書籍目録

「アムステルダム日本資料展示会」 『ネーデルランス・マハザイン』1863年巻 第48号所収

ヴィットカンプ / (シーボルト)

「アムステルダム日本資料展示会」 『ネーデルランス・マハザイン』1863年巻 第48号所収

1863年 アムステルダム

Witkamp, P(ieter). H(armen).

DE TENTOONSTELLING VAN JAPANSCHE VOORWERPEN TE AMSTERDAM. In NEDERLANDSCH MAGAZIJN. NIEUWE SERIE. No. 48. (p.377 – 379)

Amsterdam, Gebroeders Diederichs, 1863. <AB201717>

¥165,000

Fly title, Frontis, 3 leaves (dedication, index, and list of plates), pp.[1]2-404, (-408). No. 1 of 1863 – No. 51 of 1863 are included, Contemporary half calf with marbled boards.
装丁に傷みあり、目次ページに破れ、139−140頁の大部分が破り取られている、257頁下部に破れ399−400頁の大部分が破り取られている、405−408頁の大部分が破り取られている。日本関係記事には欠落、損傷なし。

Information

シーボルトによる「アムステルダム日本資料展示会」の紹介記事を収録

 2016年7月から2017年10月にかけて、国立歴史民俗博物館ほか全国各地を巡回した企画展示「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」は、シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796 – 1866)が残した日本コレクションのうち、これまであまり知られていなかったミュンヘン五大陸博物館や、フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家が所蔵する資料を丹念に調査した上で紹介するという大変ユニークな企画展示として多くの注目を集めました。中でも、1862年の再来日時に収集した第二次コレクションを、帰国後の1863年、アムステルダムにおいて大々的に展示した「アムステルダム日本資料展示会」に焦点を当て、当時の展示会の様子を復元して展示する試みは、最新の資格映像技術も駆使するなど、最も注目を集めた展示となりました。
 
 本資料は、この展示企画の核となったイラスト入り記事を含む、雑誌『ネーデルランス・マハザイン』1863年巻の第1号から第51号までを合冊したものです。「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」では、「アムステルダム日本資料展示会」は次のように紹介されています。

 「帰国してしばらくたっても、シーボルトの心中には、日本を再訪し自身の日本研究を継続し完成させたいという思いが消えることはなかった。1859(安政6)年から1862(文久2)年にかけて2度目の来日を果たしたシーボルトは、コレクションをさらに充実させるため積極的な収集を行い、帰国後の1863年、アムステルダム産業振興会館において、この第二次コレクションによる展覧会を開催している。
 この時の展示内容は、1863年5月17日付のシーボルト自身による序文を載せた展覧会の観覧手引きによって明らかである。展覧会は書物や絵画、硬貨などを含む第一部の「学術物品コレクション」836点と、動植物や鉱物などの原材料と、それらを加工した生産物・工芸品などからなる第二部「日本国内生産物コレクション」1,607点から構成されていた。半年で2,000人近くの来場者を集め、展覧会を報告した雑誌記事には、実際の展示場の様子を示す興味深いイラストが掲載されている。
(日高薫「アムステルダムにおける展示」 国立歴史民俗博物館監修『よみがえれ!シーボルトの日本博物館』所収 より)

 上で言われている雑誌記事が、まさに本書が収録しているもので、第48号冒頭に掲載されています。この雑誌記事について、同書では次のように紹介されています。

「『ネーデランス・マハザイン』誌に掲載された展覧会の紹介記事。執筆者のピーテル・ハルメン・ヴィットカンプは、ドイツ人の「著名な旅行者で民俗学者」であるシーボルトとの親しい交流に基づき、彼の人となりや、多種多様なコレクションの重要性を説く。さらに彼の第二次コレクションがオランダ政府により購入されることなく、ドイツへ渡ってしまうことを嘆いている。」(同上)

 今回の企画展示では、この雑誌記事そのものが展示されると共に、そこに掲載された当時の展示会の様子を描いたイラストに基づいて、実際に資料を復元展示するという大変ユニークな試みが行われました。また、この雑誌記事も全文が翻訳され、『五大陸博物館所蔵シーボルト・コレクション関係資料集成』に発表されています。
 
 ところで、今回の展示に用いられたのは、フォン・ブランデンシュタイン=ツェッペリン家が所蔵する、当該雑誌記事だけの切り抜き、ないしは抜き刷りと思われるものですが、果たして、そもそもこの記事が収録された雑誌『ネーデルランス・マハザイン(Nederlandsch magazijn)』とはどんな雑誌だったのでしょうか。この雑誌は、国内研究機関でも所蔵している機関が極めて少なく(おそらく完本で所蔵しているのは天理図書館のみと思われます)、その全貌、変遷、内容をたどることは容易ではありません。1834年に刊行が開始され、1846年に至ってタイトルに「新(Nieuw)」が付されたのち、1859年に再び「新(Nieuw)」が外され、代わりに副題に新シリーズ(Nieuwe serie)がつけられて以降1864年まで刊行が続けられたことが少なくとも確認できますので、およそ30年近くにわたって刊行された比較的長寿な雑誌といえます。

 本書には、「アムステルダム日本資料展示会」を含め、1863年に刊行された全51号が収録されているほか、巻頭に収録記事をテーマごとに分類した索引が収録されていますので、これらから、この雑誌のおおよその読者層、編集方針が見えてくるものかと思われます。一例までに、雑誌記事の分類を見ていきますと、「国内での特徴的な出来事(vaderlandsche merkwaardigheden)」、「土地と民俗学(Land-en volkenkunde)」、「歴史と生活誌(geschiedenis, levensbeschrijving)」、「人々の伝統と変化(volksvlijt, uitvindingen)」とあり、これらだけで約収録記事の3分の2を占めていることから、今で言うところの人文地理学、歴史学、民俗学に特に力点を置いた編集方針であることが伺えます。とは言うものの、自然史や文芸に関する記事も3分の1ほど含まれていることや、多くの小口木版によると思われるイラストを交えながら記事が構成されていることに鑑みると、知識人や学者だけに読者を限定するものではなく、やや高級な上流階級向けの一般雑誌のようにも思えます。いずれにせよ、当時のシーボルトによる「アムステルダム日本資料展示会」の受容背景を正確に理解するためには、この雑誌自体の研究が必要になってくるかもしれません。
 
 また、「アムステルダム日本資料展示会」の記事を書いたピーテル・ハルメン・ヴィットカンプ(Pieter Harmen Witkamp, 1816 – 1896)は、アムステルダムを中心に活躍した地理学者、地図製作者、雑誌編集者として著名な人物で、1838年から1854年にかけて全7巻からなる大部の地理書(雑誌)De Aardbol. Magazijn van hedendaagsche land- en volkenkunde.(弊社ホームページ内にて、日本を扱う第7巻を掲載しております)を手がけました。この雑誌は、そのタイトルにあるように、世界各地の民俗的風習や農業に焦点を当てて刊行されたもので、各巻でヨーロッパやアジア、アフリカといった地域を独立して扱い、全7巻によって地球上を網羅するという壮大な企画でした。こうした書物を手がけていたことから、ヴィットカンプが、いわゆる民俗学や理学に強い関心と見識を有していたことは間違い無く、そうしたことを背景にシーボルトの「アムステルダム日本資料展示会」の記事も書かれたことが伺えます。ヴィットカンプとシーボルトとの具体的な接点や交流の有無などは、わかっていませんが、こうした点も含めて「民俗学」と「博物館」といった構想がどのように形成されていったのかということは大変興味深い研究テーマでしょう。