書籍目録

『旅行記と地理学と歴史学のための新年報』第3号 「イギリス船ブラザーズ号船長ゴードンの日本航海記」収録

エリー / マルテ・ブラン編

『旅行記と地理学と歴史学のための新年報』第3号 「イギリス船ブラザーズ号船長ゴードンの日本航海記」収録

全2巻 1819年 パリ刊

J(ean-Baptiste). B(enoît). Eyriès / Malte-Brun, Conrad.

NOUVELLES ANNALES DES VOYAGES, DE LA GÉOGRAPHIE ET DE L’HISTOIRE,…AVEC DES CARTES ET PLANCHES,…TOME III.

Paris, Librairie de Gide Fils, 1819. <AB202162>

Sold

2 vols. / Vol.1: pp.[1(Half Title.)-3(Title.), 4], folded map, pp.[5], 6-240. / Vol.2: pp.241-280, folded map, pp.281-480, Original paper wrappers.

Information

「江戸時代後期にはいって、江戸湾に初めて来航した異国船」イギリス船ブラザーズ号の1818年浦賀来航をいち早くフランス語読者に伝えた記事を収録

 本書は、フランスにおける地理学と歴史学の発展に大きく貢献した雑誌『旅行記と地理学と歴史学のための新年報』の第3号にあたるもので、その第2巻に、1818年に浦賀に来航して通商交渉を求めたイギリス船ブラザーズ号のゴードン船長による報告のフランス語訳が掲載されている
という大変興味深いものです。ブラザーズ号の浦賀来航は、長崎ではなく江戸のすぐ近くまで外国船が来航し、通商を求めた事件として知られており、その情報が早くも翌年1819年にフランスの読者に伝えられていたということは驚くべきことと言えるでしょう。

 雑誌『旅行記と地理学と歴史学のための新年報』は、フランスの地理学者であったエリー(Jean-Baptiste Benoît Eyriès, 1767 - 1846)とデンマーク出身の地理学者であったマルテ・ブラン(Conrad Malte-Brun, 1775 - 1826)によって1819年に創刊された学術雑誌で、1865年まで刊行が続けられたこの雑誌は、世界各地からの最新の情報や論文などを主題ごとに編纂した上で掲載し、フランスの地理学や歴史学の発展に大きく貢献した雑誌として知られています。創刊者であるエリーとマルテ・ブランは、共に当時を代表する地理学者で、1821年に創設された世界で最初の地理学会とされているフランスの「地理学協会」(Société de Géographie)の創設メンバーでもありました。

 本書第2巻に収録されている「日本への航海記」(Voyage au Japon)と名付けられた記事は、1818年に浦賀に来航して日本との通商を求めたイギリス船ブラザース号船長ゴードン(Gordon)による報告を掲載したものです。ブラザーズ号の浦賀来航は、「江戸時代後期にはいって、江戸湾に初めて来航した異国船」(後掲書)とされていて、日本にとってもその後の対外交渉政策方針に大きな影響を与える出来事となりました。

「北太平洋の交易の活性化により、ついに江戸湾(現東京湾)にもイギリス船が姿をあらわすことになる。文政元年(1818)5月14日、ピーター・ゴードン(Pieter Gordon)が江戸湾に姿を見せた。江戸時代後期にはいって、江戸湾に初めて来航した異国船である。浦賀奉行の役人たちは80艘の船でブラザーズ号を取り囲み、また三浦半島沿岸部の警備を担当していた会津藩も、大小150艘の船を出動させる。老中阿部正精は、通訳として足立左内・馬場佐十郎を派遣して来航意図を質問、江戸で交易をおこないたいというゴードンの要求を知った。ブラザース号は私貿易船で、インドのベンガルを出発し、ロシア領アメリカに向かう途中に浦賀に立ち寄ったのである。ゴードンはロシアの露米会社と取引があり、アジア・太平洋の港に寄港しながら交易をおこなう太平洋貿易船であった。」
(横浜開港資料館編『図説 日英関係史 1600〜1868』原書房、2021年、58-59頁より)

 結局ゴードンは、日本との通商交渉を成功させることはできず、日本を離れることになりますが、オランダ語を介して幕府通詞の足立と馬場の二人と「交渉した詳細を、彼は、『インド・チャイニーズ・グリーナー』(マラッカ刊、ミッション系インド=中国航路情報誌)に載せた」(横山伊徳『開国前夜の世界』(日本近世の歴史5)吉川弘文館、2013年、219頁)ことが知られています。この『インド・チャイニーズ・グリーナー』とは、『印中搜闻』とも呼ばれる英文雑誌 Indo-Chinese Gleaner のことで、1819年4月号(通算第8号)の53頁から59頁にかけて「1818年の日本への短期訪問についての記録」(Account of a short visit to Japan)と題した記事として、ゴードンの日本訪問がいち早く英語圏の読者に伝えられました。

 本書に掲載されている「日本への航海記」は、この『インド・チャイニーズ・グリーナー』1819年4月号(通算第8号)に掲載されたゴードンの記事をフランス語に翻訳して、編者による短い序文を付した上で掲載したものであると思われます。編者による序文では、ゴードンが前年(1817年)にも日本への訪問を試みたが天候の影響でうまくそれを果たせず、翌年改めて日本を目指して航海し、その際の記録が公開されたこと、ここでは特に読者にとって関心が高いであろう日本との興味深い交渉についての情報を掲載する旨が記されています。これに続く本文は、基本的に『インド・チャイニーズ・グリーナー』掲載の英文記事の忠実なフランス語訳のように見受けられますが、詳細については両記事の比較検証が必要でしょう。いずれにしても、日本の対外交渉政策の構築に大きなインパクトを与えたとされているゴードンの浦賀来航は、ヨーロッパの読者にとっても実に興味深いものであったことが、本書に見られるようにフランス語に翻訳された記事から伺うことができます。