書籍目録

『エス語雑誌 ひがしあじあ』第15・16・20・22・20号

原田勇美(編)

『エス語雑誌 ひがしあじあ』第15・16・20・22・20号

1913年 東京(世界語書院)刊

Harada, Isami.

Ĉiu monata internacia gareto. Orienta Azio.

Tokio(Tokyo), Sekaigo Ŝoin, 1913. <AB20211687>

Sold

5 issues. (No. 15a, 16a, 20a, 22a, 23.)

11.7 cm x 18.9 cm, No.15a: pp.[1(Title.)]-3], 4-26. / No.16a: pp.[1(Title.), 2], 3-28. / No.20a: pp.[1(Title.), 2], 3-30. / No.22a: pp.[1(Title.), 2], 3-28. / No.23: pp.[1(Title.), 2], 3-28, Printed on folded paper, bound in Japanese style

Information

「世界語書院」による日本における最初期のエスペラント語雑誌?

 この大変珍しい雑誌は、1913年に刊行されていたエスペラント語月刊雑誌の一部にあたるもので、合計5号(冊)で構成されています。東京で「世界語書院」というエスペラント語の出版物を数多く刊行していた出版社を運営していた原田勇美という人物によって編集されていた雑誌で、日本におけるエスペラント語雑誌としては最初期のものにあたるのではないかと思われます。その内容が興味深いばかりでなく、和綴本で多色刷り木版画によって制作されている、造本としても魅力ある作品となっています。

 人工言語として知られるエスペラント語は、ポーランド人であるザメンホフ(Lazaro Ludoviko Zamenhof, 1859 - 1917)によって.世界共通の国際言語となるべく開発され、1887年に初めて発表されました。1905年には世界エスペラント大会が初めて開催され、文法書『エスペラント語の基礎 (Fundamento de Esperanto)』も刊行されています。日本でも二葉亭四迷がロシアに滞在していた折にエスペラント語に関心持ち、1906年には『世界語』(当時の日本ではエスペラント語は「世界語」と呼ばれた)を刊行しています。こうした世界と日本国内でのエスペラント語の盛り上がりを受けて、1919年には日本エスペラント学会が設立されて、翌年1920年からは月刊雑誌『東洋論評 (La Revuo Orienta)』が創刊されています。

 原田勇美による「世界語書院」が手がけた『エス語雑誌 ひがしあじあ』は1911年ごろに創刊されたと思われることから、日本における公式団体の設立や雑誌創刊に先んじた先駆的雑誌として注目に値する雑誌と思われます。その内容の解読は店主とってかなり困難ですが、評論、文学作品、広告、通信欄などで構成されているようで、月刊の頻度で刊行されたとは思えない充実ぶりです。本誌の広告欄には「世界語書院」の出版物や取り扱い書籍の案内があり、「世界語書院」は本誌の発行だけでなく、実に多くのエスペラント語関係書を手がけていたこともわかります。また、この雑誌はその内容だけでなく、ちりめん本や江戸時代の和本を彷彿とさせるような手の込んだ造本がなされており、多色刷り木版を用いた美しい挿絵とともに、書物それ自体として大変魅力的な作品となっています。

 本誌は日本におけるエスペラント語研究史において大変重要な位置を占める雑誌ではないかと思われますが、国内研究機関における所蔵は皆無のようで、一体何時ごろまで本誌が刊行され続けたのかについても不明のままです。