンに対する残忍な処刑の方法(火刑、逆さ吊り、磔刑)を描いた「日本における処刑の方法」、そして、江戸城内の将軍に謁見する場面を描いた「皇帝宮殿の図、ならびに謁見を賜る方法」です。この図版は、図中にアルファベットが振られており、その解説が図版裏面に記されていて、図の内容を読み取ることができるようになっています。この図版も、後年の英語版やフランス語版に転載されていて、日本を描いた視覚情報として影響力を持つことになりました。本書では、この3つの図版のうち、残念ながら「日本における処刑の方法」を欠いていますが、それを補填するためのファクシミリが挿入されています。

 カロンの『日本大王国志』校閲改訂版は、ヨーロッパにおける日本情報として絶大な影響力をもたらした極めて重要な日本関係欧文史料でありながら、その希少性のゆえに国内での所蔵機関はごく限られたものとなってしまっています。先に挙げたボクサーでさえ、執筆当時の1930年代において既に同書が、その状態を問わず非常に入手が難しい(そして高価な)稀覯書であることを紹介しており、それを裏付けるように、店主の知る限りでも近年の古書市場に出現したものは皆無に近いのではないかと思われます。本書は、序文一葉や図版に欠落があるものの、全てファクシミリで復元されており、また刊行当時のものと思われる装丁が残されていることからも、非常に貴重な価値ある書物ということができるでしょう。

刊行当時のものと思われる装丁を原装丁を残す形で修復が施されており、状態は良い。
見返しには、比較的新しい旧蔵者の蔵書票が貼られている。
カロン校閲改訂版において初めて登場した非常に印象なタイトルページ。切腹の場面を描いたもの。
裏面には図注のアルファベットに対応する解説文が掲載されている。
序文第一葉は欠損しているが、上掲のように精巧なファクシミリで補填されている。
本文目次。よく知られているように全31項目の設問にカロンが答える形式となっている。
上掲続き。
冒頭に収録されている折込日本図。本書では部分的に残されていた箇所を元に復元が施されている。
非常に雑に描かれているように見受けられるが、正確に日本の輪郭を表現するためのものではなく、当時から問題となっていた蝦夷が本州や大陸と切り離された島であるか否かを簡略的に示すためのものだったと言われている。
本文冒頭箇所。最初に設題が示され、それに対する回答が記されている。
寛永年間に刊行されたと思われる武鑑を元に記したと考えられている各藩主の名前と石高、幕閣の名簿となっている記事の冒頭箇所。同年代の武鑑が現存していないことから大変貴重な資料とされているもの。以前の版では大部分が省略されていたが、この版では全文が掲載されている。
タイトルページに用いられているものと同じ図が、関係するテキスト中にもう一度収録されている。
日本におけるキリシタンの処刑の方法を描いた図は残念ながら欠落しており、ファクシミリで補われている。
上掲裏面の解説文。
「皇帝宮殿の図、ならびに謁見を賜る方法」。この版で初めて掲載された設問第三十『国王、諸侯、領主および貴族は、どのように皇帝と謁見するのか、また彼らはどのような行列をなすのか』に関連する図版として収録されている。
上掲裏面の解説文。
ハイスベルツ(Reyer Gysbertsz) 「日本においてローマ・カソリック京都であるがゆえに恐るべき耐えがたい苦難を加えられ、殺された殉教者たちの歴史」
クラメール(Koenraet Krammer) 「1626年10月20日、内裏が日本皇帝陛下を訪れた際に京の町で挙行された極めて豪華の祝典についての記述」
「日本貿易に関してインド総督から東インド会社本社理事会に送付した報告書抄録」
カンプス(Leonart Camps) 「日本におけるオランダ東インド会社が中国貿易を獲得した際に受けるであろう利益と有用性、その効果についての概説」
スハウテン(Joost Schouten) 「シャム王国における政治、権勢、宗教、風俗、商業その他の特記すべき事項に関する記事」
テキスト末尾。
テキストブロックの小口にトリミングが施されているせいか、テキストブロックに対して装丁が、かなり大きいように見受けられる。