書籍目録

『イエズス会の諸聖人の小伝記集』

(パウロ三木ら日本の3人のイエズス会士 / 日本二十六聖人殉教事件 / ロヨラ / ザビエル / ルーベンス)

『イエズス会の諸聖人の小伝記集』

1761年 ルーヴェン [アムステルダム]刊

KORTE LEVENSBESCHRYVINGEN VAN DE HEILIGEN DER SOCIETEIT van JESUS, mitsgaeders VAN DEN H. MARTELAER JOANNES NEPOMUCENUS, met daerop toegepaste OVERDENKINGEN, en LITANIEN, EN GEBEDEN.

Leuven [i.e. Amsterdam], T. Crajenschot, 1761. <AB202245>

Sold

8vo (9.5 cm x 15.7 cm), 1 leaf(blank), Front., pp.[1(Title.), 2], 3-115, 1 leaf(blank), Contemporary brown full leather.

Information

広く一般の信者に読まれ、日常的に用いられることを意図して刊行された珍しいオランダ語作品の中に収録された、パウロ三木ら日本の3人のイエズス会士をはじめとする日本関係記事

 本書は、ロヨラやザビエルといったイエズス会士の聖人や偉人の伝記をコンパクトにまとめた作品で、瞑想や祈りといった日々の信仰行為に用いることを意図して編纂されているところに特徴があります。本書はオランダ語で書かれた最初のイエズス会聖人伝であると目されていますが、日本関係欧文図書として興味深いのは、日本とゆかりの深いザビエルだけでなく、冒頭にパウロ三木らいわゆる「二十六聖人殉教事件」で犠牲となった3人の日本のイエズス会士を論じた記事が含まれていることにあります。

 本書のタイトルページには、1761年にルーヴェンで刊行されたとありますが、出版社であるTheodorus Crajenschot は、アムステルダムを拠点にしていた出版社であることから、実際にはアムステルダムで刊行されたものと推定されます。これは当時のオランダ語圏においてカソリック関係の出版物を刊行する際は、アムステルダムを中心とした北部ではなく、カソリック圏であった南部、特に大陸屈指のカソリック大学のあったルーヴェンや大都市ブリュッセルで刊行されることが、その作品を一層権威づけることになると考えられていたからだと言われています(本書については、Paul Begheyn S.J….[etal.]. Jesuit books in the Low Contories 1540-1773; A selection from the Mauris Sabbe Library. Leuven, 2009.を参照)。

 また、著者名は本書中のどこにも明記されておらず現在も不明のままですが、イエズス会の公認を得て出版されていることに鑑みると相応の人物であったと考えられます。そもそもオランダ語で出版されたイエズス会関連著作の数は決して多くありませんが、本書はオランダ語で刊行されたイエズス会関係者の聖人伝として最初の作品と目されています。ザビエルの伝記や殉教者伝といった日本と関連のあるオランダ語のイエズス会著作は他にもいくつか数えられますが、その多くが場合によっては複数冊にも及ぶ大部の著作であるのに対して、本書は100ページ強のハンディサイズの小さな書物であることが特徴的です。

 本書がこのようなコンパクトなサイズの書物とされているのは、副題にも示されているように、単なるイエズス会関係者の伝記集としてではなく、瞑想や日々の祈りといった信徒の信仰活動に用いられることを意図して編纂されていたからです。書斎に備え置くような大部の著作ではなく、日常的に携行して瞑想や祈りに用いることができるよう、持ち運びに差し支えのない小さな書物となるように意図して制作されていることが窺えます。

 日本関係欧文図書として本書が興味深い作品であるのは、日本ともゆかりの深いザビエルやロヨラの伝記が収録されていることに加えて、本書冒頭にパウロ三木らいわゆる「二十六聖人殉教事件」で犠牲となった3人の日本のイエズス会士を扱った記事が収録されている点にあります。1597年に秀吉の命によって長崎で処刑されたパウロ三木ら3人のイエズス会士たちは、イエズス会の創始者であるロヨラや、日本をはじめとするアジア宣教の端緒を開いたザビエルらとならんでイエズス会を代表する偉人(当時はまだ列聖されておらず福者)として語り継がれていましたが、オランダ語で最初のイエズス会聖人伝と目される本書においても、彼らの記事が収録されているというのは大変興味深いことです。記事の冒頭では彼らが殉教に至った経緯に加えて、そもそもの日本宣教の始まりから迫害が行われた背景についても言及されていて、3人の伝記事項がコンパクトにまとめられています。こうした伝記記事に続いて、瞑想や祈りの際に直接用いることができるようなテキストが掲載されています。

 本書に収録されたパウロ三木ら3人の日本のイエズス会士に関する記事やザビエルらの記事は、記事内容そのものとしてはそれほど独自の内容を含んだものではないかもしれませんが、オランダ語圏において、学者や教会関係者だけでなく、むしろ一般の信者に幅広く用いられることを意図して編纂された本書のような作品に、こうした日本関係記事が収録されていること自体が大変興味深いことであると言えるでしょう。

 また、本書冒頭に置かれた口絵は、イエズス会創始者であるロヨラと、アジア宣教の礎を築いたザビエルの二人を描いたもので、非常に印象的な銅版画作品となっています。この作品は、17世紀フランドル絵画を代表する巨匠ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577 - 1640)によって製作された銅版画をもとにした作品で、イエズス会を象徴する傑作として幾度も増刷や転載が繰り返されたことが知られている著名な作品です。トリエント公会議において「聖人」を視覚作品として表現する際は、そのモチーフや細部に至るまでローマ教皇庁における承認を必要とすることが定められたため、この作品はこうした厳しい基準を満たした「公式の聖人画」でもあり、かつ巨匠ルーベンスが手がけたイエズス会公式の聖人画の傑作として本書冒頭を飾るのにふさわしい作品であったとものと思われます。
(本書の口絵とタイトルページは、Brill社より2014年に刊行されたJesuit Books in the Dutch Republic and its generality lands 1567-1773: A bibliography. の表紙を飾っています。)


 「この1761年に刊行された少著は、イエズス会における、ならびにイエズス会によるトリエント公会議後の礼拝のあり方について、一つの洞察を提供してくれる作品である。本書がアムステルダムの著名な出版社である Theodorus Crajenschot のために印刷されたことは明らかであるが、その一方で、本書が印刷されたのは、(タイトルページに明記されている)ルーヴァンではなく、実際にはアムステルダムであったことも疑い得ない。当時は、北部低地地方の多くのカトリック信者は祈祷書や教理書を選ぶ際に、その内容の正当性が保証されている南部低地地方(現在のベルギー)で印刷された作品を好んだ。(そのため、本書は実際の刊行地であるアムステルダムではなく、南部低地地方のカトリック出版の拠点の一つであったルーヴァン刊行であると偽って出版された)
 『日々の瞑想、連祷、祈祷に合わせた、イエズス会の諸聖人の短い聖人伝、ならびにネポムクのヨハネの殉教記』という本書の詳細な標題は、読書が本書に期待しうる内容を明瞭に表している。すなわち、連祷、瞑想、祈祷を備えた祈祷書であり、イエズス会の最初の六聖人、ならびに日本の3人のイエズス会の殉教者たちの伝記、という内容である。また、(表題が示す通り)本書の最終部は、聖ネポムクのヨハネの伝記となっている。
 この小著はその読者として、おそらくイエズス会平修士、あるいは、当時日々の召命を際立って実践し多くの聖性を成し遂げていたイエズス会によって霊感を与えられることを望んでいたような世俗の人々さえも、意図して刊行されたものである。この小著は、所属上長からその出版許可、権威付、承認を受けた匿名の一人のイエズス会士によって書かれた様々な作品からなる、アンソロジーの一種である。本書の端端で、あるいはその結語において、著者が強調しているのは、この作品全てが他の先行する諸作品やリーフレットからその内容を抜き出したものであること、そして、これが特に著者にとっては重要だったのであるが、教会の権威によって承認を受けて(nihil obstat)本書が出版されているということである。本書が特に重要な作品であるのは、本書が、聖務日課書の第2、第3ノクターンの朗読から取られた諸聖人伝記集の、初めてのオランダ語翻訳だったからである。本書の「伝記」(Vitae)記事は、列聖過程において用いられたであろう、礼部聖省の定めた諸規則に則ってイエズス会士によって書かれたと思われる「伝記」であることは間違いない。1747年には、ヴィレルヴァル(Jacques-François Willerval)によって『イエズス会聖人伝』(Proprium Sanctorum Societatis Jesu)がドゥエで刊行されており、本書の著者はこの作品を本書執筆に際して用いた可能性がある。
 イグナティウスとフランシスコ・ザビエルを描いた本書の口絵は、祈祷書である本書の内容の導入としてふさわしい作品である。フリッツ(Christian Friedrich Fritzsch, Hamburg ca. 1719-ca. 1774) が手掛けたこの口絵の絶妙な出来栄えは、読者の関心を直ちに惹くものである。フリッツはすでにその幼少期から、ゲッティンゲン大学の彫版師であった彼の父のために働いており、兄ヨハネス・クリストファー(Johannes Christopher)同様、1747年から1772年にかけてアムステルダムにおいて仕事をした。この時期は、本書が Crajenschort’s によって本書が出版された時期に該当する。この兄弟は、特に肖像画作品において成功を収めたが、それ以外の書物の挿絵や時事的な出版物の挿絵作品も手がけていたことが確認できる。(後略)」

(Paul Begheyn / Bernard Deprez / Rob Faesen / Leo Kenis(ed.). Jesuit books in the Low Countries 1540-1883: A selection from the Maurits Sabbe Library. Leuven: Peeters, 2009. pp.280-81より).