書籍目録

『地理学事典』全2巻 

フェラー

『地理学事典』全2巻 

1791−92年 / 1793-94年 リエージュ / ブリュッセル刊

Feller, F(rançois). X(avier). de.

DICTIONNAIRE GÉOGRAPHIQUE.

Liege / Bruxelles, J. F. Bassompierre / Le Charlier, 1791-1792 / 1793-94. <AB202161>

Sold

8vo (12.0 cm x 20.0 cm), 2 vols. / Vol.1: Title., 2 leaves, 1 folded map, pp.[1], 2-400, 1 folded map, pp.401-683. / Vol.2: Title., pp.[1], 2-654, 1 leaf(blank), Contemporary full leather.

Information

地理学事典に多数掲載された日本の地名情報

 本書は1791年から92年にかけて現ベルギーのリエージュで刊行された地理学事典で、世界各地の地名や地理学用語をアルファベット順で掲載しています。2巻合わせて1,000ページを越える大部の著作ですが、興味深いことに日本各地の地名解説が随所に見られます。著者のフェラー(François Xavier de Feller, 1735 - 1802)は、ブリュッセル出身の学者、著述家で夥しい数の著作を残したことで知られています。多方面にわたる著作活動で活躍したフェラーですが、特に旅行記や地理学、文学には関心が高かったようで、本書は彼の長年にわたるこれらの分野の研究成果の一端を発表したものと考えることができるでしょう。

 本書の随所に見られる日本の地名を紹介した記事はかなりの数に上るもので、店主が気付くことができたものを列挙するだけでも次のようになります(店主が地名を理解できたものは日本語で表記)

(第1巻)
明石(Acaxi & Akas) / 天草(Amacusa)/ 山口(Amanguchi)/ 安土(Anzuqui)/ 有馬(Arima)/ 安芸(Aqui)/ 秋田(Aquita) / 阿波(Ava) / 備前(Bigen) / 備後(Binga)/ 備中(Bitschu, ou Bitcou)/ 豊前(Bugen)/ 豊後(Bungo) / 甲斐(Cai) / Cangan / 鹿児島(Cangoxima)/ 河内(Cavachi)/ 筑後(Chikungo)/ 得撫島(オランダ東インド会社の地、Compagnie-Landt)/ Conzague our Conzugue / 出羽(Devano)/ 出島(Disma)/ 博多(Facata)/ 播磨(Farima) / 肥前(Figen our Fiséen)/ 飛騨(Finda) / Finga / 平戸(Firando, Firandum) / 常陸(Fitachi ou Fitatz)/ 伯耆(Foqui) / 兵庫(Fuego ou Fogo)/ 五島(Goto, Gotum) / 山城(Jamaistro ou Jamaisoit) / 日本(本州のこと、Japon)/ 江戸(Iedo, Jedo ou Jendo)/ 越中(Jetcheu ou Jetsegem)/ 因幡(Inaba)/ Juami / 磯?(Ixo)/ 鎌倉(Kamakura)/ 桑名(Kuwana ou Quano)

(第2巻)
松前(Matsumai)/ 京(Meaco)/ 三輪(Mia)/ 南部(Nanbu) / 長崎(Nangasacki)/ 長門(Nangato)/ 奈良(Nara)/ 沼津(Numatsju)/ 小田原(Odowara ou Darou) / Ofica / 大村(Omura)/ 隠岐(Oqui ou Vuoqui)/ 大坂(Osaca)/ 堺(Saccai, Saccaia)/ 佐渡(Sando, Sandum)/ 三箇(Sangaar, Zungaar)/ 薩摩?(Saxuma)/ 駿河(Suringa)/ 種子島(Tanega, Tanegaxima)/ 択捉島(オランダの大陸、Terre de la Compagnie) / 土佐(Tosa, Tonsa)/ 雲仙(Ungen, ou Ugen)/ 宇土(Uto)/ 志岐(Xequi)/ 四国(Xicoco)/ 島原(Ximabura)/ 下(九州のこと、Ximo)/ 蝦夷(Yeso)

 記事は短いものから長いものまで様々ですが、フェラーが様々な文献を駆使して上記の地名を学んだことが窺える興味深いものばかりです。フェラーは情報源について特に注記はしていませんが、当時ヨーロッパにおける日本研究最大の権威書であったケンペル『日本誌』をはじめとして、イエズス会の報告書なども交えて日本についての理解を得ていたことが窺えます。本書は、18世紀後半のヨーロッパにおける世界地理の理解において、どの程度日本の地名が知られていたのかを垣間見せてくれる興味深い文献と言えるでしょう。