書籍目録

『マルコ・パウロの書』

フェルナンデス / ペレイラ(解説)

『マルコ・パウロの書』

150部限定翻刻版(第128番) (1502年)1922年 リスボア刊

Fernandes, Valentim / Pereira, Maria Esteves.

MARCO PAULO: O LIVRO DE MARCO PAULO-O LIVRO DE NICOLAO VENETO-CARTA DE JERONIMO DE SANTO ESTEVAM. Conforme a impressão de Valtentim Fernandes, feita em Lisboa em 1502; com tres fac-similes, …(Publicações da Biblioteca Nacional, Reimpressões II)

Lisboa, Oficinas Gráficas da Biblioteca Nacional, 1922. <AB202159>

Sold

Numbered 128 of limited only 150 copies.

Large 8vo (20.0 cm x 25.5 cm), Original front cover, Title., 1 leaf, pp.[I], II-XLV, Plate, 8 leaves(not paginated), Plate, 85 leaves(not paginated), Plate, 5 leaves(not paginated), original back cover, Contemporary half leather on marble boards with original covers.
[NCID: BA38251663 / BB28418329]

Information

他本とはやや異なる「ジパング」記事を収録した『東方見聞録』ほか

「『マルコ・パウロ』Marco Paulo は1502年2月4日リスボアでヴァレンティン・フェルナンデスValtentin Fernandes によって刊行され、次の3部からなっている。

(1) 東方の諸国・諸地方の人々の状況と風習に関するヴェネツィア出身マルコ・パウロの書 Liuro de Marco Paulo de Veneza, das condicões e custumes das gentes e das terras e prouincias oritentaes.
(2) インド・東方全地域の人々の生活と風習に関するヴェネツィア人ニコラオの書 Liuro de Nicolao Veneto, da vida e custumes da gente de India e todallas regiões orientaes.
(3) 1499年9月1日付、トリポリ発、ジェロニモ・デ・サント・エステヴァンの、ベイルート在住ジョアン・ジャコメ・マイエル宛書翰 Carta que Jeronimo de Santo Esteuam escreueo de Tripoli a Joham Jacome Mayer em Baruti. Primeiro dia de setembro. Era de Mill e quartoçentos e nouenta e noue annos.

 これらのうち、(1)が主たるものなので『マルコ・パウロ』と総称されている(以下、(1)を特定する際は「マルコ・パウロの書」とする)。私が本書を紹介する理由は、「マルコ・パウロの書」がいわゆる『東方見聞録』 Itinerarium(フランチェスコ・ピピーノ Francesco Pipino によるラテン語翻訳)のポルトガル語訳であり、『東方見聞録』刊行史上第6番目に位置すること、またインド関係の2文献が含まれており、ポルトガルのアジア進出との関連で注目すべき文献であること、などによる。(中略)
 私は『マルコ・パウロ』をその複製本(1922年刊)に付せられた解説をもとに紹介し、これにいくつかの研究の成果を付け加えることにする。そして終りにジパングに関する部分(第3巻第2章〜第8章)を訳出する。これは従来集成本によって紹介されたジパングの記事とは構成・内容において多少異なっており、15〜16世紀当時の人々(特にポルトガル人)のジパング情報を知る上で参考になるであろう。」

「フェルナンデスがこれらの三書をもとに『マルコ・パウロ』を刊行した目的は「神への奉仕とインド諸地方へ向う人々への情報」を提供するためであった。これらの三書はいずれも13〜15世紀にインドへ旅行したことのあるイタリア人の記録であり、本書刊行の主たる意図がインドにあったことは明らかである。本書が出版された1502年は、ヴァスコ・ダ・ガマ Vasco Da Gama がいんどへ到着した4年後にあたり、ポルトガル王室が国家の総力をあげてアジア問題に取組もうとしていた時期である。フェルナンデスも王室に仕える身として、ポルトガル国民に対し、インド関係の情報を提供し、支配地の事情を知らせ、王室の海外政策について、人々の理解と支持を求めて刊行したのである。」

「ヴァレンティン・フェルナンデスが出版した「マルコ・パウロの書」の訳者について、現在まで諸説がある。フェルナンデスは序文で、自らがポルトガル語訳したと記しているが、いくつかの単語に古形が見られること、フェルナンデスの他の著作に見られる、不正確な語法が全くみられないことなどから、今日では疑問視する意見もある。
 「マルコ・パウロの書」は1532年グリナエウス S. Grynaeus 著『新世界』Nobus Orbis にラテン語訳されて収録された。またラムジオ G. B. Ramusio は『航海・旅行記集成』Navigationi et Viaggi の第二巻(1558年)に『東方見聞録』を刊行するさい、本書を利用したといわれ、さらに本書は1503年サンタエリャ R. F. de Santaella によるスペイン語訳の出版を促したとされている。」

(岸野久『西欧人の日本発見:ザビエル来日前 日本情報の研究』吉川弘文館、1989年、1-2, 5, 6頁より)