書籍目録

『スタヴォリナスによるベンガル航海記:日本についての覚書ほか付属』

スタヴォリナス / コシニー(ティツィング)

『スタヴォリナスによるベンガル航海記:日本についての覚書ほか付属』

全2巻 フランス革命暦7(西暦1799)年 パリ刊

Charpentier de Cossigny, Joseph François / Stavorinus, Johan Splinter / (Titsingh, Isaac)

VOYAGE AU BENGALE. SUIVI DE NOTES critiques et politiques ; D'OBSERVATIONS, sur celui de STAVORINUS...dans la même contrée; D'une Notice sur le JAPON; Et de la DESCRIPTION de la CULTURE DU RIZ, dans l'Asie, etc., etc.

Paris, Émery, 7 DE LA RÉPUBLIQUE FRANÇOISE (1799). <AB201757>

Sold

2 vols. (complete)

8vo, Vol. 1; Fly title, TItle, pp. [i], ii-viii, [1], 2-142-196[i.e.186], [187], 188-286[i.e.282], [283], 284-311,folding map [1], Vol.2; Fly title, Title, pp. [i], ii-viii, [1], 2-32, 97-112 (binding error=lacking pp. 33-48), 49-148[i.e.248], 249-311, Original paper binding, uncut.
出版当時の仮綴状態(紙片の裁ち切りもされていない)。第1巻K(145, 146ページ)上面に破れ(欠落なし)、第2巻落丁と製本間違いにより33-48ページが欠落(当時の製本者が折丁記号CとGとを間違えたものと思われる。)

Information

ティツィングが生前直接もたらした貴重な日本情報を収録

「ケンペルを除けば、ティチング氏以前の旅行者で、誰一人として日本帝国についての正確な知識を入手するための、このような方法を持っていた者はいない。ケンペルの知識の正確さについては、ティチング氏がすでに証明済みである。かつてティチング氏がチンスラ Chinsurah の総督であったとき、チンスラにいたことのある故シャパンティエ・コシーニュ氏 Charpentier Cossigny は、1799年に、パリで出版されたその著書「ベンガル航海記」Voyage au Bengale の中で、ティチング氏についてつぎのようにいっている。

 ティチング氏は、ある日本の大名、すなわち現在の将軍の義父であり、あらゆる知識を熱心に追求している人で、ティチング氏と終始文通を続けており、ティチング氏の目的に必要なあらゆる知識と情報とをティチング氏に与えてくれるさる大名の行為によって、日本に関するそのコレクションを、今もなお増加させている。カルカッタのさるイギリス人は、ティチング氏の原稿に対して、英貨2万ポンドに相当する20万ルピーで買い取りたいと申し込んだが、ティチング氏はそれを拒絶した。ティチング氏はこれらの品を、オランダにいるその弟に与えることにしている、と私にいった。

(「ティチング氏の遺稿についてのフランス出版業者ヌヴー氏のことば」ティチング(沼田二郎訳)『日本風俗図誌』より)

 本書の著者であるスタヴォリナス(Johan Splinner Stavorinus, 1739 - 1788)は、オランダ東インド会社の要職にあった人物で、1768年から2年余りをかけて南アフリカやベンガルを中心とする南アジアと北東アジア周辺を訪れました。本書は、スタヴォリナスの航海記と関連する各地の情報を整理したもので、スタヴォリナスの死後にコシニー(Joseph François Charpentier de Cossigny, 1736 - 1809)によって編纂されています。

 本書が大変興味深いのは、第1巻の付録として、「日本についての覚書」と題された日本についての記事が50頁近くにわたって掲載されていることです。しかもこの記事は、上掲の引用文にあるように、1779年8月から1784年11月までの間、三度、述べ三年半を日本で過ごし、日本商館長を務めたティツィング(Isaac Titsingh, 1745 – 1812)によってもたらされているということは、特筆すべきことです。

 ティツィングは、最終的な離日後の1785年から1792年の間は、オランダ東インド会社のベンガル貿易総監をチンスラで務めており、その際に日本について情報を整理する傍ら、「日本についての覚書」となる貴重な情報を提供していた(その直接の提供先は、上掲引用文にある編者コシニーではなく、スタヴォリナスではないかと思われます)ことは、これまであまり知られてこなかったと言えます。ここに掲載されている情報は、日本についての基本情報のみならず、長崎の様子やオランダの貿易の内情など、当時最新の実見に基づく豊富な知識を有するティツィングが直接もたらしたものであるだけに、何らかの著作を頼りとした類書に見られないような価値があると思われます。また、この覚書には、編者による注釈が付されており、ティツィングがもたらした情報をさらに補強しています。

 「日本についての覚書」は、ティツィング自身の著作として刊行されたわけではなく、また直接日本と関係のない地域を扱った著作の付録として収録されていたために、これまでの日本研究であまり注目されて来なかったものと思われます。