書籍目録

『1626年から1631年に至る日本における殉教史』

アドゥアルテ / (水野守信)/ (末次平蔵)

『1626年から1631年に至る日本における殉教史』

1633年 バレンシア刊

Aduarte, Diego.

RELACION DE LOS MARTYRES QVE HAN PADECIDO EN EL IAPON, DESDE EL año mil seyscientos veynte y seys, hasta el de mil seycientos treynta y uno;…

Valencia, Silvestre Esparsa, 1633. <AB202217>

Sold

First & only edition.

4to (13.8 cm x 19.5 cm), Title., 1 leaf, pp.1-35, Modern card boards.
全体に染み、焼けが見られるがそれなりの応急処置が施されており、判読に支障のない状態。[Iberian books. Vol.2: 19959]

Information

キリシタン弾圧が激化していく時期における貴重な同時代の証言、ほかに現存1部のみが伝わる稀覯作品

 本書はドミニコ会を代表する歴史家、著述家であるアドゥアルテ(Diego Aduarte, 1570 - 1636)が、1626年から1631年の日本における布教活動(というよりもキリシタン迫害)の様子を同時代の記録として克明に記した作品で、1633年にスペインのバレンシアで刊行されています。日本におけるキリシタン迫害が激化していく状況にあった1626年以降の日本の状況を速報的に記した同時代の記録として、本書でしか読むことができない日本関係記事を多数含んでいることに加え、世界中の公的機関において現存するものが他に1部しか確認することができないという大変貴重な作品でもあります。 

 本書の著者アドゥアルテはサラゴサ出身のドミニコ会士で、本書をはじめとしてドミニコ会のフィリピン、日本管区である聖ドミニコ管区の創設から約50年の間の歴史を綴った優れた著作を遺したことで知られています。アドゥアルテは1594年に初めてマニラに滞在して以降、スペインとマニラの間を複数回往復しており、マニラにおいては布教活動と後継者の育成に取り組み、またヨーロッパ滞在時は布教のための資金と人材集めに奔走しつつ、生ドミニコ管区の暦書の執筆に勤しみました。彼の最初のマニラ滞在から1636年に亡くなるまでの活動時期を簡単に整理しますと下記のようになります。

1594年から第1回目のマニラ滞在
1603年から第1回目の帰国
1606年から第2回目のマニラ滞在
1607年から第2回目の(最後の)帰国
1628年から第3回目(最後の)マニラ滞在
1636年死去

 アドゥアルテは第2回目の帰国の際に1617年に至る聖ドミニコ管区の歴史の執筆を終えていたが、当時は刊行されませんでした。またこれに引き続く年代の聖ドミニコ管区史の執筆を継続しましたがそれらも生前には刊行されず、没後の1640年にゴンサーレス(Domingo González)の加筆編纂によって『聖ドミニコ管区の歴史』(後掲)がようやくマニラにおいて刊行されました。この著作はアドゥアルテの主著と目されている作品で、国内では上智大学ラウレスキリシタン文庫をはじめ少なくとも4機関が所蔵しており、また現代版の出版やそれを底本にした邦訳(後掲)もなされるなど、比較的よく知られている作品です。

 その一方で、アドゥアルテが生前に自らの手によって刊行した著作についてはほとんど知られていませんが、それは、そのいずれもがそれほどページ数の多くない作品として刊行されたため、国内は言うに及ばず世界的に見ても所蔵期間が極めて限られていることによるものと思われます。アドゥアルテの著作は彼の最後のマニラ滞在となった1629年以降に集中的に刊行されていて、最初にマニラで刊行され、それらがヨーロッパでも刊行されるという流れをとったようです。アドゥアルテのこれらの著作は、日本においてキリシタン弾圧が激化していった時期に書かれていることから、その内容のほとんどが布教活動報告というよりも殉教報告といった趣がありますが、これらの著作では殉教事件そのものだけではなく、こうした殉教が生じた当時の社会・政治状況についても論じられていることから、いずれも大変貴重な日本関係欧文図書としての価値があります。また、イエズス会やフランシスコ会に比べて、日本における布教活動の後発修道会でそれほど大規模な活動を展開できなかったドミニコ会の視点から描かれているこれらの報告書は、イエズス会士らによるそれらとは異なる視座から見た日本の状況が記されている点も重要です。さらに、上述の『聖ドミニコ管区の歴史』が著者没後にまとめられた作品であるのに対して、アドゥアルテが生前に刊行した著作はいずれも「速報」的に刊行された同時代の生々しい記録としての側面が強いだけに、後年編纂された前者には見られないような臨場感が伴っていることも特徴であると言えます。

 このように非常に重要な作品群でありながらも、現存部数が極めて少ないこれらアドゥアルテ生前の著作の全貌を把握することは容易ではありませんが、近年刊行された下記の目録をもとにして整理しますと、下記のようになります。

アドゥアルテの日本報告著作一覧(下掲書の記載情報をもとに作成)

Alexander Samiel Wilkinson / Alejandra Ulla Lorenzo (eds.).
Iberian books. Vol. II & III (Libros Ibéricos Volúmenes II y III): Spain, Portugal and the New World or elsewhere in Spanish or Portuguese between 1601 and 1650.
Brill, 2015.


A) 1626年〜1628年報告
①1626年(1629年の誤りか? マニラ刊 [IB: 19949]
②1629年 マニラ刊 [IB: 19950]

③1632年 セヴィーリャ刊 [IB: 19954]
④1632年 ローマ刊(イタリア語訳)[IB: 19955]

B) 1627年〜1628年報告
*同年代を扱ったマニラ版は確認できず。
①1632年 バルセロナ刊 [IB19956、ただし同書によると現存せず]
②1632年 セヴィーリャ刊 [IB19957]

C) 1628年〜1630年報告
①1631年 マニラ刊 [IB: 19952、ただし同書によると現存せず]
②1631年 マニラ刊 [IB: 19953、ただし同書によると現存せず]
*同年代を扱ったヨーロッパ版は確認できず。

D) 1626年〜1631年報告
*同年代を扱ったマニラ版は確認できず。
①1633年 バレンシア刊 [IB:19959、本書、ただし同書ではタイトルを誤って記載]

E) 1633年〜1634年報告
①1634年 マニラ刊 [IB: 19960、ただし同書によると現存せず]

②1637年 ヴァリャドリッド刊 [IB: 19961]

F) その他単独報告(年次記載なし)
①1631年 マニラ刊 [IB: 19951、ただし同書によると現存せず]
②1633年 マニラ刊 [IB: 19958、ただし同書によると現存せず]

G)上記の集大成として1640年にマニラで刊行された作品が下記 [IB: 19962]
(1581年から1637年までのロザリオ聖母管区の通史で、著者没後に遺稿をもとにしてゴンサーレスの編纂によって刊行されたものと考えられている。)

Aduarte, Diego de. / González, Domingo.
Historia de la provincia del santo rosario de la orden de predicadores en Philippinas, Japon y China.
Manila: Collegio de Santo Tomas de Aquino por Luis Beltrán.
1640.
(同書の現代版を底本とした邦訳:ホセ・デルガード・ガルシーア(編・注) / 佐久間正 / 安藤弥生(訳)『日本の聖ドミニコ:ロザリオ聖母管区の歴史』カトリック聖ドミニコ会ロザリオの聖母管区、1990年)
(*同書は1693年にサラゴサで再版されている。)

 本書は上記のうち、D)にあたるもので、1626年から1631年という他の著作に比べると比較的長期間を対象としており、没後に刊行されたG)を除くと、最もまとまった著作であると言ってよい作品です。この作品は(店主の知る限り)現在ではスペインのナバーラ大学図書館に所蔵されている1冊(bnav.b2135311 / OCLC: 955125357)がその存在を確認することができる唯一のもので、しかも同図書館に登録されているタイトルが(おそらく誤って)原本と若干異なるタイトルとなってしまっているため、上掲目録書Iberian Books でも誤ったタイトルで掲載されてしまっています。本書はこの唯一現存を確認できる1冊に次ぐもので、国内所蔵がないことはもちろん、おそらくその存在自体がこれまでほとんど知られることがなかった作品ではないかと思われます。

 このように世界中でも他にほとんど現存本が確認できないという大変貴重な作品である本書は、その内容においても本書でしか読むことができない重要な記事を備えています。1626年から1631年までの日本の状況を記した作品である本書は、後年刊行された『聖ドミニコ管区の歴史』(上掲G))の概ね第30章から第38章にあたる内容を備えていますが、同書には見られない(同書では削除された)箇所を多数確認することができ、さらに細かな異同や表現などの違いも含めれば、より多くの本書独自の記事を見つけ出すことができます。本書が対象とする最初の年である1626年は長崎においてキリシタン弾圧が強化された年に当たっており、この年以降に長崎をはじめとした九州各地で生じた迫害の様子や宣教師の窮乏する様子、また九州以外の江戸や東北までもを含む他地域の状況などが論じられています。本書は本文35ページほどの短い作品ながら、1626年と1627年の状況を論じた第一部と、1628年から1631年までの状況を論じた第二部とに分かれていますが、概ね時系列に沿って記述が進められているようです。

 本書には厳しい弾圧を推進した幕府側の当事者であった人物についても詳しく言及されていて、特に、1626年より長崎奉行を務めキリシタン弾圧政策を強力に推進し、踏み絵の発案者ともされる水野守信(河内殿、本書ではCabachidono と記されている)や、長崎代官の村山等案と激しい権力闘争に打ち勝ち、元キリシタンでありながら、1626年に長崎奉行に任命された水野守信に協力してキリシタン弾圧政策の推進に協力した末次平蔵(政直、本書ではTayso と記されている)については頻繁に名前が登場しています。特に末次平蔵については、タイオワン事件の推移と合わせて江戸において彼が謎の死を遂げたことなどについても言及されていて(pp.32-33)、大変興味深い内容となっています。また、本書ではドミニコ会関係者だけでなく、フランシスコ会やイエズス会等の他修道会関係者についても頻繁に言及されており、当時の究極の迫害状況下にあって、修道会の垣根を越えてある種の連帯が彼らの間に生じていたことをうかがわせます。

 本書は、ドミニコ会を代表する歴史家であるアドゥアルテが、生前に同時代の日本の状況を速報的に克明に綴った貴重な記録で本書でしかみることができない日本観系記事が多数収録されていることに加え、上述のように世界中の公的研究機関においても現存するものが他に一部しか確認できないということにも鑑みますと、大変に貴重な1冊であるということが言えるでしょう。

比較的近年になって施されたものと思われる厚紙装丁。
タイトルページ。
1626年から1627年についての出来事を論ずる第一部冒頭箇所。
1626年より長崎奉行を務めキリシタン弾圧政策を強力に推進し、踏み絵の発案者ともされる水野守信(河内殿、本書ではCabachidono と記されている)や、長崎代官の村山等案と激しい権力闘争に打ち勝ち、元キリシタンでありながら、1626年に長崎奉行に任命された水野守信に協力してキリシタン弾圧政策の推進に協力した末次平蔵(政直、本書ではTayso と記されている)についての記事が見える。
長崎(Nangasaqui)についての記述が中心だが、有馬(Arima)や大村(Vomura)などの他地域についての記述も多く含まれている。
同時代の記述だけあって日付や地名、人名などは極めて具体的に記されている。
第一部末尾。本書に登場するドミニコ会関係者はバルセロナをはじめとしてカタルーニャ出身の人物が複数含まれているため、本書がバレンシアで刊行されることになった可能性もある。
1628年から1631年までを扱う第2部冒頭箇所。イエズス会士でアドゥアルテと同じく優れた著作を残したモレホンについて言及している。
第2部では日本のドミニコ会士でマニラの新学院に学んだのち台湾と琉球を経由して日本へと渡ったトマスについても詳しく論じている。
加賀(Canga)、秋田(Aquita)、最上(Mongami)、といった東北、北陸の状況についても言及している。
末次平蔵(Tayso)が江戸(Yendo)で謎の死を遂げたことや、京都の内裏(Dairi)について、さらには末次平蔵が一方の当事者であったタイオワン事件後の緊迫する日蘭関係についても言及するなど興味深い記事が多数収録されている。
本文末尾。