書籍目録

『98枚の図版で描かれたアジア』

シュトラールハイム(筆名)[コンラッド(本名)]

『98枚の図版で描かれたアジア』

全2巻(世界のあらゆる驚異叢書第2部) 1837, 1839年 フランクフルト刊

Strahlheim, C(arl). / [Konrad, Friedrich Johann].

Asien oder alle Merkwürdigkeiten dieses Welttheils, von den ältesten bis auf unsere Zeiten, …(Die Wundermappe oder sämmtliche kunst= und Natur=Wnder des ganzen Erdballs. Zweite Haupt=Abtheilung)

Frankfurt am Main, Comptoir für Literatur und Kunst, 1837, 1839. <AB2019159>

Reserved

2 vols. 8vo(14.7 cm x 23.0 cm), Vol.1: pp.[1, 2(Series Title.)], Front., pp.[3(Title.)-5], 6-375, Plates: [44] / Vol.2: pp.[1, 2(Series Title.)], Front., pp.[3(Title.)-4], 5-400, Plates: [52], Later three-quarter cloth.
(NCID: BA42559935) / 全体に用紙と印刷インクによるものと思われるスポット状の染みが散見される。

Information

古今の日本関係欧文史料を駆使して記された日本関係記事と4枚の図版を収録

 本書は、ドイツの作家、出版人であったコンラッド(Johan Konrad Friedrich, 1789 - 1858)が筆名シュトラールハイム(Carl Stahlhelm)を用いて著した作品で、日本を含むアジア各国の歴史、文化、風習を全98枚の図版を付して記した書物です。全世界を対象とする13巻からなる「全世界の驚異叢書」の第2部として、全2巻本で刊行されたもので、日本に関する記述も約30ページにわたって、非常に興味深い図版4枚と共に掲載されています。

 コンラッドは、演劇活動に熱中した青年期を過ごし、両親の意に反してナポレオンの軍隊に入ってヨーロッパを転々としながら、各地で演劇の上演を行ったりしていましたが、1818年以降はドイツに戻りジャーナリスト、作家として文筆活動と出版活動に打ち込みました。政治風刺文などの執筆の傍ら、教育目的の大部の歴史叢書の執筆にも取り組んでおり、本書もその一つに数えられるものです。彼は作品のいくつかを筆名「シュトラールハイム」を用いて執筆しており、本書もシュトラールハイム名義で刊行されています。コンラッドは大学に所属していたわけではありませんが、非常に知識欲が旺盛だったようで、独学で世界の歴史や地理学書を数多く読破して、こうした書物を執筆しており、本書の日本関係記事からも、彼の日本に関する知識が実に多彩であったことが窺えます。
 
 本書は、「全世界の驚異叢書」のうち、アジアを対象とするもので全2巻構成となっていて、第1巻が1837年に、第2巻が1839年に刊行されています。その内容は下記の通りです。

第1巻(1837年刊行)
 第1章:バビロニアとアッシリア(5-64頁)
 第2章:シリア(65-104頁)
 第3章:フェニキア(105-142頁)
 第4章:パレスチナ(143-256頁)
 第5章:アラビア(257-331頁)
 第6章:小アジア(332-372頁)

第2巻(1839年刊行)
 第7章:ペルシャ(5-104頁)
 第8章:東インド(105-288頁)
 第9章:ビルマ、シャム、チベット(289-292頁)
 第10章:中国(293-368頁)
 第11章:日本(369-397頁)

 本書の大きな特徴として、タイトルにもあるように98枚もの図版を収録していることが挙げられ、テキストだけでなく視覚情報からも世界各地の文化や風習が理解できるように工夫した内容となっています。多くの図版は、先行するなんらかの文献に範をとったものと思われますが、その情報源も実に幅広く、コンラッドが本書を執筆するにあたって参照した文献が膨大な数にのぼることをうかがわせます。

 日本に関する記事は、最終第11章にあり、約30ページにわたって掲載されています。個別に節を設けているわけではありませんが、扱われている日本関係情報は実に幅広く、日本の地理情報に関する一般的な概説、マルコポーロに始まる西洋人の「日本発見」と名称、気候や風土、言語、歴史、内裏(Dairi)とその起源並びに宗教、日本の三大宗教である神道(Sinto)と仏教(Buddhismus)、修験道(Sucdo)について、大名(Damio)による統治機構と江戸(Jeddo)の概説、日本の様々な産品と工芸品、文化、芸術、道徳、人々の生活、警察機構などが記されています。数多くの日本に関する先行文献を参照しながら執筆しているようですが、最近の日本に関連する出来事として、フェートン号事件を取り上げたりもしていて、西洋と日本との関わりをその起源から最新情報まで記している点は、コンパクトな記事としては驚くべきことです。また、当時のヨーロッパを代表する東洋学者であったクラプロート(Julius Heinrich Klaproth, 1783 - 1835)、地理学者マルテ・ブラン(Conrad Malte-Brun, 1775 - 1826)らの名を挙げながら記事を展開しており、シーボルトの著作も参照している様子が窺えます。

 また、本書の日本関係記事には非常に興味深い4枚の図版が収録されています。最初の図版は、「日本の遊覧船」と題されたもので、図のための特別な解説はありませんが、図版の原図は、モンターヌス(Arnoldus Montanus, 1625 - 1683)の『東インド会社遣日使節紀行(Gedenkwaerdige gesantschappen der Oost-Indische Maatschappy…1669)』所収図と考えられます。第2のものは、「下関の港」と題されたもので、本州の西端にある港町で、長崎から江戸に至る際に停泊する地であることが解説されています。図版の原図は、おそらく当時刊行されたばかりだったはずのシーボルトのNIPPONの第5回配本(第2章)に含まれている下関図であると思われます。3点目は「平戸の城館」と題されたもので、かつてオランダの商館があった地で、1640年に商館の破却を命じられ長崎へと移動させられたことなど解説されています。図版の原図は、モンターヌス『東インド会社遣日使節紀行』所収図と考えられます。最後の図版は、「日本の神像」と題された実に奇妙なもので、大阪の寺院にあるものだとされています。この図の原図もモンターヌス由来のものと思われますが、元々はヒンドゥー教におけるヴィシュヌ神の化身の一つを描いたものをモンターヌスが誤って日本の神像として紹介したものです。

 本書は、全13巻からなる大部の叢書に収録されていた日本記事であることから、これまでほとんど言及されることがなかったものと思われますが、記事の内容、図版ともに非常に興味深い日本関係欧文資料ということができるでしょう。

1837年に刊行された第1巻と1839年に刊行された第2巻の全2巻構成。日本についての記述は第2巻にある。装丁は比較的近年に改装されたと思われるもので、背ラベルのみ以前の装丁に付されていたものを用いたようである。
第1巻の叢書全体のタイトルページ。本書は全体的に、用紙と印刷インクによるものと思われるスポット状の染みが散見される。
第1巻のタイトルページと口絵。
第1巻本文冒頭、バビロニアを扱っている。2巻で全98枚もの図版を収録している点が本書の大きな特徴。
第2巻のタイトルページと口絵。日本に関する記事はこの巻の最終章である。
日本を扱った第11章冒頭箇所。
収録図版①「日本の遊覧船」
収録図版②「下関の港」
収録図版③「平戸の城館」
図版②③の解説文
収録図版④「日本の神像」
図版④の解説文