書籍目録

『1770年から1779年にわたる、ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』

ツンベルク / グロスクルト(訳)

『1770年から1779年にわたる、ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』

全2巻、ドイツ語完訳初版 1792-94年 ベルリン刊

Thunberg, Carl Peter / Groskurd, Christian Heinrich.

Reise durch einen Teil von Europa, Afrika und Asien hauptsächlich in japan, in den Jahren 1770 bis 1779.

Berlin, Hände und Spener, 1792-1794. <AB201948>

Sold

First complete edition in German.

8vo, 4 parts in 2 vols. Vol.1: Title., Half Title. of part 1, 9 leaves, pp.[1], 2-292, Half Title. of part 2, 8 leaves, pp.[1], 2-258, 261, 262, 259, 260, 265, 266, 263, 264(MISBOUND), 1 leaf(blank), folded plates: [5] / Vol.2: pp.[I(Title.)-III], IV-XVI, 6 leaves, Half Title. of part 1, 5 leaves, pp.[1], 2-242, pp.[1(Half Title. of part 2)-3], 4-263, Plates: [4] . Contemporary full calf.
(Cordier: 446 / Alt Japan Katalog: 1511) 第2巻の背表紙革ラベルの剥がれ、革の一部に痛み、タイトルページに旧蔵機関の蔵書印が見られるが、全体として良好な状態。小口は三方とも赤く染められている。

Information

「出島の三学者」の一人、ツンベルク主著の貴重なドイツ語完訳初版

 本書は、スウェーデンの植物学者、博物学者、医者で、植物分類学の大家リンネ(Carl von Linné, 1707-1778)の高弟でもあったツンベルク(ツュンベリーとも、Carl Peter Thunberg, 1743 - 1828)が、オランダ東インド会社船医として、1770年から日本を含む世界各地を訪ねた際の見聞をまとめて、スウェーデン語で刊行した著作(Resa uti Europa, Africa, Asia, …1788-93, 4 vols.)のドイツ語訳本です。全4部からなり、そのうち第3部の全てと、第4部の前半という大部分が日本の記述となっていて、18世紀末に来日した西洋人による日本研究として極めて重要な文献です。

 ツンベルクは、スウェーデンのウプサラ大学で近代植物学の創始者とされるリンネから植物学と医学を学んだ後、オランダ東インド会社の船医の肩書でアフリカやバタヴィア、そして日本を旅して、植物採集と調査研究を行いました。1775年夏に来日し、約1年半の間日本に滞在、この間、江戸参府の道中の採取や植木店での購入、中川淳庵をはじめとした蘭学者たちとの交流を通じての提供、家畜飼料に含まれる植物の採取といったあらゆる手段を駆使して、驚異的な数の植物を採取しています。植物研究だけでなく、優れた日本の学者や通詞達との深い学問交流を通して、日本の歴史、文化、風習、言語といったあらゆる角度からの日本研究も行っています。その一方で、ツンベルクは日本の蘭学者達に当時最新の研究成果であったリンネの分類法をいち早く伝えており、のちに来日したシーボルトは、日本の学者達がリンネの分類法に沿って日本の植物を説明してくることことに驚かされています。

 ツンベルクは、日本を発ってヨーロッパに戻ってから、研究成果を精力的に発表しており、1780年にイギリス王立協会の会長ジョゼフ・バンクス(Sir Joseph Banks, 1743 - 1820)に宛てた論文(「1775年と1776年の日本帝国への航海・滞在日記抜粋」;詳細は当店HPの記事を参照)をはじめとして、『スウェーデン王立アカデミー論集(Der Königl. Schwedischen Akademie der Wissenschaften Neue Abhandlungen)』に植物学研究の論文を数多く投稿しただけでなく、それらをさらにまとめて1784年には『日本植物誌(Flora Iaponica, 1784)』を刊行しています。本書は、これに続いて刊行されたツンベルクの著作で、彼の主著と目されているものです。

 第2巻序文では、日本は、ヨーロッパはもちろんのこと、世界の他のいかなる地域とも異なる特異な国であること、それらをできるだけ客観的に叙述することが述べられています。第2巻第1部は、バタフィアから日本へ向かう航海に始まり、出島への到着時の様子や、通詞たちについて、出島の概略や、オランダ東インド会社による商業と中国商人による商業、長崎全般の概略など、主に長崎に関する記述が集中して見られます。続いて、1776年3月からの江戸参府の記録が旅程に沿って述べられており、長崎から小倉、下関、兵庫、淀へと九州北部から瀬戸内沿いに進み、大坂に入って淀を経由して、都(京都)、大津へと抜け、桑名、大井川、富士、箱根、小田原を超えて、品川、江戸に着くまでの記録があります。江戸滞在は一ヶ月あまりでしたが、その間に多くの蘭学者たちの来訪があったことを訪問者の実名を挙げて述べており、特に中川淳庵については、オランダ語をよく話し、自然誌、鉱物学、動物学、植物学に関する知識があり、漢書や蘭書を集めていることなど詳しく説明しています。杉田玄白による『解体新書』直後でもあるこの時期は蘭学が非常に盛んだったこともあり、ツンベルクは、短い江戸滞在中の多くの蘭学者との交流によって日本の知識を豊富に得ることができました。ツンベルクと彼らとの交流は帰国後にまで続くものとなり、日欧の学問交流を開くことにもなりました。江戸滞在を終えてから出島に戻るまでの記録も詳細に報告されており、大坂では植木屋で多くの植物を購入したようで、その様子も描かれています。江戸参府の記述に続いては、日本の概略が多方面から説明されます。自然産物や、人々の様子、価値観や道徳、言語、人名、衣服、建築物、調度品といった日本に関する様々な事項が、述べられています。ツンベルクは1775年9月から翌年10月までの天候と気温についても記録していたようで、この際に記録した気象データも掲載されています。また、第2巻第1部の末尾には、ツンベルクが聞き取った日本語語彙集も収録されており、これは日本語研究史においても重要なものとして高く評価されています。

 続く第2巻第2部では、日本の軍備、武器、宗教、食品とそれらの調理方法、飲料、キセル、祭事とスポーツ、諸学問、統治機構と法、17世紀後半よりヨーロッパでも知られていた鍼灸、農業、自然誌、商業、というように、日本に関するあらゆる事項が整理して報告されており、読者が日本についての最新の知識を、多方面から得られるようになっています。また、第2巻第1部末尾の日本語語彙集に続いて、本格的な日本語研究も収録されています。第2巻第2部には、日本の履物である草履、日本の女性と筆記具や算盤を描いた銅版画も収録されていることも特筆すべきことでしょう。

 本書の底本となったスウェーデン語原著『1770年から1779年にわたる、ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』は、1788年に第1巻が刊行され、89年に第2巻、91年に第3巻、そして93年の第4巻が刊行され、全4巻構成の書物として発表されました。刊行直後から好評を博したことで各国語への翻訳も盛んに行われ、原著完結前の1792年の時点で、本書を含むドイツ語訳本が3種類刊行されています。1794年にはフランス語訳、1795年には英語訳が刊行されていて、いずれの訳本も版を重ねていることから、ヨーロッパ中で幅広く読まれた文献ということができます。

 本書は、各種ある翻訳本の中でも、最も早くに登場したドイツ語訳本で、しかも3種類あるドイツ語訳本の中で唯一の完訳本です。前述の通り、原著が完結する前の1792年の時点において、早くもドイツ語訳本が3種類も刊行されていますが、本書の他に出された2種類のドイツ語訳(ベルリン版、Vossischen Buchhandlung刊行、本文230ページ)/ ウィーン版、F.A. Schrämbl刊行、本文384ページ)は、いずれも抄訳であるのに対して、同年に刊行された本書は、原著第1巻を第1巻第1部、同2巻を第1巻第2部として刊行し、原著が完結した1年後の1794年に、原著第3巻を第2巻第1部、同4巻を第2巻第2部として刊行するという全2巻(全4部)構成のドイツ語唯一の完全訳版です。訳者のグロスクルト(Christian Heinrich Groskurd, 1747 - 1806)は、18世紀後半に活躍した教育学者として著名な人物で、ストックホルムで教師をしていた際に身につけたスウェーデン語を生かして、本書を含め多くのスウェーデン語の文献をドイツ語に翻訳しています。

 ツンベルクによる『1770年から1779年にわたる、ヨーロッパ、アフリカ、アジア紀行』は、原著を含め各種翻訳本のいずれもが、西洋における日本情報の伝達に大きな役割を果たしたことから、国内研究機関においても多くの版がこれまで収集されてきています。しかしながら、このドイツ語完全訳本は、CiNii上で確認できる限りでは所蔵を確認することができません。その点においても、本書はこれまで研究されていないツンベルクの主著のドイツ語訳完全本として、原著や他の翻訳本とのテキストの相違や比較考証といった興味深い研究を可能にする重要資料と言えそうです。

原著スウェーデン語版が全4巻構成となっているのを、全2巻(全4部)としてドイツ語に全訳したもの。
第1巻タイトルページ。第1巻は1792年に刊行されており、この時点では原著スウェーデン語版はまだ完結していなかった。この年には本書を含めて3種類のドイツ語版が刊行されているが、原著完結後に全てのテキストを翻訳した完訳ドイツ語版は本書のみと思われる。
第1巻第1部序文。
第1巻第1部テキスト冒頭。ウプサラを出発してからのツンベルクの旅程に沿って記述が進む。
第1巻第2部タイトルページ。
第1部と第2部は合冊されているが、ページ付は独立している。上掲は第1巻第2部冒頭箇所。
第1巻巻末には折り込み図版が収録されている。
第2巻タイトルページ。日本が扱われるのは第2巻第1部(原著第3巻)全て、第2巻第2部(原著第4巻)前半部分と、かなりの分量を占める。
第2巻第1部序文。
第2巻第2部冒頭箇所。バタヴィアを発って出島に到着する場面と、長崎、出島についての解説から始まる。
ツンベルクの日本研究に大きな成果をもたらした江戸参府についての記録。
彼による日本論はあらゆる側面に及んでおり、また実際に日本の蘭学者や通詞から直接情報を得ていたこともあって、その質は非常に高い。
第2巻第1部末尾に掲載されている日本語語彙集。アルファベット順に彼が調べた日本語とその訳(本書の場合はドイツ語)が併記されている。西洋における日本語研究史において重要な資料であることはもちろん、当時の日本語の発音を研究する上でも貴重な資料。
第2巻第2部タイトルページ。
第2巻第2部冒頭箇所。日本の統治機構、政治、法律等々を扱う。
日本の学問、文化についても詳細に扱っており、筆記具やそろばん、楽器などの図版も本文中に収録している。
印籠やワラジ、扇子などツンベルクの関心を引いた日本の手工芸製品についても図版とともに紹介されている。
第2巻第2部には本格的な日本語研究も収録されている。上掲は日本語例文とその翻訳集。
小口は三方とも赤く染められている。
(参考)ツンベルクの肖像画リトグラフ