書籍目録

『マッフェイ全集』第2巻(全2巻中)(「大道寺建立裁許状」「天正遣欧使節グレゴリオ13世謁見記録』収録)

マッフェイ

『マッフェイ全集』第2巻(全2巻中)(「大道寺建立裁許状」「天正遣欧使節グレゴリオ13世謁見記録』収録)

1747年 ベルガモ刊

Maffei, Giovanni Pietro.

JO. PETRI MAFFEJI BERGOMATIS E SOCIETATE JESU OPERA OMNIA LATINE SCRIPTA. Nunc primum in unum Corpus collecta, variisque illustrationibus exornata….TOMUS II.

Bergomi(Bergamo), Petrus Lancellottus, CIↃIↃCCXLVII.(1747). <AB2022172>

Donated

Vol. 2 only (of 2 vols.)

4to (19.0 cm x 26.0 cm), Title., 3 leaves, pp.[1], 2-345, 146(i.e.346), [347-349], 350-353, 35(i.e.354), 355-515, Disbound.
刊行当時の簡易厚紙装丁で、表紙やタイトルページなどが本体から外れており、綴じ紐に緩みが見られる状態。タイトルページにローマのイエズス会レジデンシア図書室の押印あり。[Laures: JL-1747-KB2-618-422]

Information

日本関係記事を多数収録した、16世紀におけるイエズス会士の代表的著作家であったマッフェイ全集の第2巻。

 本書は、16世紀におけるイエズス会士の代表的著作家であったマッフェイ(Giovanni Pietro Maffei, 1536? - 1603)の全集第2巻に当たるものです。マッフェイは、当時のイエズス会を代表する著作家で、特に歴史書の編纂において多大な功績を残した人物として知られています。マッフェイは、日本を含む世界各地のコレジヨの模範となるべくイエズス会によって運営されていた最も権威あるローマのコレジヨで教鞭をとっていたことからもわかるように、その豊かな学識と文体の洗練さにおいて当時から誉れ高く、彼が編纂したイエズス会の歴史関連の作品は、ヨーロッパ各地で広く読まれたため、イエズス会そのものの権威と影響力を高めることにも大いに貢献しました。

 マッフェイは、『東洋におけるイエズス会に関する1568年までの出来事』(HIstoria Rerum a Societate Iesu in Oriete Gestarum. 初版1571年、1574年まで毎年改訂版が刊行されタイトルも異なる)を手がけた他、『インド誌:インド書簡集』(Historiarum Indicarum Libri XVI. 1588)といった、イエズス会によるインド宣教史に関する公式作品の名著を遺しており、イエズス会創始者であるロヨラの伝記なども著しました。彼が手がけたこれらの作品は、幾度も再版が重ねられ長年にわたって読み継がれましたが、1747年に彼の出身地であるベルガモにおいて、全2巻構成で彼の全集が初めて刊行されました。本書はこの全集の第2巻に当たるものです。

 この第2巻主な収録内容は下記のようになっています。

・『東洋におけるイエズス会に関する1568年までの出来事』における彼の解説(3ページ〜)
*同作はポルトガルのイエズス会士ダ・コスタ(Manuel da Costa, 1541 - 1604)が、ザビエルによるアジア宣教の開始以来、イエズス会士に認められた書簡を編纂して『東方布教史』と題してポルトガル語草稿にまとめていたものを、マッフェイが全てラテン語に翻訳し、自身の解説を付して刊行していたもの。

・『インド誌:インド書簡集』のうちの「書簡集」(48ページ〜)

・大内義長がトーレスらイエズス会士に教会の創建許可を与えた「大道寺裁許状」(318ページ〜)
*原文の日本文を再現した木版画とそのポルトガル語翻訳

・1585年3月23日の日本使節とグレゴリオ13世謁見に関するローマ教皇庁枢機卿会の公式議録(337ページ〜)
*1585年に刊行された天正遣欧使節関係出版物のうち極めて重要な文献として高く評価されている作品の翻刻。

・イグナティウス・ロヨラの伝記(347ページ〜)

「ジョヴァンニ・ピエトロ・マフェイ(1533ー1603)の二巻本著作集。『インド史』(1588年初刊)を第一巻に、第二巻には『東方布教史』(1571年初刊)その他を収録しています。  イエズス会の布教報告の蓄積とともに、これらに集められた情報を総合した著作の必要性が唱えられ、その任にあたったのが人文主義者マフェイでした。『東方布教史』はもともとコインブラのマヌエル・ダ・コスタがポルトガル語で記したもの、マフェイはその手稿をラテン訳するとともに、いわゆる「日本書簡」を編集した De Japonicis Rebus Epistolarum 等原著の約四倍に及ぶ大量の増補を行いました。

 ところがこれが公刊されると、ダ・コスタをはじめ、イエズス会内部から誤謬の指摘が相次ぎ、マフェイはあらためてイエズス会の布教史編纂に取り組むこととなりました。まず1578年イベリア半島へ赴くと、リスボンで、さらにコインブラやエヴォラのイエズス会文書を調査し、またローマのイエズス会本部からも大量の資料を入手したほか、たとえば晩年のメンデス・ピントにも面会して情報を得ています。また、特に日本については天正遣欧使節が携えてきた、ヴァリニャーノの『東インドにおけるイエズス会布教史』第一部など、新たな文献をそろえ、万全を期しました。このような周到な準備のうえで執筆された『インド史』は、刊行されるとただちに数版を重ね、十七世紀前半までしばしば上木されています。

 マフェイの生地ベルガモで出版されたこの版は、『著作集』と銘打った最初のものにあたります。イエズス会はその後、1759年のポルトガル追放にはじまり、フランス、スペインで放逐され、1773年にはクレメンス十四世によって解散を命じられます。しかしその後もイタリア各地で『インド史』の出版は続けられています。」
(放送大学附属図書館所蔵日本関係コレクション展示会『西洋の日本観:フロイスからシーボルトまで』「32 マフェイ『全集』1747年」解説記事より)

刊行当時の簡易厚紙装丁で、表紙やタイトルページなどが本体から外れており、綴じ紐に緩みが見られる状態。
ローマのイエズス会レジデンシア図書室の押印あり。
『東洋におけるイエズス会に関する1568年までの出来事』における彼の解説(3ページ〜)
『インド誌:インド書簡集』のうちの「書簡集」(48ページ〜)
大内義長がトーレスらイエズス会士に教会の創建許可を与えた「大道寺裁許状」(318ページ〜)
大内義長がトーレスらイエズス会士に教会の創建許可を与えた「大道寺裁許状」が、原文の日本文を再現した木版画とそのポルトガル語翻訳とともに掲載されている。上掲箇所では「周防國吉備郡」とある。
「山口縣大道寺事(、)従西域来朝之」「僧(、)為佛法招隆可創建彼寺家」
「之由(、)任請望之旨(、)所令裁許之状如」「件(。)天文廿一年八月廿八日」
「周防介 御判」
585年3月23日の日本使節とグレゴリオ13世謁見に関するローマ教皇庁枢機卿会の公式議録(337ページ〜)
イグナティウス・ロヨラの伝記(347ページ〜)
巻末には索引も設けられている。