書籍目録

「1919年カレンダー(ポスター)」

日本郵船会社

「1919年カレンダー(ポスター)」

保存ケース付属 [1918年] 大阪 / 東京(市田オフセット)刊

Nippon Yusen Kaisha(Japan Mail Steamship Co.)

[Calendar poster for 1919]

Osaka & Tokyo, Ichida Offset Printing Co., Ltd, [1918]. <AB2020193>

Sold

60.5 cm x 94.5 cm, 1 colored poster calendar, with 2 black steel clips above and below, stored in a special card case.
印刷のひび割れや色の剥がれ、紙の端部分の破れ、金属クリップの歪み等を修復済み。中性紙の厚紙で制作された保存用の専用ケース付属。

Information

インパクトのある図面とカレンダーをユニークに組み合わせ、当時最高のカラー印刷技術で制作された日本郵船渾身の力作

 この大変手の込んだ美しいポスターは、日本郵船が1919年のカレンダーとして発行していたものです。名勝地である伊勢の夫婦岩に昇る朝日を背景に、三人の女性が浜辺に佇む風景が鮮やかに描かれており、朝日が昇るその上空に大きく切り取られた円の中には、二引の旗章を掲げた日本郵船の船舶が堂々と大海原を進む姿が描かれていて、あたかも朝日と日本郵船が共に昇っていくかのような印象を与えています。図面下部には、緑青の下地の上に金文字で社名(NIPPON YUSENKAISHA / JAPAN MAIL STEAMSHIP Co.)が大きく描かれていて、濃紺と金を配した縁取りと相まって、図面が一つの掛け軸のような趣を醸し出す作品となっています。一見するとこれがカレンダーであることはほとんどわかりませんが、図面右下に目をやると、月めくりの薄手の用紙が重ねられたカレンダーが貼り付けられていることに気が付きます。月毎に図面全体を切り替えていくのではなく、カレンダー部分だけを切り替えていく珍しい造りになっていて、それだけこの図案に対する強い思い入れが感じられる作品となっています。図の上下には黒い金属製のクリップが取り付けられていて、上部のクリップには壁掛け用の白い紐が備えられており、確かにこれが壁にかけて用いるためのカレンダーであったことを示しています。

 日本郵船は遅くとも1910年代から色鮮やかで趣向に富んだカレンダーやポスターを数多く発行していたことが知られています。これらの印刷物は国内向け、国外向けの両方があり、同じ図案で英語版と日本語版の異なるバージョンが制作されることもありました。カレンダーやポスターの印刷は日本郵船だけではなく、東洋汽船や大阪商船といったライバル会社からも競って発行されていました。特に東洋汽船は総帥である浅野総一郎が印刷物に対して強いこだわりを有していたこともあって、コストを度外視したとしか思えないような完成度の高いポスターやカレンダー、パンフレット類を数多く発行しています。また、大阪商船もそれまでの広告物に見られないような大胆なインパクトのある意匠を採用し、また高品質(高コスト)のオフセット印刷によるポスターを生み出しました。こうしたライバル企業にも対抗する形で日本郵船は、独自の完成度の高いポスター、カレンダーを内外のデザイナー、画家を駆使して制作しており、1940年代に至るまで数多くの名作が生み出されることになりました。こうした競争は、単なる営業上の広告制作という枠組みを超えて、国内の印刷技術の革新、発展を促すことにもつながり、その結果として、これらの汽船会社が発行した印刷物はその多くが、高い芸術性をも有する名作として、今日でも高く評価されています。

「外国航路に進出した日本の船会社は海外からも乗客や貨物を集めてくる必要があったため、外国人のまなざしを意識して英文のポスターが制作された。日本の客船ポスターは、当初は船上の和装美人を描いたいわゆる美人画ポスターや航路図を描いたタイプが大勢を占めていたが、やがて第一次世界大戦期を経て外国への定期航路が広がりを見せると、大阪商船の横綱太刀山関を大きく描いたポスターにみられるように、インパクトのあるデザインのポスターが作り出されるようになった。
 客船ポスターの原画を描いたのは、当初は主として印刷会社に所属する画工だったが、やがて、船会社に所属するデザイナーがポスター原画を手掛けるようになる。日本郵船には水谷仲吉や吉田芳鉄が在籍したほか、外国人客の目を意識して外国人デザイナーを起用、イギリスの海洋画家ハリー・H・ロドメリ、スウェーデンの画家で建築家のジョスタ・ゲオルギー=ヘミング、パリで活躍していた日本人デザイナーの里見宗次らにポスターデザインを依頼した。大阪商船には大久保一郎、持田卓二、山内国夫らが在籍しポスターのデザインを手がけた。」
(木田拓也 / 内藤裕子編『ようこそ日本へ:1920-30年代のツーリズムとデザイン』東京国立近代美術館、2016年、24ページより)

 このカレンダーの原図を描いた人物が誰であるのかについては、図面にサイン、落款等も見られないため、少なくとも店主には特定ができていません。英文表示が主体になっていることから、日本国内向けよりも海外の顧客を意識して制作されたものと思われ、伊勢に昇る朝日と三美人といった日本を強くイメージさせるような主題が選ばれているのも、海外向けの作品であったことを思わせます。また、一見しただけだと肉筆ではないかと思わせるような美しい出来栄えの印刷を担ったのは、当時の日本におけるオフセット印刷のパイオニアとして神戸と大阪で活躍していた市田オフセット(Ichida Offset Printing Co., Ltd., Osaka & Tokyo, Japan)であることが、右下隅に英文で小さく記されていることからわかります。同社は日本におけるカラー印刷技術の発展に大きく寄与したことで知られており、大阪商船によるポスター印刷も手がけていました。おそらく当時の日本において最高峰のカラー印刷技術を有していたものと思われ、このカレンダーは同社の高い技術が遺憾無く発揮された作品と言うことができるでしょう。

 汽船会社が制作したポスター類の中でも、特に海外向けに制作された英文作品は基本的に海外で頒布されたことから、現在では国内で見つけることは大変難しくなっています。また、印刷物の中でもカレンダーはどうしても逐次刊行物の宿命、すなわち使い捨てられてしまう傾向が強いため、海外においても現存しているものはそれほど多くないようです。このカレンダーは、本体図面とは独立する形でカレンダー部分が貼り付けられている、ポスターとカレンダーとを組み合わせたような大変ユニークな作品ですが、1月から12月までのカレンダーが全て残されている(ただし元来は1月の上にカレンダー部分の表紙にあたるような用紙があったようで、上部に切り取られた後の紙片が残されているのを確認できます)ことや、鮮やかな色彩にほとんど褪色が見られないことから、おそらく実際には用いられることがなくデッドストックとして保管されてきたものではないかと思われます。近年になってアメリカで発見されたもので、当店の元にやってきた時点でも良好な保存状態が保たれていましたが、丸めた状態で長期間保管されていたことに起因する印刷のひび割れや色の剥がれ、紙の端部分の破れ、金属クリップの歪み等が見られたため、より印刷当時のオリジナルに近い形に復元するための修復を専門家の方に依頼して施しました。そのため、すぐにでも展示に用いることができるような申し分のない状態にあります。