書籍目録

『和英語林集成』

ヘボン / (岸田吟香)

『和英語林集成』

初版(横浜版)函館ブラキストン・マー商会旧蔵本 1867年 上海(横浜)刊

Hepburn, J(ames). C(urtis).(美國 平文先生(編譯))

A JAPANESE AND ENGLISH DICTIONARY; WITH AN ENGLISH AND JAPANESE INDEX.(和英語林集成)

Shanghai(日本横濱), American Prebyterian Mission Press, 1867(慶應丁卯). <AB201899>

Sold

First (Yokohama) edition.

4to (17.5 cm x 26.5 cm), pp.[i, ii(Front.(Title)), iii(Title)-v], vi-xii, [1], 2-446, 44[i.e.447], 448-558, 1 leaf(blank), [1], 2-132, 2 leaves (blank), Contemporary three-quarter calf on cloth boards, skillfully restored.
標題紙、テキストともに特有のヤケ、シミが見られる。標題紙に函館ブラキストン・マー商会の蔵書印あり。

Information

幕末以降において日本と西洋との文化交流の礎となった「日本における19世紀を代表する辞書」

 本書は、幕末から明治初期に刊行された和英英和辞書として、最も有名かつ、最も大きな影響を後世に与えた書物として非常に高く評価されている文献です。
来日した外国人が日本語を学習するための辞書として編纂された本書は、国内外に多くの読者を得ただけでなく、後続の辞書編纂の様式に多大な影響を及ぼし、また多くの類似本、海賊版をも生み出しました。

 著者のヘボン(James Curtis Hepburn, 1815 - 1911)は、アメリカ長老教会の宣教師として1859年に来日し、伝道活動、聖書翻訳に尽力する一方で、本書の編纂、改訂に勤しみ、また医者、教育者としても活躍し、明治学院の創立者としてもその名を残しています。特に本書との関係で言えば、「ヘボン式ローマ字」のヘボンとしても大変よく知られているでしょう(ただしヘボン式ローマ字が確立するのは本書第3版)。

 本書は1867年に刊行されたもので、タイトルページにもあるように上海のAmerican Presbyterian Mission Press(美華書院、以下APMP)で印刷され、横浜で発売されたものです。当時の日本では、本書を印刷するだけの十分な設備環境が整っていなかったため、プロテスタント伝道関係の東アジアにおける出版事業の拠点となっていたAPMPにおいて印刷されています。また、後述するように、『和英語林集成』初版には英文タイトルページの刊行地に上海との記載を有するものと、ロンドンとの記載を有するものとがあり、前者は実際に販売された地によって「横浜版」と呼ばれ、後者は「ロンドン版」と呼ばれていますが、本書は前者の「横浜版」にあたるものです。

英文標題紙(右)から本書が横浜版であることがわかる。左の標題紙は横浜版、ロンドン版ともに同じとされる。

 近代に刊行された日本語・外国語辞書の原点となった本書については、すでにおびただしい研究成果が出されていますが、中でも2015年に木村一氏が著した『和英語林集成の研究』(明治書院)は、本書の辞書としての特徴だけでなく、その成立過程、前後の影響関係、書誌事項まで、本書を取り巻くテーマを網羅的に詳細に取り上げた文献として特筆すべきものかと思われます。

 同書において、本書の当時の他の辞書との違いとしては、次のように述べられています。

「『和英語林集成』は、それ以前の日本の辞書と比べると、見出し語(ローマ字・カタカナ・漢字表記)、品詞表示、語義、用例、類義語について明確に示していることが構成上の特徴だと言える。意味を知るという面と書き方を知るという面の両面の機能を持つことで、同時代の日本で刊行された辞書、例えば節用集などとは性格を異にしている。」(前掲書33頁)

 また、同書では、本書の特徴として、第一義的に外国人が日本語を学ぶために編纂されたものであり、幕末から明治にかけて日本の人々によって作成された、日本語話者のための英語学習のための辞書とは、全くベクトルが逆向きであることを指摘されています。

「一般に英和辞書は英語学習・英語習得を目指したものであり、和英辞書はどちらかと言えば、その補完的な役割を持ち、日本語から英語への逆引きといった役割を持つとされる。しかし、日本語を英語で表現・説明することを目指した『和英語林集成』にはこの見解はあてはまらない。このことは『和英語林集成』という書名が端的に示し(3版では『和英英和』とはなるが)、また構成からもうかがい知ることができる。それは『和英語林集成』であり、『英和語林集成』ではないことからも明らかである。
 『和英語林集成』が刊行されたのは、時代の要請に応じる必要性が生じたからである。時代の必要性とは「条約の締結」であり、それに伴う「開国」である。
 そのような背景により、日本語をローマ字で表記し英語とともに説明を行った「日本語辞書」が刊行されたと考えるべきである。結果的なことではあるが、このことは日本語学の研究に資するという最も重要な特徴である。」(前掲書53頁)

 その意味において、本書は「開国」によって、日本を訪れることになった外国人が日本との文化接触に際してその礎となった記念碑的作品ということができるでしょう。

序文頁冒頭。
岸田吟香の手によるものとされる仮名文字表
本文冒頭。

 ところで、この『和英語林集成』初版は、書誌的観点から見ても、極めて興味深い特徴を有しており、現存する諸本によって様々な異同が見られることも知られています。このことから、一口に「初版」と言っても、用いられた用紙、刊行地、折丁記号、訂正の有無などによって細かな違いがあり、それぞれを注意深く観察することが必要です。この点についても、先に挙げた『和英語林集成の研究』は、非常に詳細に扱っており、本書の書誌学上の特徴を理解する上でも、大変有用なものです。

 同書では、先に少し言及した、初版「横浜版」と「ロンドン版」とについて、その基本情報として簡潔に下記のようにまとめられています。

「初版(横浜版)
『和英語林集成』(横浜版)(1867)[ヘボン:52歳」
発行部数(価格):1,200部(18両)
英語書名:A Japanese and English Dictionary: with an english and Japanese Index. Shanghai: American Prebysterian Mission Press.
組版・印刷・発行:上海のAPMPで組版・印刷、横浜で発行
協力者:岸田吟香
*当初は『和英詞林集成』であったため、「詞林」から「語林」へ1厘値を上げたと岸田吟香の『呉松日記』にある。
*きわめて画期的な内容であるため、諸藩が買い求めた(幕府:300冊は確実とされる。)

初版(ロンドン版)
『和英語林集成』(ロンドン版)(1867)
発行部数(価格):不明(5ポンド5シリング)
組版・印刷・発行:上海で組版、ロンドンで印刷・発行
*横浜版と内容は同じ。」
(前掲書46,47頁)

 両者は上記にあるように、基本的な内容は同一ですが、異なる英文標題紙を有しており、ロンドン版は、当時のヨーロッパにおけるアジア、アフリカ関係文献の出版で著名だったTrübner Co.(当店でホームページで以前案内していたブラントン「日本図」も同出版社からの刊行)が、その版元となっています。同書によりますと、ロンドン版の多く(全てではない)は「使用した用紙、インク(油分)の異なり、また印刷技術によりものと考えられるが、APMP(美華書院)で印刷された横浜版のようなインクの油焼けによるにじみは見られない」(前掲書236頁)という違いがあるようです。その理由は、ロンドン版の多くは、「APMPで石膏版により型取りしたものが船便で上海からロンドンへ輸送されたもの」(前掲書241頁)からロンドンで別途印刷されたことによるものと思われます。その一方で「束製本の状態で刷り見本として、またロンドンでの印刷が軌道に乗るまでのつなぎとして、上海で印刷したものを送ったであろう」(前掲書同頁)とも指摘されており、ロンドン版であってもその一部は、本体が物理的に上海版と全く同じものが存在する可能性を指摘されています。

 また、同書では残存する初版各本に見られるそれ以外の相違点として、それ以前の先行研究を参照しながら、次のような異同が見られることが指摘されています。

①Introductionのix頁15行目冒頭の「a」の有無、また有る場合でも活字か手書きであるかの違い、または活字の傾きの違い。
②折丁記号D(英和の部25頁)が、単にDであるか、D4であるかの違い。

 木村一氏は、国内各地に所蔵されている初版14本を調査された結果、上記の点については「横浜版とロンドン版での異なりではなく、規則性が見られないことが確認できる」(前掲書240頁)とされており、「特に、折丁記号の有無については、おそらくは2セット以上の石膏版がロンドンに運ばれていたと考えることで説明がつくと考えられる」(前掲書251頁)と説明されています。

 上記の点を本書で確認して見ますと、

①「a」は、活字でも手書きでも存在しない。
②折丁記号は、単純にD。

であることがわかります。上記の組み合わせは、木村一氏が確認された8本の横浜版には存在しておらず、6本中3本のロンドン版の組み合わせと合致します。現存する他の横浜版で、本書と同じ組み合わせとなるものが他に存在するかどうかは不明ですが、ロンドン版に同じ組み合わせが見られるということは、複数存在していたと思われる組版のうち、本書と同じ版のステロタイプがロンドンにも送られていた、あるいは本書と同じ組版から上海で印刷されたものが束製本の状態で、ロンドンに送られていたことが明らかになると言えそうです。

  • ①の特徴に該当する箇所。コンマの前の「a」の有無やその形態が諸本によって様々に異なるとされる。
  • ②の特徴に該当する箇所。25頁の折丁記号箇所。D4ではなく、Dであることがわかる。

 さらに本書において特筆すべき点として、標題紙にBLAKISTON MARR & Co, HAKODADI JAPANとの蔵書印が押されていることが挙げられます。ここに示されたBLAKISTON MARR & Coとは、イギリスの貿易商で、本書刊行当時に函館に在住していたブラキストン(Thomas Wright Blakiston, 1833 - 1891)が、函館で営んでいたブラキストン・マー商会のことです。同商会は「ロシア・中国との商品取引や、製氷とか木材加工業を業」(ヒュー・コータッツィ、中須賀哲朗訳『維新の港の英人たち』中央公論社、1988年、90頁)として、居留地函館を中心に精力的に活動していました。また、「動物学者でもあったかれは、北海道と本州北部とのあいだに見られる動物の生態の相違を観察してきた。この境界をブラキストン線と命名したのは、かれの友人のイギリス人自身学者ジェームズ・ミルンである」(同書同頁)といった点でも知られている、当時を代表する来日外国人の一人といってよい人物です。彼、あるいは彼の商会において本書が用いられていたということは、当時の本書の主要な読者層の一例を示すものとして、大変興味深い点といえましょう。

ブラキストン・マー商会の蔵書印。
当時の装丁を残した上で精巧な修復が施されている、貴重な現存本と思われる。

 「日本における19世紀を代表する辞書」(前掲書3頁)である本書は、内容上の重要性が極めて大きいことは言うまでもなく、また上記のように書誌学上の観点から見ることで、現存する各本の異なりを比較調査することで、刊行当時の印刷状況、制作過程をより詳細に検証することができると言う点でも、不朽の価値を有する資料と言えるでしょう。